故郷ニュース
情報を発信する『故郷ニュース』
レポーター 和田 寛
利永歳時記調査会 会長
【おいどんが村 利永 の今昔物語】2010年1月20日発行
昭和16年 指宿市山川利永生まれ
山川成川に住所を構え、情報誌『故郷ニュース』を発刊している。
連絡先:090-2513-6571
指宿市姉妹都市、オーストラリア:ロックハンプトン市長ブラッド・カーター氏と和田会長
「おいどんが村」の継承行事 平成23年4月16日記 和田寛
You Tube動画「ウナンメイ」 You Tube動画「メンドン祭り」
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情報を発信する政郷-ニユース 2013-No11 平成25年6月15日発
〔1〕妻の嘆き〔5月24日記〕
夜勤から帰宅すると、疲れと睡眠不足の身体を睡魔が襲いウトウトする。しかしゴロ寝する暇もなく雑用に追われる日々で、とうとう体調を崩しこれまでの意欲がなくなった。これ以上、「故郷ニュース」を続けて行くのは困難である。
又、俺の道楽にー言も文句を云わなかった妻が、「人の為には充分尽<したから、これからは自分の身体をいたわり、家の事に専念して」と懇願している。
皆様には長い間、大変お世話になりましたが、今回で終了します。誠に有難う御座いました。
今後は大成小、山川中の子供らの成長を見守りながらのんびりと過ごして行きます。
〔2〕妻の一日遠足〔5月27日記〕
5月23日、妻は俺に対する日頃の「うっぷん」を晴らすためか、同級生21名と連れ立ち快適なバスに揺られて、鹿屋市霧島が丘の「かのやバラ園」ヘー日遠足に出掛けた。そして咲き誇った「バラ」の花に癒されたのか、帰宅した際は機嫌が良かった。
この「かのやバラ園」には、世界の国々から珍しい「バラ」が多種集められ、約8㌶に5万株の「バラ」が植栽されているという。見頃は5月の連休前後の2週間位だがこの「バラ園」では、春の「ポピー」や秋の「コスモス」など、季節ごとに様々な花を楽しむ事が出来るそうです。(5月27日バラ園、0994-40-2170へ電話で破認。)
〔3〕廃校か存続か〔6月2日記〕
指宿市山川森松地区の鹿児島県立山川高校は昭和23年に開校し、昭和8年生まれの方々が第一期生で入学したという。現在は園芸工学、農業経済科と生活情報科の2学科が各1学級ずつあるそうだ。処が毎年80人の募集人員に定員割れが続き、今年の入学生は31名だったという。〔定員240名に対して現在の在校生は104名〕
5月29日、鹿児島県教育委員会は、「7月に行う中学生の進学希望調査の結果次第で、早ければ来年度からの募集停止を検討する」と発表した。廃校か存続かその成り行きが注目されている。又、15年ほど前には、「頴娃高校を閉校して、交通の便利な山川高校へ統合させるとの噂が流れた。これも少子化が続き、現実となりつつある。
〔4〕みなと祭り〔6月5日記〕
日本の「かつお節」総生産量の3割が山川、4割が枕崎で生産されているという。
その恩恵を受けている山川街と漁業の更なる繁栄を祈願して6月2日〔日〕、「第80回、山川みなと祭り」が開催された。当日は生憎の雨に見舞われたが会場の山川漁港の水揚げ場には、1万人超の市民が駆け付けて賑った。
そして午後12時からの演芸大会は、山川出身の「鹿児島KTSテレビ局のタレント」、「タマリ」氏が司会を務めた。そして笑いを誘う話術に観客は始終、爆笑の渦だった。
又、「かつお」の刺身ブロックが貰える抽選所や、水槽の魚を掴み取りする申込所は長蛇の列だった。
祭りの最後は、各家庭に一枚ずつ配布された抽選券を手にした観客は、司会者の「タマリ」氏が名調子で読み上げる当選番号にハラハラ、ドキドキの連続で成り行きを見守った。主催者の「菜の花商工会によると、「今年は〔80回〕にちなみ、豪華な景品を80個、用意した」と、演台から挨拶した。
〔5〕俺が学んだ日本国憲法〔6月10日記〕
7月の参院選を前に改憲論が高まっています。みなさんは、日本の憲法はどの様な状況下で制定されたのかご存知ですか? 俺は名古屋にいた時、知識を高めるため夜学へ通い数名の講師から様々な講義を受講した。その中で、「日本の憲法は米国から強制されたものだ、と言う知識人もいるがそうではない」と、下記の通り学んだ。
第二次世界大戦で無条件降伏した日本は、国土の復興と新しい憲法をつくる事が急務だったが当時の政府には意思も能力もなく、ほったらかしにしていた。そのため連合国総司令部〔GHQ〕が憲法の草案つくりにのりだし、「主権が国民の意思に存ずる事を宣言し」と、国民主権を明記した。処が当時の政府は、「国民の総意が至高なものである事を宣言し」と、書き換えた案を憲法制定議会に提出した。これに連合国の最高機関「極東委員会」と各政党から異論が出て、議会で喧々轟々の議論を重ねた結果、日本共産党の「野坂参三」が「主権在民」を憲法の原則にすえる事を国会で主張し、昭和21年7月25日に修正案を提出した。
こうした事態の中で、「GHQ」と日本政府が再び会議を重ね、政府案の修正を検討し、昭和21年8月24日の衆院本会議で「国民主権の原則を前文と本文を明記して、「日本国憲法」が可決された。〔野坂参三の主張が認められた〕
そして昭和22年3月5日、戦争放棄を明記した「平和憲法」が誕生した。その経過をたどっても日本国憲法は、他国から強制されたものではない。国政選挙で選ばれた国会議員らが、幾日も議論に議論を尽<して出来た憲法である。又、憲法9条は、日本国民約310万人、アジアで約2000万人の犠牲者を出した侵略戦争への痛切な反省をもとに、制定されたのである。
当時の「吉田茂」首相は衆議院で、「第9条は戦争のない国を創造するさきがけとして、世界の平和に貢献する決意である」と、発言したそうだ。以上。
上記は、昭和39年に半信半疑で受講生50名と共に俺が学んだ憲法である。処が、平成19年5月頃の「赤旗日曜版」へ、49年前に学んだ事と同じ様な内容が掲載されていたのを見た。又、講師は将来を危惧して、「諸君が結婚して孫の代になると徴兵制度が制定され若者は強制的に入隊させられる。そうならないためにも近隣の国々とは、平和外交を続けて行く必要がある。そして次世代の者へ平和憲法を引き継いでもらうのだ」と、熱弁をふるった講師がこの世に生存なら95歳位か?
情報を発信する政郷-ニユース 2013-No10 平成25年5月30日発
〔1〕こいのぼり
5月8日AM9時15分、指宿市大山郵便局で手紙を発送した。その後、爽やかな風に泳ぐ「鯉のぼり」を探すため、集落内を散策した。しかし何処の地域でも子供の出生減少のため、「鯉のぼり」を立てている家も少ない。子供の健やかな成長を願う五月節句の「鯉のぼり」は、昔の語り草になりつつある。
〔2〕嵐の後の静けさよ
連休期間中の鹿児島県内は、好天に恵まれて行楽地は人と車で賑わった。しかし行楽地を訪れる人々のマナーの悪さに、お土産店主は憤慨していた。しかしマナーの悪さは何処も同じだ。俺が勤務する所では経費節減のため、宿泊客へ節電のご協力をお願いしている。処が、目の行き届かい所のトイレ、シャワーを使用した後はスイッチも切らずに電灯は明々と点けたまま、換気扇はブンブンうなりを上げて回っている。又、宿泊客の中には深夜の2時~3時頃まで馬鹿騒ぎする者や時には、「ドッカン」と花火を打ち上げる馬鹿者もいる。世の中には最低限の規則も守れない、後片付けも出来ず自分本位の者が多い。
〔3〕連休期間の登山者数〔3428人〕
4月27日~30日まで1163人+5月1日~6日まで2265人=3428人。
平成24年度の登山者は2万8000人超。その内、遭難事故が7件あった。
〔4〕不審者への対応
5月10日午前11時、指宿市立大成小で「不審者が侵入した」との想定で、教師が「サスマタ」や「庭ほうき」などの道具を使って、不審者への対応と訓練を行った。
〔5〕特報
6月3日〔月〕午後7時30分から、NHKBSの「日本百名山」という番組で「開聞岳」が放映されます。この撮影は4月22日~5月4日までの13日間、開聞岳で行われたものです。
~~~ふれあい公園では桜の後にはつつじやサツキが咲いて、来園者の心を癒しています。
暫らくすると、色づいたアジサイが見られます。植栽数が多いから見ごたえがありますよ。~~~
NHKの撮影隊は毎朝午前7時30分、かいもん「ふれあい公園」の管理棟を出発し、下山は午後7時だった。又、撮影機材を運ぶサポーターは、鹿児島山岳会から2名。開聞岳ガイドクラブ会員1名が撮影隊に同行して山中を案内したが日の出の撮影は、5月4日夜中の午前1時30分に管理棟を出発して撮影したものです。
〔6〕麦はたけ
5月17日午前8時45分、帰宅中の「開聞仙田集落」水田横の畑で、ひときわ目立つ「あかね色」の作物を見つけた。珍しさも相まって畑へ近寄ると、その作物は「小麦」だった。昔の農業は、「からいも」と「麦」が主流だったが、今では「麦」を植える農家は「ゼロ」に等し<、俺も「ウン十年ぶり」に見た。「麦」畑の隣で農作業をしていた農夫によると、「後―週間ほどで刈り込む」という。
「麦はたけ」を撮影した後、方々の畑を探したが、麦はたけはここだけだった。
〔7〕指宿トライアスロン
妻が買い物をしている間に会場へ駆け付けたがカメラが雨に濡れるので撮影はしませんでした。左の写真は、五月二十日付けの南日本新聞から。
この日は朝から大雨で、成川区集落対抗のカントリーボール大会や屋外でのイベントは全て中止になったが第27回、指宿トライアスロン大会は決行された。
〔8〕不審者の出没・‥・注意!!!!
5月21日、成川区〔世帯数=約1、182戸、人口=約2600人〕からの回覧板です。
『先日、前薗集落周辺で言旦下を1万円で買ってくれ。東目本大震災のため」と言って若い女性が訪れてきたという事案です。その家庭から区民センターヘ電話連絡があったので、前薗・下原・前原近辺を探しましたが発見できませんでしたのでセンターから放送で注意を流しました。このように、詐欺まがいの不審者が出ていますので、披害にあわないように,またこのような時にはすぐ、センターヘ連絡下さい。』
情報を発信する故郷ニュース 2013-No9 平成25年5月15日発
〔1〕故郷の農家もTPP反対だ
〔2〕お土産の新装開店(4月30日記)
和田邸から西へ約5㌔先にJR最南端の「西大山駅」がある。その隣接地にある「中園久太郎」商店が漬物工場の一角に地元直産品を販売する「かいもん市場久太郎」を4月27日、打ち上げ花火を合図に華々しく回転した。連休でJR最南端の駅と開聞岳の絶景に魅せられて、観光に来ていた方や地域の住民らが新装開店の売店へ大勢押し駆けて買い物を楽しんだ。この売店は過疎の地域に活力を与えている。
〔3〕新駅舎の完成〔4月30日記〕
平成23年10月、三重県磯部町からの来客をJR最南端の始発、終着の「枕崎駅」へ案内すると駅舎は壊され大型スーパーが建っていた。そして約100㍍離れた東側にホームだけがあって、「発着の駅にしては寂し過ぎるな~」と感じていた。
その後、駅舎の復活を望む声と、多くの市民から寄付金が寄せられて、7年ぶりの4月28日にオープンした。〔駅舎の解体は平成18年〕
28日午後6時、バイクで「ふれあい公園」に来た男性によると、「旅の途中、枕崎駅へ寄ると2000人程の人出で賑っていた。又、駅名の「枕崎駅」と文字を書いた枕崎出身の大相撲立行司、36代「木村庄之助」も東京から駆け付けて挨拶を述べた」という。この最南端の「枕崎駅」から最北端の「稚内駅」まで、約3150数㌔の鉄路は結ばれている。
上の写真は、4月29日付けの南日本新聞から転写した。
〔4〕お通夜の席で〔5月5日記〕
5月1日午後7時、指宿市成川の葬儀場へ男性〔92〕のお通夜に妻と出掛けた。同席した指宿市開聞十町で車の整備、販売を手広く営む知人の社長によると、「11月15日~3月15日までの狩猟期間と害獣駆除期間中に、開聞岳と多宝仏塔と池田地区周辺の山で、狩猟仲間らと〔猪〕を約150匹射止めた。肉をあげるから仕事帰りに寄れ」と豪快にいう。この社長は若い頃からボッケモンだった。でも俺とは気心の知れた旧知の仲である。仕事は真面目にするし、人を引き付ける要素を彼は持ち合わせている。そのためか整備工場も繁盛している。 「そろそろ会社の権限を息子へ渡さんなら」と目を細めた。
〔5〕特攻隊員1036人の慰霊祭〔5月7日記〕
お国を守るため知覧飛行場を飛び立ち、南の海に命を散らした特攻隊員、1036人の英霊を弔う慰霊祭が5月3日、南九州市知覧町「特攻基地」跡であった。又、昭和20年〔1945〕4月12日、加世田の万世基地から出撃し19歳で戦死した、東京出身の「猪瀬弘之」少尉の幼少期から、両親や姉と写した写真、手紙、遺書なども展示されていた。
両親宛の手紙には、「人生わずか21年〔数え年〕か」と記したものや、「今はただ何も考えずに桜を見ております。心は水のように静かです」と、出撃直前の心境が書かれたものがあった。又、この手紙を読み、ハンカチで目頭を押さえる者もいた、合唱。
俺が把握している特攻基地と戦死者は下記の通り。
●鹿屋航空基地では特攻隊員908人が戦死。昭和33年〔1958〕4月6日追悼式。
●都城市は昭和20年〔1941〕4~7月。西、東飛行場から出撃した特攻隊員79人が戦死。昭和52年〔1977〕に慰霊碑を建立。第一陣が飛び立った4月6日に合わせて慰霊祭。
●加世田の万世特攻基地では特攻隊員201人が戦死。毎年4月14日に慰霊祭。
●旧海軍航空隊出水基地では特攻隊員、638人が戦死。毎年4月16日に慰霊祭。
●国分市溝辺基地では、特攻隊員427人が戦死。毎年4月22日に慰霊祭。
●南九州市知覧陸軍基地では、特攻隊員1036人が戦死。毎年5月3日に慰霊祭
●指宿多良浜海軍特攻基地では特攻隊員82人が戦死。毎年5月27日に慰霊祭。
〔6〕浜の湯の撮影(前川清)・躍進を遂げる山川中学校
〔7〕シルバー人材センター
5月2日午前10時30分、国立指宿病院手前の公共社団法人指宿シルバー人材センターヘ、平成25年度の会費3000円を納めに行くと、鉢植えのサボテンが花を付けていた。事務職の美女2人に「初めて見る花だから写して~」と懇願いされてシャッターを押した。
又、事務局長によると、「会員が高齢になって昨年は40数名が辞めた。4月現在の会員は185人だ」という。シルバー会員になると仕事を世話してくれる。日帰りや泊りがけの旅行、忘年会、カントリ大会、カラオケなど会員同士の交流も盛んに行われ、日々の暮らしに活力が沸いてくる。
「安く売りすぎて怒られちやいました」
この愉快な文を考えたのはどんな「方」だろう~?と、想像しただけでも可笑しくなる。
ニシムタ指宿店にて
5月2日午前11時30分、「ニシムタ」ヘ買い物に行った。正面入口の中央トマト売り場に、「安く売りすぎて、怒られちゃいました」と、書かれていた。面白い文句だったので、許可を得て撮影した。又、女店員の口元はいつもにこやかに微笑み表情が明るい。接客も非常によか。そのため買い物も楽しみだ。
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.8 平成25年4月30日発
〔1〕慰霊祭(この記事は3月28日記のものです)
その〔1〕
太平洋戦争の激戦地「フィリピン」で戦死した、約47万6,000人の将兵を追悼する47回目の慰霊祭が3月27日、指宿市開聞総合体育館であった。当日は雨天のため花瀬望比公園の会場から、開聞総合体育館へ変更して行われたが、館内は県内外からの遺族と関係者らで満席だった。そして豊留市長は、「悲惨な過去を心に刻み、全世界の平和と繁栄を心から願う」と挨拶した。挨拶文は省略した。
左は指宿市開聞「花瀬望比公園」、H24年3月27日、第46回目の慰霊祭で撮影。
右の母子像は、1,960㌔先にある激戦地のフィリピン島を向いて手を合わせている。
又、開聞岳西側にある花瀬望比公園の慰霊碑には、昭和42年〔1967〕フィリピン諸島から「4,147」柱の遺骨を持ち帰り納めている.ここのお賽銭箱が度々荒らされる。
その〔2〕
平成7年〔1995〕4月7日から、戦艦「大和」と「第2艦隊」の戦没者3737人の慰霊祭を毎年4月7日、枕崎市「火の神平和記念展望台」で行ってきたが、生存者や遺族の者が高齢になったため、今年から自主参拝になった。
そして、春の嵐が吹き付けるなか、「火の神展望台」には県内外から生存者や遺族ら約150人が集い、沈没時刻の午後2時23分に献花と黙祷をささげて戦友の冥福を祈った。又、生存者のなかには九死に一生の体験を、遺族の者へ話す者もいた。敗戦から68年経った県内では、生存者や遺族らが高齢のため、様々な慰霊祭や追悼式が取り止めになっている。そのため悲劇の歴史は風化しつつある。
〔2〕新任地先から
暦は別れの3月から出会いの4月へと移行し、転勤者は新任地で第一歩を踏み出している。3年間の在任中「指宿市立利永小」を文部科学大臣賞へと導いた功労者の「赤石明仁」校長は、4月1日付けで薩摩川内市「蘭牟田小いむたしょう」へ転勤になった。
右は、H25年1月17日、指宿市開聞上仙田集落の「東川勝-」宅で飲ん方。
左から「赤石」校長、和田、関東かいもん会の会長「坂上政幸」氏。
そして4月3日午後8時、新任地から「お世話になったお礼も云わず、済みませんでした」と、お詫びの電話があった。又の再開を約束して電話は切れたが、3月22日の卒業式で4名を中学へ送り出しての転勤には、-抹の寂しさが募る。
又、4月4日の夕方、大成小の鮫島校長が新任の古田教頭と達れ立って挨拶に来た。温厚な「赤石」校長は、多くの市民から親しまれていた。
左はH25年1月15日、指宿市山川利永集落に古くから伝わる、故人の霊を供養する「ウナンメイ」の席で、右から2番目が「赤石4校長。実家の弟宅にて、撮影=和田
〔3〕新年度のはじまり
その〔1〕入学式
4月1日から新年度がはじまり4月8日は、指宿市立12校の小学校と5校の中学校で入学式があった。そのなかの大成小〔鮫島校長、児童数234人〕では、第99回の入学式で44名の新入生を迎えた。4月16日からは小中学の家庭訪問。
又、指宿市社会教育課の要請で4月1日から、指宿市立山川中学校の世話係りをする事になった。「人は声の掛かるうちが華だ」と引き受けたが、貧乏暇なしで益々忙しくなる。
その〔2〕区民総会
4月14日に開かれた俺の故郷、「利永地区」の総会で婦人会の組織が解散になったという。友人によると、「婦人会員に該当する女性は20人ほどいるが、我がまま者が多くて婦人会組織ヘ加入しようとしない。婦人会員がいないと村の行事がつぶれる」と心配していた。
又、県下一周駅伝大会の際、中継地になっている所は各地域の婦人会が選手らの世話をする事になっている。処が第5中継地の利永地区の婦人会員は誰も協力せず、指宿市から数人の女性が世話役の応援に駆け付けたという。
敗戦から68年。婦人会組織についてはどこの地区、地域、集落でも大問題になっている。俺が住む「成川地区」の婦人会は今年限りで、来年解散になるという。
第60回、県下一周駅伝大会の際、第5中継所の指宿市山川利永。
後ろの建物は、指宿市立利永小学校。H25年2月16日撮影。
〔4〕平成26年度、創立100周年
大正3年〔1914〕、「大山小」と「成川小」が合併して開枝した「大成尋常小学校」は、昭和22年〔1947〕に「大成小学校」となった。そして、来年〔平成26年〕100周年を迎える。そのため大成小ではPTA役員、大山、小川、成川区長、多くの協力者らで実行委員を立ち上げて、100周年記念事業に取り組んでいます。
4月18日の鮫島校長によると、「校旗がボロボロになっているので新しくつくりたい。その費用が100~150万円かかるので、大成小を卒業した多くの皆さんへ、募金をお願いする」と述べた。
故郷を遠くはなれて異郷の地で暮らすみなさん、飛躍を遂げる母校のためにぜひ、募金をお願いします。又、皆様の善意を心からお待ちいたしております。
又、3月21日に「読売新聞、赤井孝和」記者が大成小を取材した記事が、4月5日付けの「読売新聞」に「A3」サイズの広さで掲載され、全校生234人の児童らに活力を与えています。「赤井」記者には心より厚くお礼申し上げます。
写真は指宿市山川、「大山地区公民館」の敷地にある、「大山小学校跡」の碑。
大山地区公民館の裏が「JAいぶすき、大山支所」、軽トラの右横が「浄土宗大仙寺」
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.7 平成25年4月15日発
〔1〕田部井淳子女史が来園〔3月16日記〕
3月14日午前8時、エベレスト登頂を達成した登山家の「田部井淳子72」女史が、東京日通、登山ツアー総勢22名を率いて、開聞岳登山に来た。感動してカメラを構えたら、「撮影は禁止です」と止められた。
登山に同行した川尻集落出身のガイドによると、「素人の方と85歳の高齢者もいて登りが4時間、下りが3時間30分掛かった」と、疲れた身体を「浜ん湯」で癒していた。又、日本百名山の開聞岳には、昭和63年7月20日に皇太子殿下が、平成23年にはマラソンランナーの「宗、茂」選手一行が登山した。〔有名な所には、有名人も来る〕
〔2〕脚光を浴びる大成小〔3月23日記〕
公益社団法人「小さな親切」運動本部から表彰された指宿市立大成小へ、3月21日に読売新聞、指宿通信員の「赤井孝和」記者が取材に訪れた。「赤井」記者によると、「県内の学校からー校を選び、その学校の文化や行事、児童らの活動を紹介するのだ」という。
〔3〕春の事件〔3月23日記〕
厳しい冬の寒さから陽気な春へと季節の移ろいには、健常者も体調不良になる方もいる。又、木の芽が勢いよく芽吹くこの時期は、異常者も現れる。
その〔1〕
3月16日、指宿市山川「浜児ケ水」集落の左官業、男性60が行方不明になった。地元の浜児ケ水、岡児ケ水、大山、利永の4消防分団が出動して捜したところ、男性が使用していた車検切れの軽車両が、年金保養基地「グリーンピア指宿」で見つかった。又、自宅には預金通帳や印鑑などの貴重品を揃えていたという。だから、「死を覚悟の家出でだろう」と、地元民は話している。(4月3日現在男性は不明のままだ。)
その〔2〕
3月20日午前9時30分頃、指宿市開聞十町下仙田の国道226号線脇の商店へ、刃物を持った近所の男性52が現れた。自衛隊出身の店主が金棒を持って身構えると、男性はお店から約150㍍離れた自宅へ逃げ帰った。心配した店主が自宅を訪れると、男性は自殺を図っていた。男性は、ドクターヘリで鹿児島の病院へ搬送されたが、この騒ぎに気付いた住民と野次馬が事件現場へ駆けつけて、過疎の村は騒然となった。
又、この男性は「アル中」で、会社を辞めた後も朝から焼酎浸りの日々だった。又、タクシー料金も払わず取立てに俺は苦労した。
その〔3〕
3月20日、比島諸島で戦死した将兵「4,147」柱の遺骨を埋葬している指宿市開聞、花瀬望比公園「慰霊碑」のお奏銭箱がまた荒らされていた。被害に気づいたのは3月27日に行われる、慰霊祭の下見に訪れた市の職員だった。
被害届を受理した「巡査殿」は、開聞地区で立て続けに起きた事件に困惑していた。
〔4〕卒業式に出席〔3月23日記〕
3月22日、指宿市立12の小学校で一斉に「卒業式」が行われた。「大成小」では「第98回卒業式」で未来へ向かって羽ばたく、「48人」の児童が学び舎を後にした。
左は、第23代目の「鮫島(さめしま)恵子(けいこ)」校長。右は、「上村(うえむら)欣久(としひさ)」副市長
この3月で鹿児島県内の3市3町1村の小学校22校、中学校4校の計26校が廃校になる。この数は過去10年間で最も多<、26校の内9校が南大隈町。その中の鹿屋市鶴羽小は、創立144年の歴史に幕を閉じると、南日本新聞は伝えている。
〔5〕花のプレゼント〔3月24曰記〕
鹿児島県薩摩半島の南端で、「長崎鼻パーキングガーデン」を運営する「星隈弘-」社長から、自社のお花畑に咲き誇っている「キンギョソウ」がたくさん届いた.そのため、亡師のお墓と自宅の仏壇にお花を飾った。
この季節になると、「長崎鼻パーキングガーデン」のお花畑には観光客が訪れて、お花刈りを楽しんでいる。又、昭和40年ごろ、愛知県豊橋から伊良子岬へ同僚らとドライブに出掛けた際、途中のお花畑は長崎鼻周辺の風景とそっくりだった。
〔6〕満開の桜の下で〔3月27日記〕
3月26日午後12時30分から指宿市山川、利永公園の満開の桜の下で71歳の同級生、男女16人が同席してお花見を開いた。今年は10日も早い開花だった。
又、指宿市かいもん山麓「ふれあい公園」内には、様々な桜が約400本植培されている。地域では云わずと知れた桜の名所であるが、3月31日現在、葉桜になった。
左は和田。右は昭和16年生まれの同級生(71歳)の16人
〔7〕教え子との別れ〔4月3日記〕
写真は3月31日の南日本新聞の一面に掲載された、鹿児島県内の離島に赴任する教職員を見送る光景です。4月1日付で離島へ転勤になる恩師の見送りには、大勢の教え子や保護者らが横断幕やのぼりを手にして、鹿児島新港の岸壁に駆け付け付ける。
指宿市立12の小学校で414人。5の中学校で326人。山川高、指宿高、指宿商、3校で345人が卒業した。
そして校歌やエールが響くなか、船が汽笛を鳴らし岸壁を離れると、別れを惜しむ5色の紙テープが乱れ飛び、恩師の名を呼ぶ声がー段と大きくなる。毎年恒例の悲しい別れの光景は、春3月の風物詩になっている。
又、指宿市立大成小からは、種子島の教育委員会へと与論島の小学校へ旅立った。
〔8〕幼稚園の廃園〔4月3日記〕
少子化はどこの市町村でも深刻な問題である。昭和54年〔1979〕4月に開園した「山川幼稚園」が、3月15日の卒園式で14人の卒園者を最後に閉園になった。
これも子供の減少によるもので、平成13年度以降の入園者は20人。そして、この34年間に1、577人の園児らが巣立っていったという。
〔9〕登山道の完成〔4月3日記〕
登山者で賑う開聞岳の登山道は、雨が降るたびに荒らされて、危険な箇所もあった。そのため、平成24年10月から約3千万円の経費をかけて、登山道の整備や5合目に展望デッキ、7~8合目付近の登山道の切れ目をつなぐ、桟道工事をしていたが平成25年2月下旬に完成した。
開聞岳には年間2万人超の登山者が訪れている。まだ登山されていない方はぜひ、お越しください。そして山頂から360度見渡せる景観をこの機会に体験してください。
〔10〕カツオ節の原料が高騰〔4月3日記〕
4月1日、「かつお節」工場で働く妻によると「今日、山川港に水揚げされた冷凍「かつお」が、4年前の平均価格〔119円〕の2倍、1㌔240円に高騰した。このまま操業を続けると会社は赤字になるし、今後の事を男の従業員たちは会社で話し合っている。又、廃業を決めた会社もある」と、真剣な眼差しで語る。
山川外港に停泊している漁船員によると、「漁獲規制がまだ続いているし、缶詰の需要が世界的に伸びている。又、最近の円安も影響している。だから日本の漁船も価格のいい海外へ水揚げする、現在は様々な要因が重なって高騰を招いているのだ」という。
上の写真は、開聞岳5合目に新設された晨望デッキ。ガイドクラブの方から提供。
右横の写真は、4月2日付けの南日本新聞から。山川外港で冷凍かつおの水揚げ。
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.6 平成25年3月30日発
〔1〕ソフトポール大会〔3月6日記〕
3月3日、「第39回、鹿児島県ちびっこソフトボール大会」が霧島市の春山緑地公園など、10会場で行われた。大会は県内11地区から男女225チームが出場。指宿地区からは大成スポーツ少年団、開聞スポーツ少年団を含む9チームが出場した。そして、日ごろの練習成果を発揮し、頂点を目指して試合に挑んだ。
しかし「大成ス」の選手らは、「―回戦で春山スに4対0で負けた~」と悔しがっていた。又、開聞スポーツ少年団育成会の「原村」氏によると、「開聞ス」は「中沖大崎連合チーム」と対戦し、1対0で勝っていたが途中で追いつかれて1対1の同点になった。互角の試合運びだったが最終回で長打を打たれて、サヨナラ負けをした」という。一日目の試合に勝ち進むと又10日に試合があり、17日には決勝戦が行われる。
この大会は県内最大のソフトボール大会と云われ、米大り一グで活躍し今季、阪神へ入団した「福留孝介」選手らを、プロ野球へ数多く輩出しているという。又、白球を追いかける子供たちが、プロ野球選手を目指して羽ばたく、登竜門の大会となっています。
3月17日、霧島市春山緑地公園で行われた「ちぴっ子ソフトボール大会」の決勝戦で、「東谷山チーム」が優勝しヽ225チームの頂点にたった。又、女子は日置チームが9年ぷりヽ2回目の優勝に輝いだと、3月18日付けの南日本新聞は伝えている。
〔2〕開かずの扉〔3月8日記〕
左の写真は、支持者へ不当判決の報告。写真は3月8日付けの南日本新聞から
3月6日午後11時55分ごろのテレビは「名古屋高裁と鹿児島地裁で再審請求を棄却した」と、臨時ニュースを伝えた。成城大学の「指宿信」教授は鹿児島地裁が下した判決は不当判決だと、刑事法学者の抗議声明を発表している。そして、南日本新聞は大崎事件について3月7日~8日の2回、特集で報道した。
この大崎事件では円満家庭の夫婦がある日突然逮捕された。妻の「原ロアヤ85さん」は
逮捕以来34年間、―貫して無実を訴え続けている。桜が満開のこの時期。年老いた老女ヘー刻も早い「無実」の花を咲かせてあげたいものだ。又、「原ロアヤさん」のやるせない心情を思うと、映画やテレビドラマに登場する、「大岡越前守」や桜吹雪を身体に掘った刺青判官、「遠山金四郎」のように胸のすくう温情判決を下す裁判官が、この世にいないのがとても残念だ。
〔3〕45年前の内緒話〔3月8日記〕
裁判官で思い出した。俺がタクシー乗務員をしていた昭和43年〔1968〕6月ごろ、指宿のホテルから「裁判官だ」と名乗る57歳の男性を、鹿児島「鴨池空港」へ送って行った事があった。車内での雑談で、仲間の首切り撤回争議で名古屋地裁の法廷へ何度も足を運んだ事や又、ある法学者から講座を受けた事などを話すと、乗客の男性は「他言するなよ」の約束で、ダジャレ話を語った。
空港で下車の際、「身分は明かせない」と、名刺はくれなかった。だから乗客の男性が「裁判官だった」との証拠は何もない。今回、不可解な事件の棄却。45年前のあの乗客の男性ならどのような判決を下すだろうかとつくづく思う今日この頃である。
〔4〕レポート
3月9日、指宿市立大成小の「鮫島」校長から、「3月18日に最後の全校朝会がありますのでコメントを」と求められた。そのため「大成小、教職員の皆様へ」と題して下記のレポートを提出した。
大成小、教職員の皆様へ
将来を担う子供たちのために連日、奮闘されている教職員の皆様に心から敬意を表します。私が平成22年4月1日付けで、成川地域の交通安全の役員と大成小のスクールガードを引き受けて横断歩道に立ち始めてから、4月8日で3年目を迎えます。
そして、成川地域から登校してくる123名の児童一人ひとりに「おはようございます」と、声を掛けても半数以上の児童が挨拶なしでした。無理もありません。いかつい顔の「おじさん」から突然、大きな声で「おはようございます」と、声を掛けられた児童らは思わずびっくりして声が出なかったのです。
がっかりした私は、「もう横断歩道に立つのは、やめよう」と、思いつつ2学期を迎えたある日、―人の女の子が「いつも有難うございます。暑いから熱中症にならないように気を付けて下さいね~」と丁寧な挨拶をされました。私はこの言葉を耳にして、宙に舞い上がるほど感動ました。その一言に救われて3年間も続いて来たのです。
お蔭様で児童らもこの3年の間に私の顔になじんでくれたのか、今では自分から先に挨拶をする児童が多くなりました。
又、いつの時代でも「校長」先生の要職に付く方は厳格な方が多く、なかなか近寄りがたいものです。先任者の「男」の校長先生らが横断歩道に立っていたとき、児童らは「おはようございます」の挨拶は交わすがそれ以上の言葉はなく、何か怯えている様にも見受けました。
しかし、昨年の4月から「女の校長」先生が横断歩道へ立つようになると、児童らは女の校長先生へ心の中に安心感を抱いたのか、―人ひとりの瞳が活き活きと輝いてきました。そして、自分から進んで挨拶するようになりました。私はこの児童らの心の変化に驚きを感じています。
又、女の「校長」先生と朝の挨拶を交わした児童の中には、「校長先生あのね~」と話しこんできます。それに「校長」先生も耳を傾けて「うん、うん」と、うなずいて接している。あの微笑ましい光景を目にすると心が和みます。そして、通りすがりの多くの方々にも好感を与えています。
3月3日に地域の奉仕作業があった際、「大成小の子どんの挨拶がわっぜ~よか」と、みんなが褒めていました。又、近隣集落民の間でも大成小の「朝の挨拶運動」が話題になっています。この地域住民のお褒めの声を聴く度、「これも一重に先生方のご指導の賜物である」と、私は感激しています。
そして横断歩道に立っていると、様々な人間ドラマも生れます。小川地区から毎朝午前7時ごろ、自転車で「山川駅」へ行<男の高校生が私の目の前を通ります。その度に私は「おはよう、がんばれよ~」と、声を掛けてきました。しかし、高校生は一言も云わず私の好意を無視して通過していく。この腹ただしい状態が2年間、続きました。
処が昨年4月、新学期に入ったとたん、自分の方から「おはようございます」と云いつつ頭をチョコンと下げて、私の目の前を通り過ぎて行くようになりました。この高校生は3年目にしてやっと、人への挨拶が出来るまでに成長したのです。今思うと、私はこの高校生から無視され続けてきたが、「おはよう」の声掛けを続けて来てほんとうに良かったと思っています。「継続は力なり」が通じたのです。
又、挨拶の出来る人はみんなから親しまれ、どこでもリーダー的存在になります。そのため、今のうちにしっかりと「おはよう、こんにちは、さよなら、有難う」など基礎の挨拶が出来る子に育てていくのが、我々大人の責任でもあります。そして横断歩道に立つ私には車中から手を上げたり、頭を下げたり会釈して通り過ぎて往く方が多<なりました。日ごろは知らん振りをしていても、みんなは蔭ながら応援してくれています。
現在、横断歩道に立つのも仕事の合間にしか出来ませんが、この多<の方々の応援に感謝しつつ、身体の元気なうちは微力ながら続けてまいります。そのためにも皆様方のご指導とご鞭撻の程を宜しくお願い致します。
平成25年3月11日
大成小スクールガード和田 寛
〔5〕努力が認められた。
指宿市立「大成小」の児童らが毎朝行っている「朝の挨拶」が去る、12月23日付けの南日本新聞で県内一円に伝えられた。それが県の教育関係者らの目に留まり、公益社団法人「小さな親切」運動本部から3月18日、「小さな親切」実行章を受賞した。
写真右は、賞状を手にして喜ぶ「鮫島恵子」校長。撮影=3月19日、和田寛。
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.5 平成25年3月15日発
〔1〕駅伝大会の続報
去る2月16日にスタートし、5日間で53区間588.6㌔のコースを12チームの選手、252名が早春の薩摩、大隅路を駆け抜ける、「第60回記念、鹿児島県下―周駅伝競走大会」は、姶良チームが4年ぶりに優勝を飾り、2月20日に幕を閉じた。
左は2月16日午前11時45分、山川高校前を7位で力走する山川の室屋将史選手。右は第5中継所の指宿市山川「利永小学校」。4区の走者「室屋将史」選李から「タスキ」を受け取る開聞、おろんくち集落の「吉永竜聖」選手。後ろの3人の選手と、制限時間内に「タスキ」が届かなかった、8位から5チームの5選手が同時にスタートした。そして県民が熱狂した駅伝が終わると、2月は逃げるように過ぎ去り春が訪れる。
〔2〕鉱油の高騰
2月19日〔雨〕午後4時、行き付けのJAスタンドで軽油20リットルを給油したら、2,840円請求された。10日ごろ給油した際は、1㍑135円の2,700円だった。予告なしのいきなり1㍑142円、7円の値上げに思わず「えっ」と、腰を抜かさんばかりにびっくりして自分の耳を疑った。女店員に、「何時から値上げになったの」と尋ねると、「今日〔19日〕の分は先ほど精算したので、明日〔20日〕からの値上げ価格になった=という。
この高騰は円安傾向で輸入品が高くなったのが原因だ。現在、軽油1㍑142円。レギユラーガソリン1㍑155円。96円だった灯油も108円だ。スタンドマンによると、「まだまだ上がる」という。うなぎ上がりの価格に家計は悲鳴を上げている。
〔3〕子供は風の子
写真は指宿市立大成小の「鮫島校長」と「36の瞳」=18名=の一年生です。この児童らは冷たい雨が降る日も、寒風が吹き荒れる日も、毎朝「半袖シャツと短パン」の体操服で校門前に立ち、大声で朝の挨拶をしています。
そして、最後のー人が登校を終えると一列に並び、「和田さん、有難うございました」とお礼を述べて教室へ向かう。お蔭様で横断歩道に立つ俺も、この子らの元気な声に励まされています。
〔4〕交通違反と飲酒事故
指宿市山川岡児ケ水の区営温泉から、浜児ケ水へ抜ける道路の一部分はスクールゾーンになっているため、午前7時~9時までと午後3時~5時まで車は通行禁止だ。そのためこの時間帯の車は、迂回路を通る事になっている。
2月8日、川尻集落から毎日「浜ん湯」へ来る「M山」氏は、ついうっかりしてこの道路を通り、検問中のパトカーも連れて午後4時30分に「浜ん湯」へ来た。罰金7,000円、点数2減点。=今日の「浜ん湯」は高くついた=とぼやいていた。
写真上は、岡児ケ水から浜児ケ水へのスクールソーン。迂回路は左へ行く。
写真下は、浜児ケ水から岡児ケ水へのスクールソーン。迂回路は右へ行く。
2月25日付けの南日本新聞は、=指宿市開聞仙田の「上佛博幹45」は、基準値を超える酒気帯で軽乗用車を運転し、24日の午前1時20分頃、成川の国道で信号待ちの軽乗用車に追突。酒気帯で現行犯逮捕された=と報じている。身から出たさび。飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。この原則を守れば事故もせず家庭も円満だ。みなさん、お互いに気を付けましょう。
〔5〕恩師のお墓参り
2月24日は平成17年に80歳で逝去した、恩師の8年目の命日だった。そのため、妻と娘と3人で山川街の山下墓地に眠る恩師のお墓参りに出掛けた。そして、愛煙家だった恩師の墓前に火の点いた「たばこ」を供えて冥福を祈った。又、お墓に来ていた恩師の奥様に会うと、「うちの人はよか教え子を持って幸せだ」と涙ぐんだ。
〔6〕税の申告
2月25日午前10時、今年も国会議員と高級官僚を養うため、指宿税務署へ出向いて26年度の税申告をした。一年ぶりに訪れた税務署は、いつの間に建て替えたのか新築の庁舎になっていた。
又、昨年は椅子に座って申告の手続きをしていたが今年は、申告者も男性職員も申告をパソコンに打ち込む女性職員も、立ちっぱなしの事務処理だった。女性職員に、「ご苦労様」の言葉を掛けると、「足がパンパンに腫れて痛い」という返答に同情した。
右、写真の道路を真っ直ぐ200㍍ほど行くと昭和32・3年頃、プロ野球の「国鉄スワローズ」が合宿の際、「金田正一」投手らが宿泊していた「浜田旅館」があった。その当時は指宿の街に「ホテル」がなく、「浜田旅館」は一番大きな旅館だったそうだ。現在は鹿児島の大企業が所有しているが荒地になっている。
〔7〕愉快なCM
鹿児島MBCテレビで不動産会社の「川商ハウス」が、「アパートマンション~、川商で探せ、仕事と彼女~、自分で探せ」という、CMを放映している。登場人物らの演技があまりも面白くて、つい腹を抱えて吹き出してしまう。噂では、指宿市開聞川尻出身の方が社長だという。
3月1日午前8時、大成小の児童らの登校を見届けて帰宅する寸前、見ず知らずの男性が「和田さん仕事を紹介してくれ」と、尋ねて来た。そのため、人材派遺センターとタクシー会社を紹介したが、川商ハウスのCMのように「仕事と彼女、自分で探せ」と云いたかった。
〔8〕農繁期
2月4日、こちらの農家は現在「豆類」、「野菜類」、「人参」の収穫や「春かぼちや」、「サツマイモ」のなどの作付け準備に追われて、活気付いています。
左の写真は「かぼちゃ」畑。右の写真は「小川地区」の農家が4反歩の畑に、「サツマイモ」の作付け準備をしているところです。芋のツルは3月下旬に植えるそうだ。
〔9〕農林水産大臣賞に輝く
地域の農家の方々が新鮮な農産物を持ち寄り、低価格で販売している指宿市開聞上仙田の「おふくろの里」がこの度、農山漁村女性シニア活動で、農林水産大臣から表彰された。
「おふくろの里」は昭和62年〔1987〕、「そうめん流し」の駐車場で無人販売をはじめたのち、平成9年〔1997〕に現在の「おふくろの里」になった。
3月6日午前8時45分頃、帰宅中に立ち寄り「おめでとう」の言葉を述べると、「有難うございます」と喜びの返答があった。現在、12名の女性で運営しているそうだ。
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.4 平成25年2月28日発
〔1〕―足早い春〔2月7日記〕
2月1日、かいもん山麓「ふれあい公園」の管理棟売店と、「コミュニティーセンターゆとり館」、「そばの館」の玄関へ女性職員が「ひな人形」を飾ってくれた。
M係長の笑い声が響きわたる職場は、「ひな人形」のお蔭でー段と華やいでいる。又、開聞岳登山でクタクタに疲れた身体を癒し、来園者の心を和ませてくれます。
「ひな人形」は3月3日まで展示する。この機会に皆さんもぜひ御来園下さい。
桜並木のトンネルを約60㍍先へ行くと、開聞岳2合目の登山口だ。又、この桜は、静岡県伊豆地方の「カワヅ」という地名を付けた、「カワヅザクラ」だそうです。毎年、満開に咲き誇る桜は見てきたが、「カワヅザクラ」の名を聴くのは初めてだ。
「カワヅザクラ」は、「カンヒザクラ」と「オオシマザクラ」の交雑種といわれ、約一ヶ月近く咲き誇るのが特徴だそうです。満開の桜には小鳥が群がり、賑やかにさえずりながら美味しそうに蜜を吸っている。〔2月13日、今が見ごろです〕
上の2枚は2月3日に、下の写真は2月10日、携帯電話のカメラで撮影
〔2〕防災ハーザドマップ〔2月7日記〕
東日本の大津波以降、指宿市山川地区では、災害時の避難場所になっている公共施設に、「ここは標高○○㍍」と海面からの高さを表記して、地域住民に知らせている。雑用の合間に調べたら下記の通りだった。
山川図書館は、元「大成中」の正門前。山川勤体は、元「大成中」から東へ200㍍先。山川中は、元「大成中」から南東へ200㍍先、和田邸の前にある。〔和田邸は73㍍〕
〔3〕沖縄のおみやげ
2月2~3日の2日間、沖縄で「鹿児島~沖縄交流400周年事業」の文化祭が開催された。その文化祭に300年前から利永地区へ伝わる、「琉球傘踊り」が特別招待され、踊り手の子供たちとその保護者、「傘踊り」の保存会員ら40人が沖縄へ渡った。
2月8日午後6時、傘踊りの唄い手「松山力男」氏が来宅し「この度は寄付金、有難う御座いました」と、お礼と「沖縄みやげ」を持ってきた。そして、「異国情緒の衣装を身に付けた子供たちは、沖縄県民が大勢見守るなかで堂々と踊った。
又、子供たちが華麗に舞う姿に沖縄県人らは、先人たちが異国の地の人々に伝えた、〔琉球傘踊り〕に感動していた。お蔭様で我々もよか歓待を受けたし子供たちもよか体験をした」と顔をほころばせた。
余談になるが、大阪府守口市在住の「西村孝男」氏の粋な計らいで、平成22年に発行した「おいどんが村、利永今昔物語」が沖縄県知事室に一冊、沖縄県の図書館に一冊展示、予備が一冊、計3冊が沖縄県に寄贈されている。
そのためか、「利永今昔物語」の執筆に関わった者として、沖繩県には親近感を感じている。又、利永地区と沖縄県とは、今後も交流が盛んに行われる事を願う……、
〔4〕巨大な桜島大根〔2月12日記〕
2月10日晴、午前9時にカメラとペンとメモ用紙を持って、ぶらり歩きに出掛けた。我が家から約4㌔先の指宿市山川港、道の駅「活お街道」へ立ち寄ると駐車場は満車だった。店内には、指宿市尾掛地区の「中村海幸59」さんが、マメ畑の隅に植えていたという重さ35㌔、長さ75㌢もある巨大な桜島大根が展示されていた。
これまでの桜島大根はI0~30㌔だったという。今回、展示している桜島大根は、ギネス記録を上回るそうです。
珍しさのあまり手の平でポンポンと軽く叩く者、カメラに収める者など、様々な思いを込めて眺めていた。巷では暗いニュースばかりだが、久々の明るい話題になった。
〔5〕歩きの途中で〔2月12日記〕
道の駅から川尻地区へ帰る車に徳光地区まで乗せて頂いた。農道を歩いていると、ダンボール箱ヘキャペツを詰めて、出荷の準備をしていた。
生産者に話を聞くと、「昨年、値が良かったで、ことしや2反歩よけいに植えた。とこいが、北国が豪雪で白菜、レタス、キャペツなどの青物野菜がたらんもんじやっで、いま出荷を急いどっとこい。
3年前は値が下落して箱代にもならんじ、3反歩のキャベツ畑をトラクターでかき混ぜたどん、ことしや捨てるキャベツはひとつもなか」という。額に汗して働く76歳の農夫は、活力に満ちていた。そして2時間30分のぶらり歩きで、よか情報を見聞きした。
〔6〕大成中の名残
指宿郡山川町立大成中学校は山川西中、山川中の3校と昭和50年4月に統合した。そして生徒らは新設された、「山川町立山川統合中学校」へ通学する様になった。
その後、大成中の校舎は崩され、校舎の敷地は整地されて「大成グランド」になった。女子サッカーで活躍している「福元美穂」選手は小中校時代、この大成グランドでサッカーの練習に励み、2012年のロンドン五輪で優秀な美を飾った。
又、大成中の体育館だけは残して、2年前までは使用されていたがこの度老朽化が進み、2月12日から取り壊しの工事が始まった。工期は3月25日まで。
第60回、鹿児島県下一周市郡対抗駅伝競走大会
〔7〕県下一周駅伝大会
2月16日、郷土の期待と声援を一身に受けて力走し、一本の「タスキ」を次の走者へ渡す県下一周市郡対抗駅伝競走大会が始まった。
又、この大会は2月20日までの5日間行われ、県内12地区の代表選手252名が53区間588.6㌔の薩摩、大隈路のコースで追いつ、追われつの熱戦が繰り広げられます。そして、コースの沿道で声援を送る多くの県民に、「夢と勇気と感動」を与える
県下―周駅伝大会は、早春の風物詩のひとつに数えられています。
今回で60回目の記念大会となったその切っ掛けは、敗戦後、米軍の統治下に置かれていた奄美群島が昭和28年に日本へ復帰したのと、南日本ラジオ放送が開局したのを記念して始まった、と云われています。〔NHKのテレビ放映もこの年に始まった〕
そして、国内で長く続いている駅伝大会は、「鹿児島県だけ」だそうです。
2月16日、我が郷土の指宿チームは午後12時30分ごろ、第5中継所の利永小学校
前に6位で次の走者へ「タスキ」を渡した。その後の8位からは「タスキ」を受け取ることが出来ず、5チームが同時にスタートして第6中継所の「頴娃高校」前へ向かった。又、タスキを渡す事が出来なかった選手は、無念の涙を流していたという。駅伝競走は義理も人情もない、過酷なレースである。〔写真は南日本新聞から転写〕
結果は、1位姶良、2位鹿児島、3位川辺、4位日置、5位出水
指宿チームは昨年10位から9位へ順位を1位上げ、躍進順位は6位でした。
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.3 平成25年2月15日発
〔1〕激動の年明け〔1月21日記〕
「故郷ニュースN0、1」で、「巳年は激動の年だ」と、述べたが俺の予見が的中した。
★その〔1〕
1月16日、故郷の各地域では正月の伝統行事で賑っている最中、大勢の多国籍人が働<アルジェリア南東部イナメナスの油田ガス施設を、イスラム武装勢力が襲撃した。多数の死傷者の中に、「鹿児島県肝付町出身の男性〔64〕もいる」と、新聞テレビは伝えた。この事件は、世界の政治情勢を揺るがす大事件となった。
★その〔2〕-〔1月28日記〕
薩摩半島の最南端長崎鼻から77㌔先に、東シナ海の洋上に浮かぶ屋久島がある。1月21日午前3時25分頃、屋久島町永田集落で住宅9棟が全半焼する火災が発生。20人が焼け出され、2人の遺体が見つかったという。
県警は放火と見て、隣人の男性とトラブルがあった75歳の男性を、任意で事情聴取していたが25日、連続放火殺人で逮捕した。
そして新聞テレビは、過疎の村で静かに暮らす住民らを、恐怖に陥れた事の重大さ7日間も伝えた。〔1月28日現在〕。
正月早々から、激動の巳の年が始まった。 〔記事の一部と写真は南日本新聞から〕
〔2〕初詣に長蛇の列〔1月28日記〕
元旦に南九州市頴娃町別府の「釜ふた神社」へ、家族と初詣に行った知人によると、「参拝者が多くて、国道脇の別府温泉から約400㍍先の神社まで2時間も掛かった。狭い道路は行きも帰りも長蛇の列で混雑した」という。
釜のふたを頭に載せて、お参りする観光客
1月14日付けの南日本新聞によると、=元日に8000人。2日に6000人。3日に5000人。3日間で、推計1万9000人が参拝に訪れた=とあった。〔昨年は1万人だった〕
又、1月4日には、「なでしこャパン」の守護神「福元美穂」選手も参拝に訪れたと、伝えている。40数年前、俺がスナックのママに連れられて参拝した無名の神社が、これ程までに有名になるとは・・・・地元の方々も想像していなかっただろう。
〔3〕いぶすき菜の花マーチ
26日は40㌔に592人、25㌔に1606人、12㌔に2253人の計4451人が参加し、3コースに分かれて早春の「菜の花」が香る、本土最南端の指宿路を、思い思いのペースで歩いていた。〔人数はイベント広場の会場で確認〕
27日の会場ではB級グルメも開催され、大勢の人出で賑った。〔人数は確認なし〕
H24年度の「かいもん会場」の参加者は5666人。〔今年は-1215人滅〕
「いぶすき会場」の参加者は8390人。〔会場での人数は確認出来ず〕
2日間で延べ1万4056人の参加者だった。〔人数は電話で確認〕
〔4〕お礼のチラシ〔1月29日記〕
「第32回、いぶすき菜の花マラソン大会」の実行委員会から、約1万9180戸の各家庭へ「御協力有難うございました」と、お礼のチラシが配布された。チラシには、「全国から最多の1万8573名のランナーがスタートし、1万4203名が完走」とあった。〔ランナーのみなさん、ご苦労様でした。〕
当日は朝から冷たい雨が降り、時折冷たい強風が吹き荒れた。そのため、途中で体調を崩し、リタイア〔4370人〕するランナーが続出した。そのなかには、救急車で病院へ搬送されるランナーもいた。しかし、「菜の花マラソン大会」と「菜の花マーチ大会」には、全国各地から大勢の参加者が駆け付けて、不況で長引く指宿の街に活力と潤いをもたらしています。
〔5〕天候不良と小鳥の被害〔1月31日記〕
1月30日、懇意にしている農家の方から、「見た目は悪かどん、中の実はいげんじやなかでね」と、霜被害と小鳥に食い荒らされ商品にならない「実えんどう」を頂いた。
山川地区は「実えんどう」の栽培面積日本一を誇り、「実えんどうの里」と呼ばれています。 11月中旬から「スナップエンドウ」と「そらまめ」が、12月に入って「実えんどう」の出荷が始まり、生産者の農家は活気づいています。〔出荷は4月中旬まである〕
処が、日照不足と低温で「豆」の発育が遅れて収穫ができず、市場では品不足で1月31日現在、A級の「豆」が1㌔700円。C級の「豆」が300円しているという。
又、この時期になると「豆」泥棒が横行し、手当たり次第に「豆畑」を荒らしているそうだ。ある農家の方によると、=「豆」を食い荒らす小鳥は、ガス鉄砲の音を響かせて追っ払っているが、「豆」泥棒から「豆」を守る手段はない=と、語気を荒げた。
〔6〕琉球傘踊り、招待される
指宿市山川利永地区に300年前から伝わる「琉球傘踊り」が、2月2~3日に沖縄の那覇市で開催される、平成24年度の鹿児島~沖縄文化交流400周年記念行事」に招待された。そして踊り手の小中学生とその保護者、総勢40人が沖縄へ渡つた。
我が故郷、利永地区の「琉球傘踊り」は昭和22年3月、「今和泉村立利永中学校」が創設され際、その落成式に村民が見守る中で、踊ったのを最後に途切れてしまった。
しかし、明治9年〔1876〕に創設された「利永小学校」が、昭和52年〔1977〕5月18日に100周年を迎えた。その記念行事と体育館の落成式を兼ねた祝賀会で、「傘踊り」が30年ぶりに披露されたのです。「傘踊り」を教えたのは「松山保徳」氏だった。
その後、山川町役場を訪れた沖縄の職員に、利永地区の「琉球傘踊り」を紹介したのがきっけとなり、利永地区との交流が始まった。そして、これまでに何回か沖縄の行事や文化祭などに招待されて、「傘踊り」を披露している。我が弟によると、「初めて招待された際は、びっくりする程の歓待を受けた」という。
現在の「傘踊り」は「無形民俗芸能」として、利永地区の小中学生の子供らに踊り継がれています。そして、様々な行事に招かれて、大勢の観客の前で踊っている。
〔7〕キャプテン福元美穂選手「岡山湯郷Belleチーム」IN指宿
女子サッカーで活躍中の指宿市成川出身の「福元美穂」選手が所属する岡山湯郷Belle〔ベル〕チーム総勢24人が、1月29日~2月2日までの5日間、指宿「いわさきホテル」ヘキャンプに来た。同チームには、指宿市出身の高橋悠、安田邦子選手らが所属している。〔監督は、種田桂織〕
豊留市長から目録を受け取る「福元美穂」選手。1月30日の南日本新聞から転写した。
激励に訪れた「豊留悦男」指宿市長は黒豚、カンパチ、茶、ソラマメなどの目録を贈呈した。又、ホテルのサッカー場での練習には、子供から大人までのサッカーファンが訪れて、プロ選手が繰り出す足技に見入り、声援を送った。そして2月2日午前10時、5日間のキャンプを終えて午後1時、指宿「いわさきホテル」を後にした。
〔8〕福元選手からのプレゼント
指宿市立大成小の「鮫島」校長は、「福元選手が指宿市立12の小学校へ、サッカーボール100個をプレゼントしてくれた。そのうちの10個が〔大成小〕へ届いた。子供たちは体育の時間やクラブ活動にピッカ、ピッカのボールを使っている。子供たちも大きな夢をもち、それに向かって積極的にチャレンジしてほしい」と、喜んでいた。
〔9〕お客様は神様です
歳月が過ぎ行くのは早いものだ。国立指宿病院の横へ、指宿市郡-の売り場面積を誇る大型スーパー「ニシムタ」が、新装開店して5周年になるそうだ。我が家から東へ約4㌔。先にある「ニシムタ」は食料、日用品、衣類、建材、農業用材など、諸々の商品を数多く取り揃えて激安で販売し、地域社会へ貢献している。又、店員のみなさんはとても親切で、何事にも迅速に応じてくれます。
かいもの客で賑わうニシムタ指宿店 平成25年2月3日
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.2 平成25年1月30日発
〔1〕開聞岳への初登山者数〔1月5日記〕
H25年1月1日は「388人」=。2日は「255人」=。3日は「172人」。計=812人。開聞岳登山道入り口にあるカウンターが記録した、正月3が日の登山者数である。参考のため、昨年は「505人」。昨年と比較して今年は307人の増だった。
〔2〕開聞岳の誕生〔1月5日記〕
―説によると、=開聞岳が誕生したのは今から、4000年前の縄文時代。4000年前に噴火を開始し、平安時代の「貞観、仁和」年間に最後の噴火をするまで、約3000年間にわたって活動していた=という。
○平安時代の貞観16年〔874〕3月25日の噴火で、周辺地域は大被害を受けた。〔1139年前〕。11年後の仁和元年〔885〕が最後の噴火。2013年から数えて1128年前のことである。
〔3〕開聞岳は三大富士のーつ〔1月5日記〕
40歳から百名山登山に挑戦し、後4つで夢が達成するという栃木県から開聞岳登山に来た65歳の男性から、=日本には「一富士」と呼ばれる山が約500ある。その中でも「天下の三富士」と云われるのが本家の「富士山」、津軽富士の「岩木山」、薩摩富士の「開聞岳」だ=と教わった。〔1月4日午後4時30分、下山後の駐車場にて〕
〔4〕子供らの正月行事〔1月8日記〕
悪魔をはらい、子供の成長と一年間の無病息災を願う、子供らが主役で正月の伝統行事が1月2日、枕崎市「小江平」地区で「テゴテゴ」が又、1月6日、指宿市「尾掛」地区で「イシナイト」があった。処が「小江平」地区と「尾掛」地区とは約60Kの距離があるのに、両地区で行われる伝統行事は似通っている。
その〔1〕ハマテゴ〔破魔太鼓〕=こちらでは、太鼓のことを〔テゴ〕という。1月2日、小江平」地区では絣の着物に下駄履きの子供らが横-列に並び、転がってくる「ダイダイ」目がけて竹製の弓矢を放つ。運よ<射止めた子供は矢に剌さったダイダイを頭上高く揚げ、打ち鳴らす太鼓に合わせて、「テゴテゴ」と勝どきを上げる。すると一年間の無病息災が約束されるそうだ。又、ダイダイを使うのは、子孫や家が「代々」栄えるようにとの願いからだという。
1月6日、「尾掛」地区の「イシナイト」行事は、子供らが横一列に並び地面に置かれた的の「ボンタン」めがけて竹製の弓矢を放ち、1年間の幸運や健康を祈願する。ここまでは小江平地区のテゴテゴと似ている。そして見物の住民らは「イシナイト、イシナイト。何じゃなか飛べよ」の掛け声を送る。そして、的を射抜くと歓声が上がる。
その〔2〕サンコンメ祭り
1月7日、小銭をいっぱい詰め込んだ長さ約2㍍の竹筒を中学生が担ぎ、くるくる回り勢いよく地面に叩き付ける。割れた竹筒から小銭が飛び散ると子供らが競って拾う。集落内の5ケ所の辻々で行われる新年行事の「サンコンメ」祭りが指宿市山川「浜児ケ水」地区であった。又、午後4時からは海岸で鬼火たきが行われ集落民の無病息災と豊作を願った。
その〔3〕ダセチッ
1月14日、指宿市山川利永地区に古くから伝わる、「ダセチッ」行事が10軒の新婚家庭で行われた。約1㍍の「ダセ棒」を持った子供らは、新婚家庭を訪れて、「嫌な事があっても離婚せず、夫婦仲良く子宝つくりに励め」という意味の歌を唱えながら、持って来た「ダセ棒」で庭先を突く。すると家人は子供らにお菓子を配る。お菓子を頂いた子供らは次の新婚家庭へ行く。しかし、いずれの地域も小子化が進み、長年続いてきた伝統行事も危ぶまれている。
〔5〕還暦の記念撮影
1月11日午前7時、還暦を迎えた指宿市山川利永地区の方から、「同級生―同で還暦のお祓いをするから『枚聞神社』で記念写真を撮っくれ」との電話があった。=なぜ俺だ=と尋ねると、「40の厄払いで〔ヒロあんさん〕に撮ってもらったで、今回も頼めという者がいたからだ」という。
午前9時30分、指宿市開聞の枚聞〔ひらきき〕神社で還暦を迎えた男女39人の団体写真とその他、10数枚写した。すると、「午後6時からの宴会の写真も撮ってくれ」という。そして還暦祝いを喜ぶ皆さんを写した。帰り際、「来年の願戻しにも頼んでね」とお願いされたのでOKした。そして「人は頼りにされる内が華だ」と、つくづく思った。
〔6〕第32回、いぶすき菜の花マラソン大会
1月13日午前9時の号砲で1万8573人のランナーが、指宿「ふれあいブラザーなのはな館」前を一斉にスタートした。しかしこの日は気温13度。時々強い雨風が吹き付ける悪天候のため体調を崩し、途中でリタイアするランナーが続出。救急車で病院へ搬送される者もいた。大成小の「鮫島」校長によると=今回の大会へ大成小の教諭5名が出場し完走した。 又、女性教論は5年連続の出場でいずれも完走している。児童らの励みにもなる=と、健脚を褒め称えていた。
写真は「池田湖パラダイス」付近。満開の菜の花もマイペースで駆け抜けるランナーに声援を送っている。この中に、「朝の挨拶運勣」で児童らと校門前に立つ大成小の「野口」先生が写っている。1月14日付けの南日本新聞から転写した。
〔7〕友情の絆
義兄の法事のため、関東かいもん会の副会長「坂上政幸」氏が指宿市開聞上野ヘ帰省した。慌ただしい日程のなか1月17日午後6時30分から、開聞上仙田で畜産業を営む「東川勝-」氏宅へ、同級生ら10名が参席して杯を交わした。東川氏によると、「天皇陛下から賞状をもらうため上京した際、=坂上=にお世話になったからそのお礼だ」という。東川氏は畜産業の傍ら昭和45年4月、開聞地域の消防団へ入団したという。その後、人としての誠実さが多くの地域住民に信頼されて、消防団長へ任命された。そして防災、消化訓練などで団員の士気を高め、地域住民の命と財産を守ってきた。しかし平成20年3月、後進の者へ道を譲り勇退した。現在は消防団の後援会長として、微力ながら地域に貢献しているそうだ。東川宅は広い屋敷に鉄筋2階建ての豪邸だ。床の間には「日本国天皇は東川勝一に瑞宝双光章を与える」と、消防団活動42年間の実績と功績を称える賞状があった。「坂上」氏は東川氏へ、「君は同級生の誉れだ」と彼の人徳を称えた。
[8]メンドン祭り
1月20日、指宿市山川利永集落に古くから伝わる、「メンドン祭り」が行われた。午後4時、金をチンチン太鼓をドンドンと打ち鳴らしながら集落センターを出発。そのあとに神輿とお面をかぶり奇抜な衣装を身に付け、手には「ヘグロ=スス」を持った「メンドン」が続く。そして逃げ惑う子供らを追いかけて「ヘグロ」を塗る。集落内4㌔のコースで住民の歓声と悲鳴が響き渡り、一年間の無病息災を願った。
情報を発信する故郷ニュース 2013-NO.1 平成25年1月10日発
〔1〕謹賀新年〔1月1日記〕
みなさん、新年あけましておめでとうございます。皆様に於かれましては、良きお年をお迎えの事とお慶び申し上げます。
本年も「故郷と皆様とを結ぶ」虹の懸け橋、「故郷ニュース」を宜しくお願い致します。
〔2〕「巳」年の歩み〔1月1日記〕
干支の「巳」は古くから金運、財運の象徴とされ又、脱皮を繰り返すことから厄を払う、と云われています。その反面、世界的な出来事が勃発し激動の年とも云われる。
○俺は昭和16年〔1941〕12月20日の「巳年」生れだ。この12日前、日本軍は真珠湾に停泊中の米艦隊を奇襲攻撃して、激動の世界大戦へと突入した。
○昭和28年〔1953〕俺が利永小6年の「巳年」、米軍に統治されていた奄美群島が日本へ復帰した。そして、テレビ放映が開始された。
○昭和40年〔1965〕の「巳年」は、名古屋の生コン輸送会社にいた。そして、安保条約やベトナム戦争反対のデモに参加して「米軍はベトナムから出て行け」と、声高らかに叫んでいた。当時は正義感あふれる23歳の青年だった。
○昭和52年〔1977〕の「巳年」は、森松地区で「子ども会」の組織をつくり、地区の「お花見」行事と「十五夜」行事を立ち上げた。現在、35年間も続いている。
○1989年〔昭和64〕〕の「巳年」、「昭和天皇」が崩御され元号が昭和から平成元年に変わった。そしてドイツではベルリンの壁が崩壊した。又、妻の両親も相次いで逝去し、子供たちの間で骨肉の財産争いが始まった。
○平成13年〔2001〕の「巳」年に還暦を迎え、同級生らと3泊4日のアルペンルートの旅を楽しんだ。
○平成25年〔2013〕の「巳」年、古希も過ぎて6回目の年男となった。現在は警備会社から派遺されて、指宿市が管理する施設で警備員をしている。その傍ら、ポランティアで指宿市立大成小の横断歩道へ朝夕立ち、無邪気な子供らの安全を見守っている。又、交通安全成川支部の評議員として、微力ながらも地域に貢献しています。
そして、今年は安倍政権が始動する。「憲法」の改悪をもくろむ安倍総理の動きには危機感がつのる。激動の「巳」年になりそうだ。
〔3〕春の使者〔1月3日記〕
北国から豪雪が伝えられるなか、南国の指宿では一足早く春を告げる「菜の花」が見ごろを迎えて、観光客の目を楽しませています。
この「菜の花」は1月13日に行われる、第32回「いぶすき菜の花マラソン大会」と、26~27日に行われる、第21回「いぶすき菜の花マーチ」へ合う様に、指宿市観光課が10月14日からコースの沿道に植栽したものです。
写真は、JR最南端の「西大山駅」隣の「菜の花」畑です。指宿市では2月中句まで春の使者として「菜の花」を北海道や東京など、全国のイペント会場やホテルヘ提供しています。又、「菜の花」は漬物や天ぷらにすると、とてもおいしく召し上がれます。
〔5〕祝福のFAXと手紙〔H24年12月30日記〕
12月18日、指宿市立「利永小」の「赤石」校長から、=県外在住の方から、文部大臣受賞おめでとうのFAX、手紙が数通きた=との嬉しい知らせがあった。
又、赤石校長は指宿市役所を訪れて、受賞の喜びを「豊留市長」に報告した。そして広報「いぶすき」1月号に、「利永小が文部科学大臣表彰を受賞」と掲載された。
写真左から、豊留市長、利永小の養護員、赤石校長、池田教育長。
24年度の2学期は、児童らの活躍が注目された。
○利永小は「文部大臣賞」、
○開聞小は作文コンクールで2人の児童の作品が入選、
○徳光小と今和泉小は俳句大会で「学校賞」に輝いた。
○大成小は「朝の挨拶運動」が10数年続いている。
〔6〕朝の挨拶運動が新聞に掲載された。
南日本新聞指宿市局長の「浦牛原」記者へ、=大成小の児童らが校門前に立ち、朝の挨拶運動を行っている様子を取材して下さい=とお願いしたところ、12月18日多忙ななかを取材にきてくれた。そして12月23日の新聞に写真入りでデカデカと掲載されて、県内一円に伝えてくれました。ご協力誠に有難うございました。
〔7〕家出人〔H24年12月30日記〕
噂によると=12月18日ごろ指宿市開聞、脇浦集落のノイローゼ気味の男性〔42〕が預金から50万円引き出したのち、軽トラで家を出たまま行方不明になり、20日ごろ指宿署へ捜査願いを届け出て、大掛かりな捜索をしたが発見出来なかった。処が23日ごろ、福岡市内の防犯カメラに「写っている」との通報がありその後、長崎か佐賀で身柄を確保されたそうだ。 又、この男性は最近、切れ物を持ち歩いて振り回していたという。
〔8〕振り込め詐欺
12月10日、指宿市の農業男性〔50代〕の携帯電話へ、「ネットサイトの登録が長期滞納になっている」とのメールがあり、この男性は架空請求とも知らずIO日間で4回にわたって約1900万円を支払ったという。不審に思った家族が指宿署へ届け出て、騙された事が判った。
「浜ん湯」では、=金のあるところには、あるもんだ=と、湯船談議に花が咲いた。
〔9〕海難事故、その後
去る12月4日午後5時、山川港沖4≒の魚場で行方不明の船体は7日、深水60㍍の海底から引き揚げて、JR山川駅前の海岸に揚げてブルーのシートを被せている。船底に穴が開き、右舷側板に複数の亀裂、船橋の右にかすり傷、白のペンキが付いていた。そのため、当て逃げの疑いで捜素をしているという。
12月7日、深水60㍍の海底から引き揚げられた、第8栄久丸。撮影=1月3日、和田
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