関東かいもん会

開聞出身者の友情と親睦を深める「関東かいもん会」

平成24年度 故郷ニュース

故郷ニュース

情報を発信する故郷ニュース 2012-NO23 平成24年12月15日発

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〔1〕登山は危険がいっぱい〔11月22日記〕

11月17日〔土〕、雨のちくもりの天候のなかを開聞岳登山した、頴娃町「粟窪小」の5、6年と保護者39人は、下山中に9合目付近で身長1m60㎝、体重50㌔の6年生男児が足首を捻挫し、「山川、開聞消防分遺所」へSOSを発信した。午後4時50分頃、救助ヘリが飛来し雲に覆われて見え隠れする、9合目付近の上空を旋回しながら怪我人を捜したが、強風と視界が悪く「ヘリ」での捜査を打ち切った。そのため午後6時頃、開聞地区の各消防分団から救助隊が出動して、9合目で痛みをこらえてまだか、まだかと待ちわびる男児を救出し、午後11時頃病院へ搬送した。

〔2〕福元美穂選手の凱旋

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11月20日、サッカー「なでしこジャパン」のGK、「福元美穂」選手がメンバー仲間の「宮間あや」選手を伴って、-泊2日の日程で故郷の指宿市成川へ帰省した。そしてあわただしい日程のなか、指宿市役所を訪問した後、午後4時「宮間」選手とー緒に母校の「大成小」と「山川中」を訪れた。

又、福元選手の帰省を待ちわびていた後援会、サッカー関係者ら約600人が出席して、「いぶすき、いわさきホテル」で祝賀会を開催した。この席で「豊留悦男」市長は、「指宿に感動と夢を与えてくれた。今後の二人の活躍を期待する」と挨拶した。そして、北京五輪に続き2度目の市民栄誉賞を贈り、指宿市観光大使を委託した。
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11月20日の夜、指宿いわさきホテルの祝賀会の会場で、子供らと記念撮影する福元、宮間選手

又、宮間選手は、「彼女がいなければ、私はここにはいない」と、五輪での窮地を度々救った福元選手の活躍をたたえた。

〔3〕最後の競り市

11月22日、指宿市開聞にある「指宿中央家畜市場」で24年度、最後の「子牛」競り市が開かれた。この競り市は1月、3月、5月、7月、9月、11月の奇数月に年6回開かれている。
この日、子牛1頭を競りに出す開聞、上野地区の同級生によると、「子牛の価格が下落したままで9月の競り市では、良か子牛で35万円、平均28万円だった」という。今回は278頭の「子牛」が競りに掛けられて、新しい牛舎へと買い取られていった。
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〔4〕同級生の友情

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指宿市開聞、上仙田地区の「東川勝-71」氏とは、「浜ん湯」で時々一緒になる。温厚でロ数少ない「東川」氏によると、=畜産業を営む傍ら昭和45年4月、消防団ヘ入団し38年間、消防団活動に携わってきた。その内の20年間は、消防団長を務めてきたが平成20年3月、後進の者へ団長職を譲り退団した。現在は、後援会長を4年務めている。
この42年間の実績と功績が評価されて、「天皇陛下」から「瑞宝双光章」が贈られる事になり上京した。そして、皇居で授賞式のリハサールを済ませてホテルに帰ると、関東かいもん会「副会長」の「坂上政幸」氏が同郷の者10数人を急遽、集めて祝福の宴会を開いてくれた。彼とは開聞中の同級生で、彼は生徒会長だった。

世間では「自分さえ良かれぱ」という人物が多く、世知辛い世の中だがまこて義理が固くて面倒見のいい男だ=と、異郷の埼玉県で公私共に活躍されている「坂上政幸」氏に感謝している。 又、「坂上」氏と俺は、昭和23年4月から昭和30年3月まで利永小、中学校で同級生だった。

その当時の「坂上」氏は番長的な存在で少々近寄りがたい人物だった。しかし、人に対する面倒見は非常に良かった。現在は、零細企業の「故郷ニュース」社へ、様々な支援とアドバイスを頂いている。

〔5〕訂正とお詫び

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9月5日発「NO17号」の=〔7〕いじめ=の写真で、山川中の「北川教頭」は私の間違いでした。正式には、「北、英-郎48」教頭先生です。改めて訂正し、「北、教頭」先生には深くお詫び申し上げます。

写真左は、11月16日、地域の忘年会で同席して盃を交わした、指宿市立山川中の「北、英―郎」教頭。二次会は、和田邸だった。
「北、教頭」によると、=父親が公務員だったので転勤が多く、岐阜県各務原で過ごしたのが長かった=という。

平成25年度は「巳年」、俺は71歳になる。

〔6〕産業まつり

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12月1日〔土〕~2日〔日〕の2日間、第27回いぶすき「産業まつり」が開催された。
会場のサンシティホール内では、さつき、オモト、ラン、観音竹、観葉植物、盆栽など様々な物が展示され、即売会も行われていた。又、「利永小」の児童らは、学校菜園で丹精こめて育てた新鮮な大根を、一本50円で販売していた。

イベント広場では、指宿産の肉食のブリの解体ショーと試食など。特設テントでは、農協女性部の演芸、開聞神舞、約300年前から指宿宮ノ前地区に伝わる、唐人踊りの郷土芸能が披露され、歌手「樹山かよ」の歌謡ショーもあった。両日ともあいにくの天候不順であったが、大勢の市民が訪れて賑わっていた。

〔7〕名曲にうっとり

12月8日午後2時、指宿市山川文化ホールで鹿児島県、警察音楽隊の「ふれあいコンサート」が開催された。今回を見逃せば次回は10年後だとの風評に、「この世の見納めだ」との思い出で出掛けたら、会場は足の踏み場もない程の超満員だった。

そして、警察音楽隊と賛助出演の「山川中、吹奏楽部」の様々な楽器がひとつになって奏でる名曲と、「山川ツバベニ少年太鼓」のドンドンと腹の底まで響き渡る躍動感あふれる和太鼓の演奏に、観客はうっとりと聴き入っていた。又、演奏会が終了しても興奮が冷めやらぬ観客は、すっかり文化人に成った気分で会場を後にした。
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〔8〕新聞よむのびコンクール

こちらの小学校では、授業に新聞記事を活用しているという。そこで、南日本新聞、指宿地区販売店では、子供らが新聞を読んで更に知識を伸ばすため、「第4回、新聞よむのびコンクール」の作文を募集した処、指宿市内と旧頴娃町地区の16の小学校から、720人の作文がよせられた。
その厳選の結果、開聞小一年「前畠光貴」君と3年「加治樺音」君が又、徳光小5年「山崎晃士朗」君がー席の栄冠に輝いた。〔地域情報のいぶすき路から一部転載〕

〔9〕俳句大会

南九州市川辺出身の俳人、「福永耕二〔1938~80年〕」をしのび、今年も「第14回、南九州市、かわなべ青の俳句大会」が行われた。今回は県内外の小中高校、特別支援学校の児童生徒6万550人から、10万9、727句がよせられた。そして、20校が学校賞に選ばれたなかで、指宿市立徳光小と今和泉小の2校も受賞の栄冠に輝いた。

〔10〕師走の水難事故

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和田邸から東へ3軒隣の男性54は、12月4日 午後5時ごろ山川港を出港し、東約4㌔沖合いの魚場で僚船3隻と巻き網で「アジ」などを獲った。その後、僚船2隻は獲れた魚を積んで山川へ帰港した。処が、―人残った男性と達絡が取れなくなり、午前2時10分、山川漁協から山川海上保安署ヘ届け出た。僚船らによると=魚場から南西約300㍍の海上に水中から油が浮いているのが見つかった。
当夜は、船が転覆するような風は吹いてなかった=という。又、当て逃げの可能性もあり水深70㍍から船を引き上げて詳しく調べるという。6日現在陸、海、空から大掛かりな捜査をしている。
写真は山川外港から、約2㌔沖合いの沈没現場。巡視船「さつま」と潜水夫を乗せて現場へ急ぐ、山野水産所有の「飛燕丸」=撮影=H24年12月6日PM2時、和田寛

故郷ニュースご愛読のみなさん、今年は大変お世話になりました。現在身体が3つ程ほしい位の忙しさです。そのため、これが最後の記事になります。
みなさんも「よか」お正月をお迎えください。明日からは自宅を片付けます。

情報を発信する故郷ニュース 2012-NO22 平成24年11月30日発

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〔1〕ご難続き

数年間、俺の足として活躍してくれた愛車の大型バイクが、走行中に突然壊れた。その一週間後、24年間使用したスクーターが、又その一週間後、7年間「故郷ニュース」を書き続けたパソコンが壊れた。「2度あることは3度ある」ということわざが、みごとに的中した。いずれも、「古いから部品がない」という。
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仕方がなく、わずかばかりの「へそくり」を投げ出してパソコンを購入した。しかしバイクの方は年末を控えての出費に妻の決済がなかなか下りず、退職後の楽しみにしていた東北へのツーリングも難しくなった。

〔2〕各地でイベント

11月11日〔日〕は指宿、山川、開聞、池田地区の5つの会場で様々なイベント が同時に開催された。そしてどの会場も家族達れや大勢の市民らが訪れて始終  賑った。又、各イベント会場を駆け巡る方も大勢いた。

山川文化ホールでは、「第36回山川地域文化祭」が開催された。会場には絵画、ちぎり絵、活け花、盆栽、習宇、手芸など趣味を生かした様々な作品がずらりと展示されていた。又、茶道のグループは、来訪者にお茶を振舞ってもてなしていた。

芸能の部では定番の日本舞踊、フラダンスやハーモニカ、琴、三味線の演奏、コーラスなどが披露された。そして華麗な芸に酔いしれた観客は、盛大な拍手を贈った。
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指宿漁港の太平次公園では「新鮮な農産物エリア」、「グルメエリア」、「雑貨エリア」、「フリーマーケットエリア」に、30店舗が出店して、「第4回いぶすきマルシエ」が開催された。買い物がてら立ち寄ると悪天候にもかかわらず、大勢の家族連れや市民らで賑っていた。
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開聞総合体育館では医療と福祉関係の、「第11回いぶすきふれ愛フェスタ」が開催された。そして成川保育園児らの「マーチング」、利永保育園児らの「ふれあい宣言」。式典では福祉、健康、環境功労者への表彰があった。
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午後からは、障害者施設「榎山学園」の太鼓演奏、「老人クラブ達合会」の日本舞踊、「民生委員」らの踊り、「手話サークル」による手話の歌などが披露されて始終にぎわった。そのほかに、バザーや健康についての相談も受け付けていた。

又、かいもん山麓「ふれあい公園」の「ゆとり館」では、バザーなどのイベントが催され、ここの会場も大入り満員だった。

池田湖のスカイライン脇の「指宿酒造」会社では、「利右衛門の新酒まつり」が催された。山川文化祭の会場から、「新酒まつり」へ出掛けた知人によると、「いろんな店舗が出店し、午後3時30分まで新酒の=利右衛門=が無料で飲み放題。
 だっで、飲んベーが大勢集まってはずんだっぞ~」という。
この飲んベーの知人はタダの新酒を飲み過ぎて、翌朝の12日に出勤した際にはまだ酔いが覚め切れず、顔は真っ赤で2日酔いの状態だった。

〔3〕受賞の喜ぴ〔11月15日記〕

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指宿市立利永小学校=児童数20人=の「赤石明仁」によると、=11月8日、熊本市民会館で全国の学校関係者、約800人が出席して全国学校保健研究大会が開かれた。この際、文部科学省の「田中真紀子」大臣から、保健衛生の普及と向上に尽力したとて、全国の小学校から20校が選ぱれて表彰された。そのなかの1校が「利永小」だった」と、受賞の喜びをかみしめて話した。

〔4〕母校に祝福の電話を〔11月15日記〕

おいどんが村の「利永小」を卒業して、県外で暮らすみなさん。みなさんを育んで<れた故郷は今、少子高齢者と人ロ減で「空き家と空き地」が目立つ「過疎の村」です。この様な状況のなかでの大臣賞は、小規模校の温厚な「赤石明仁」校長と教師らの熱心な勉学指導が、教育関係者らに高く評価されての受賞となったのです。又、この受賞は未来へ羽ぱたく児童らに、「やれば出来る」の自信を与えている。

心ある方はぜひ故郷の母校、「利永小学校」へ電話、FAX、手紙などで祝福してください。故郷の喜びはみんなで分かちあいましょう。

住所〒891-0621
 鹿児島県指宿市山川利永172番地
   利永小学校長=赤石明仁〔55〕
   電話-0993-35-9002。 FAX-0993-28-3130

〔5〕難工事

11月19日、日本百名山の開聞岳五合目に、展望台を造る工事がはじまった。又、雨で荒れ放題の登山道も2合目から6号までを、9工区に分けて整備する事になった。この難工事を請け負ったのは、指宿市開聞の「丸新建設」だ。

19日と20日は、午前9時から午後4時まで、「かいもん山麓ふれあい公園」の「イベント広場」に置かれた資材をヘリコプターが吊り下げて、五合目の現場へ繰り返し運んだ。そのため、へりの羽根のパタパタ音と、エンジンの騒音でうるさかった。

丸新建設の若き社長〔38〕によると、=工期は来年の2月末となっている。しかし、難工事のため、3月末へずれ込むかも=という。
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情報を発信する故郷ニュース 2012-NO21 平成24年11月15日発

〔1〕教師による不祥事2件〔10月23日記〕

①今年の6月、指宿市立北中学校に勤務する男性教論〔29〕は、女子生徒の着替え姿を盗撮する目的で学校の更衣室に侵入し、ペン型ビデオカメラを設置した容疑で指宿署に逮捕された。そして10月19日、鹿児島簡易裁判所はこの教師に罰金10万円の判決を言い渡した。〔この教論は、7月20日付けで懲戒免職になった。〕

②10月21日、指宿署はコインランドリーで、女性〔23〕の洗濯物を盗もうとしていた、南九州市立頴娃小学校のT教論〔57〕=指宿市十二町=を窃盗未遂で逮捕した。頴娃小学校によると=57歳の教論は3年生以上の理科を担当し土、日曜日も出勤して花壇の手入れをしていた=という。教論による破廉恥事件は、6年ほど前に山川高校の教論が買春で又、2年前には指宿商業高校の教論が逮捕されている。

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写真左は指宿市民の治安を守り、事件事故の対応に追われる「指宿警察署」
右は、漫画家の「バロン吉元氏の母校として有名な「北指宿中学校」
 

〔2〕事故2件〔10月23日記〕

①10月21日午前11時30分ごろ、指宿市開聞下仙田のあぜ道で左足の不自由な男性N〔73〕が耕運機の下敷きになり、搬送先の病院で死亡した。噂によると=男性は21日の午前7時ごろから、妻とソラマメの芽切リをしていたが、昼食の準備で妻が家に帰った後の事故だった=そうだ。

②10月21日午後4時ごろ、指宿市新西方の畑で仲間4人とイノシシ駆除の猟をしていた男性〔70〕は、20㍍先のイノシシに発砲した。処が、イノシシから更に60㍍先にいた女性〔71〕の左尻に散弾が当った。弾は貫通し女性は3週間の大怪我をした。

〔3〕寿の悩み

かいもん「ふれあい公園」で事務職の女性が顔を赤らめて、「私、浜児ケ水の男性と結納を交わしたの~」と告白した。その嬉しい知らせに上司のM係長やH主査ら職場のみんなが、「おめでとう」と祝福した。処が、愛を育む=借家が見つからない~=と、彼女は顔をくもらせた。心配したM係長とH主査は、=和田さん、どっか空き家は、なかげ~=と、みんなで借家を探す事になった。
しぱら<過ぎた10月26日、沖縄から鹿児島港へ航海中の豪華貨客船の船長へ電話して、空き家になっている利永集落の実家を借りる事ができた。この船長と俺とは、常日頃から懇意に付き合っている仲である。後日、M係長とH主査に、=借家が見つかったど~=と報告すると、自分の娘の事のように心底から「よかった、よかった」と喜んだ。そして、2人の新婚生活に「幸あれ」と祈っている。

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〔4〕忘年会への誘惑

若くはないが若さはあるご婦人たちから、忘年会に誘われた。「10月29日午後6時、頴娃高校隣の=新生会館=、会費は3、500円。和田さんは面白いから=仲良し会=のみんなが=かたれ=と云っている」という。
迎えのバスで出掛けると女性43人、男性は2人だけ。初対面の女性らは、「和田さんを知らない女〔人〕は、山川町の者ではな~い」とからかう。そして、最初から最後まで、愉快な踊りとカラオケで宴会は賑わった。

〔5〕日本-の挨拶を目指して

「指宿市立大成小」では毎週、火曜日と木曜日に正門と西門へ5、6年生が交代で立晴し、「おはようございます」と、大きな声で挨拶をしている。この「朝の挨拶運動」は、大成小の継承行事となって、長~く続いています。
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最近では1年生34人が先輩らの挨拶に刺激されたのか、自発的に正門と西門の二手に分かれて毎朝、立晴して挨拶をしている。この1年生の自発的な行動は、担任の池崎先生や鮫島校長さえも知らず、びっくりしていた。そして、目の前を通るバスの乗客にも挨拶の手を振っている。その和やかな1年生の「挨拶」に惹かれて、バスの中からも返礼の手を振ってくれる。
指宿市では、教師の破廉恥行為で逮捕者も出て批判を浴びる中、「大成小」の教職員は児童らに対する道徳指導が行きわたり、お蔭様で児童らの「挨拶」も非常に良くなった。

〔6〕歴史の証言

一枚の写真には人、それぞれの思い出があり、時には歴史の証言にもなる。今、指宿の「時遊館COCCOはしむれ」で明治、大正、昭和40年頃までの写真を集めて展示会を開いている。入場無料で期間は、12月2日〔日〕まで。
会場の壁には、写真機の少ない時期に写した昭和2年の「開聞岳」登山記念、昭和9年に喜入から指宿まで開通した鉄道、昭和30年、今では見る事の出来ない白砂、青松の「今和泉」海岸の風景、第一回の「山川みなと祭り」、指宿温泉祭りなどなど、貴重な写真が多<掛けられていた。〔紹介したのは、ほんの一部〕
そして、一枚一枚念入りに見ていると、思わずタイムスリップしたような錯覚に陥り、時の過ぎるのも忘れるほど感動しながら見入った。又、会場内は撮影禁止だったので、しっかりと瞼に焼き付かせてきた。
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はしむれ会館ここには、縄文時代の土器などを展示している。写真展は2階で開催されている。

〔7〕深まり行く秋

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開聞「枚聞神社」で豊作を祝う「ほぜ祭り」が10月14~16日に催された。この「ほぜ祭り」で人目を引く稚児行列には男の子は鳥帽子、女の子は冠飾りを頭に付けて着飾り、健やかな成長を願いつつ「脇浦、入野集落」方面を練り歩いた。
 そして、11月1日から半袖シャツから長袖へと衣替えになり、深まり行く秋の風を肌で感じる気候へと移ろいだ。今度は各種のイベントが目白押しで開催されます。又、11月10~11日の2日間、第36回山川文化祭が行われます。

情報を発信する故郷ニュース 2012-NO20 平成24年10月30日発

〔1〕年の差64歳〔10月11日記〕

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去る9月30日に行われた大成小運動会で、1年生の50㍍走「かけっこ」に飛び入りで参加して、児童らと走った時の写真を頂いた。

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〔2〕綱引き大会〔10月11日記〕

10月8日、指宿市民総合体育館で、小学生による消防綱引き大会が行われた。1チーム20人。「開聞小」はAチーム、Bチームの2組40人が出場し「開聞小」Aチームが優勝で、Bチームが準優勝の成績を収めた。午後5時から、ふれあい公園の「ゆとり館」で児童と保護者らが集い、祝勝会が開かれた。綱引きは子供らが主役、飲ん方準備と後片付けは母親らの役。優勝の祝い酒を飲み、わいわい騒いで一番得をしたのは親父らだった。

知人によると=この日のために子供らは、毎朝7時半から学校で特訓を積み重ねてきた。余談になるが=開聞地区は力持ちと金持ちが多いからか、平成18年〔2006〕10月に開催された第一回、指宿市民体育大会の「綱引き大会」から、平成22年〔2010〕10月の弟5回までの「綱引き大会」で、連続5回優勝している。〔23年度の弟6回目は雨のため、途中で中止になった〕

〔3〕第32回、菜の花マラソン大会〔10月13日記〕

毎年2万人のランナーが出場し、マイベースで新春の指宿路を駆け抜ける、「いぶすき菜の花マラソン大会」の実行委員会では、平成25年〔2013〕1月13日に開催される、「弟32回」大会の出場者を募集しています。
申し込みの締め切りは11月30日。

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又、第32回大会出場者には、豪華なプレゼントが用意されています。

○フルマラソンで、6時間以内の完走者の中から抽選で、2名の方を2013年12月にハワイで開催される、ホノルルマラソン大会にご招待する。
○フルマラソンで、6時間以内の完走者の中から抽選で1名をソウル2泊3日の旅行へご招待する。
○2013番目にゴールされた方を2013年6月に行われる千歳JAL国際マラソン大会にご招待する。

〔5〕弟34回定期演奏会〔10月15日〕

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10月14日午後2時から、指宿市立開聞中学校〔校長、池田英幸〕の体育館で、鹿児島県代表として3年達続で、南九州地区吹奏楽コンテスト出場記念の演奏会があった。南九州地区とは=熊本、大分、宮崎、鹿児島、沖縄=をさす。

会場で頂いた資料によると=顧問の「中村隆信」先生指導のもと1年生3名、2年生3名、3年生7名の部員13名で活動している。そして2年達続で金賞、8月7日に沖縄県浦添市「てだこホール」で行われた大会では、優秀賞を受賞=とあった。





〔4〕おふくろの里〔10月15日記〕

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10月14日午前6時、和田邸から西へ10km先にある、「おふくろの里」の朝市へ妻と出掛けた。朝市は、かいもん「そうめん流し」の入口の横にある。ここには農家の方が自分の畑で作った、新鮮な農産物や花などの商品に自分の名前、番号などを書いて陳列し、どれでも100円で販売している。そのため、近隣の方々が早朝から買いに来ている。

妻と行ったこの朝もすでに車が28台、40人程の客がいた。そして、20個のポリバケツに入れていた花は、飛ぶように売れて品切れ状態になった。又、花屋さんが商売用にと、花をー人占めしてごっそり持って行くのを見た客が、「それはあんまりだ」と売店の方に苦情を云った。すると、花屋さんが買い占めた花を、売店の方が取り戻すー幕もあった。

午前6時、「おふくろの里」の朝市風景。車が28台いた。

〔6〕大成小優勝〔10月16日記〕

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10月14日、小学5年生以下の青少年ソフトボール全国大会、指宿地区予選大会が指宿市立開聞小学校のグランドで行われた。この大会に指宿市立12校のうち7校が出場し、熱戦を繰り広げて優勝を競い合った。

その結果、指宿市立大成小〔校長、鮫島恵子〕のソフ卜部が丹波小と対戦し、逆転優勝の栄冠に輝いた。昨年に続いて2年連続の指宿地区代表に選ばれた。そして今度は鹿児島県大会で優勝を目指し、全国大会への挑戦がはじまった。世間では、=快挙と偉業は挑む事から始まる=と云われる、ソフト部員らには「キバレ」と、激励の声援を送っている。

大成小ソフト部の指導者によると=部員は9人。一人でも怪我や病気をして欠員が出ると、試合に出場できない。だから健康には充分気を付けて指導をしている=という。 又、鮫島校長は試合へ出掛ける部員らに、=優勝旗を持ち帰ってきてね=と、激励の言葉を掛けて送り出したそうだ。

〔7〕救助訓練〔10月20日記〕

絶景に魅せられて年間2万人超の登山者で賑わう「開聞岳」で12日、山岳救助合同訓練が行われた。今回は複数の怪我人が発生したとの想定で消防、県防災ヘリ、県ドクターヘリも参加し、約60人が緊迫した雰囲気の中で迅速な救助活動が行われた。

又、下山中に足の捻挫や怪我などで昨年〔H23〕は8件の11人、今年は5人を地元消防団や消防分遺所の救助隊が出動して救助している。そのなかには県防災ヘリが怪我人を吊り上げて救助した事もある。又、20日現在、懐中電灯を持たず下山不能になった者が4件発生している。そのため、指宿市は毎年この時期に合同訓練を行っています。
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情報を発信する故郷ニュース 2012-NO19 平成24年10月15日発

〔1〕秋の訪れ〔9月28日記〕

こちらでは、台風16号が過ぎ去った9月17日から、急に朝夕が涼しくなった。そして、野には彼岸花が咲き、秋の到来を告げる「ツクツクホウシ」も賑やかに鳴いています。 又、一雨ごとに秋の気配を感じるようになりました。
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左は、山川電波観測所の土手に咲き誇る彼岸花。
右は、山川中の西門に咲く、海紅豆〔かいこうず〕。別名「アメリカ、ディゴ」ともいう。

指宿市は年に3回も花をつける海紅豆を、市の街路に植樹していた。そして花の見頃に指宿市を訪れる観光客は、海紅豆の花に見とれていた。又、この花が珍しくて庭に植樹する家もあった。しかし、枝には鋭い「トゲ」があり、花が落ちた後の枝を切る手入れが大変で、ほとんどの家が伐採した。

〔2〕経費削減の結果〔10月3日記〕

昨年の5月下句、松くい虫予防の薬剤散布をしなかった区域の松林に「マツケムシ」が異常発生し、30~40年の歳月を経て約20㍍に伸びた松が数多く枯れている。松枯れの伐採現場を見た登山者が、=薬剤散布の経費より、伐採の経費が高く付くだろう。これは役人の職務怠慢だ=と、語気を強めて俺に言い放ったが俺は知らない。
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〔3〕運動会〔10月3日記〕

台風17号は薩摩半島から進路がそれて遠ざかった。そして、どんよりと雲に覆われた。
9月30日、指宿市立12の小学校で一斉に秋季大運動会が開催された。
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写真左は鮫島校長、右は一足乱れぬ入場行進

今年も大成小の運動会に招かれて、児童243人が繰り広げる競技や演技に来賓席から声援を送った。又、プログラムが一年生の50m走の「かけっこ」になると来賓の方々から、=和田さんが走らんな、運動会がはずまんど=と、けしかけられて今年も飛び入りで参加した。そして、「ビリケツ」で全力疾走する光景は、運動会の風物詩にもなって、地域住民と大成小との活性化に役立っている。

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仲睦ましく写っている方は、大成小の鮫島校長と指宿市の豊留市長です。鮫島校長によると、=内の主人と豊留市長は、鹿児島の高校でー緒だった。又、利永小にいた「片平」校長〔第32代、H20年4月~H22年3月まで〕と私は、同じ学校に勤務した事もあった=という。

この鮫島校長の話に、=まこて世ん中はせまかもんだ=とつくづく思った。だから俺はいつ、どこで、いかなる人物と会っても恥をかかないようにと、日頃から誠意を尽くして人と接している。

〔4〕秋の祭り〔10月8日記〕

10月7日に保育園と各地区の運動会が終わった。今度は14~16日に開聞、枚聞神社の「ほぜ祭り」、10月18日に徳光神社の「りえもん祭り=ほぜ祭り」が、27~28日には指宿「温泉まつり」など、賑やかな秋の祭りが目白押しで開催されます。
〔ほぜ祭りのことを=豊年まつり=ともいう〕

〔5〕利永小へご褒美〔10月8日記〕

おいどんが村の指宿市立利永小学校は児童数20人、教職員9人の小規模校だ。平成22年4月に赴任した「赤石明仁55」校長はこれまでに、児童らの健康と衛生に対する意識を高め、又、保護者の生活習慣の保健意識も高める運動に取組んで来た。

その結果、教育関係者らに高く評価されて平成24年度、学校保健および文部科学大臣表彰を授与されることになった。この小規模校が成し遂げた偉業のニュースは、大成小の「鮫島」校長から知らされたので10月5日だ。授与式は後日、行われるそうだ。
そして、過疎の村へ降って沸いた様な嬉しいニュースに、区民は諸手を挙げて喜んでいる。又、温厚の「赤石」校長はすっかり地域にとけ込んで、利永地区の様々な行事にも積極的に参加している。
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写真は利永小の「赤石明仁」校長。利永小学校と書かれた看板の右側には、約300年前から利永へ伝わる、琉球傘踊りの絵が描かれている。
右側の建物は保育園。ここには昭和30年3月31日まで、利永村役場があった。

〔6〕10月10日「浜ん湯」で

80歳の男性によると、=太平洋戦争末期の昭和20年、浜児ケ水海岸に指宿の多良浜海軍基地から派遣された、「人間魚雷」の秘密基地があった。そして隊長と50人の特攻隊員は、高さ約40㍍ある海岸の土手に横穴を掘って寝泊りしていた。

昭和20年8月10日、特攻隊員25人は自ら乗船する「魚雷艇」を長崎まで取りに行った。そして、魚雷艇と25人の特攻隊員を乗せた艦船は、8月14日に長崎港を出港して山川港へ向った。しかし翌日の15日に敗戦になった。そのため、魚雷艇と25人の特攻隊員についてはその後、どうなったかわからない。

又、敗戦にショックを受けた隊長はピストルで自殺した。その遺体は隊長の「豪」に埋葬したという。しかし、ここは秘密基地だったので、地域住民とはほとんど交流はなかった。だから、どの「豪」に埋葬したのか我々にはわからない。遺体はまだ「豪」の中にあるはずだ=との情報を頂いた。

戦時中、人間魚雷の特攻隊員だった利永地区の方によると=魚雷艇はー人乗りだ。中に人が入り上からハッチ〔ふた〕を閉めると、絶対に外へは出られない仕組みになっていた。だから特攻隊員は人間魚雷の事を、「生きた棺おけ」と云っていた=そうだ。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO18 2012年9月30日発

〔1〕健康は宝です。〔9月11日記〕

9月10日午後4時30分、けたたましいサイレンを鳴らした救急車が、「かいもん、ふれあい公園」のイベント広場へ来た。それから約7分後に「ドクターヘリ」が飛来し、脳梗塞で倒れた開聞十町の男性91歳を、鹿児島の病院へ搬送した。

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〔2〕生麦事件から150年

中学の社会科で「生麦事件」と「薩英戦争」について習った。その「生麦事件」から8月21日で150年になるという。そして知覧町にある「英国館」には、事件の詳細を綴った文書の中に、薩摩藩士が馬上の英国人に斬りつける絵が描かれて展示されている。
生麦事件とは=幕末の文久2年〔1862〕8月21日午後2時ころ、薩摩藩の殿様「島津久光」が総人数1、800人を従えての大名行列で、生麦村〔現在の横浜市鶴見区生麦〕へ差し掛かった。すると、前方から4人の英国人が馬に乗ってやって来た。だが4人の英国人は、大名行列と遭遇したら街道の脇に控えるという日本の習慣を知らず、殿様の行列を横切った。無礼者と怒った共頭の「奈良原喜左衛門」は、馬上の「リチヤードソン」を斬りつけた後、薩摩藩士らは4人とも殺害した。そのため、英国政府は斬り付けた者の身柄引き渡しと賠償金を要求した。しかし、薩摩藩はその要求に応じなかった。
翌年の文久3年〔1863〕、英国の軍艦数隻が「薩摩の国」へ来航し大砲をぶっ放した。そのため街は火の海となり、薩摩藩も反撃して英国の軍艦に損害を与えた。これが「生麦事件」からはじまった、「薩英戦争」である。
その後、薩摩藩は英国政府と「和平条約」を結び、幕府の海外への渡航禁止令を破って藩士の若者7人を、鹿児島県串木野市の「羽島沖」から密航させて英国へ留学させた。そして英国で学んで帰国した7人は明治維新後、日本の発展に大きく貢献した。9月14日の南日本新聞コラム欄に、=徳川2代目将軍、「秀光」が近くを通りかかったとき、道がぬかるんでいた。名主が機転を利かせて畑の「生麦」を刈り取ってぬかるみに敷き、無事に行列を通過させたのが、「生麦」の由来になっている=と紹介している。

〔3〕授業参観

9月13日〔木〕午後2時〔5時間目〕から、大成小学校で「いじめ防止」の授業参観があった。23代目の「鮫島」女性校長〔児童数243人〕から、出席の要請を受けていたので出掛けた。そして大勢の保護者も参席しているなか、授業中の1~6年生の各教室を「鮫島」校長は案内してくれた。
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帰り際、鮫島校長に「いじめ」の有無を尋ねると=「いじめ」について全児童243人からアンケート調査をした。その結果180人から「いじめ」があったとの回答が寄せられた。そのためー人ひとりと面談して「いじめ」の実態を確認した。すると些細な事ばかりだったので本人とも良く話し合って納得させたから「いじめ」は存在しない=との事だった。
又、俺も交差点に立哨し始めてから、登下校の小中生らに「人をいじめるな、いじめている人を見かけたら注意をせよ」と常に言い聞かせて、「いじめ」防止に努めている。

〔4〕親切が助けた命

南日本新聞に、「語り継ぐ戦争」という記事が不定期で褐載される。8月29~31日の3日間、168、169、170人目に証言した南さつま市大浦町の「柳元信夫94」氏の記事に感動して、俺の目は釘付けになった。皆さんにも「親切がいかに大事か」を、解かって頂く為に省略して掲載した。柳元氏によると=27歳で南方軍第一憲兵隊、サイゴン分隊特別高等警察班の憲兵曹長だった昭和20年〔1945〕2月、仏印の総督府で日仏語を話せる通訳官として、日本から船でサイゴンの港にきた40歳位の仏人の母親と、娘は日本人の父を持つ「ロベルチエ、直子」と会った。
処が、仏印の総督府から就職を断られ、往く当てもない親子に滞在費を与え、ホテルの支払い就職先の世話などをしてきた。しかし、8月15日の敗戦で日本軍は武装解除され、柳元氏は捕虜虐待の容疑でB、C級戦犯として死刑判決を受けて、サイゴンのチーホア刑務所に収監された。そして、刑務所巡視に来たその一行の中に、通訳官として仏人「口ベルチエ、直子」がいた。偶然に再会した「口ベルテエ、直子」は柳元氏に駆け寄り、=私が命をかけて助命嘆願致します=と述べたという。その後、戦友や同僚は次々と死刑が執行されるなかで「柳元」氏は、死刑から5年の懲役に減刑され、更に1年減刑されて死の淵から生還を果たしたという。
この実話を目に涙を浮かべて拝読した俺は、「親切は宝だ」とつくづ<感じた。現在、何処の学校でも「いじめ」が横行して、新聞の紙面を賑わせている。そのため、国境を越えて人間愛に満ちた、「柳元」氏の親切の体験談を、学校の道徳教育で教えたら「いじめは減少するのでは」と、全国の教育委員会へ提言します。
又、復員後の「柳元」氏は、農協理事のほかに民生児童委員28年、保護司34年、大浦町議などを努めたという。掲載された記事が欲しい方には、コピーして送ります。

〔5〕除幕式

指宿商業高校の非常勤講師で地元の彫刻家、「田原迫、華33」さんが製作中だった、天璋院篤姫の幼名「於-」の銅像が完成し、9月9日に除幕式があった。
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建立された場所は、「篤姫」が幼少期に遊んだとされる、今和泉小学校と指宿商業高校前の海岸。身長は125㌢、台座を含めると高さ約220㌢ある。
建立するにあたり、商工会議所や篤姫観光ガイドらが実行委員会を設立し、市民らに寄付金を呼ぴかけたところ、約1100万円が寄せられたという。

〔6〕指宿市の観光大使

指宿市は新幹線の全面開通で、大勢の観光客が押し寄せて潤っていたが現在、新幹線効果も薄れて観光客も減少しているという。そのため指宿市は、素晴らしい観光地や市の魅力を国内外にPRし、観光客増を目指して成川出身の「なでしこジヤパン」のGK福元美穂選手、名古屋市で人材派遺会社を経営し、映画「半次郎」で西郷隆盛役を演じた開聞出身の田中正次氏、プロ野球ソストバンク2軍投手コーチの田之上慶三郎氏ら、13人の著名人を観光大使に任命した。
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〔7〕運動会

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9月23日、指宿市立5つの中学校〔開聞中、山川中、南指中、北指中、西指中〕でー斉に秋の大運動会が開催された。前日の22日は一日中雨で、開催が危ぶまれていたが当日は、雨も上がり運動会日和に恵まれた。
山川中の「小段」校長へ、「校長、日頃の行いが良い事を、お天道様も良く知っているね」と声を掛けると、=お蔭様で運動会が出来て良かった=と喜んでいた。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO17 2012年9月15日発

〔1〕不審火?〔8月20日記〕

8月はこちらでも猛暑日が続いた。そのため山川、開聞消防分遺所は、「空気が乾燥しているので火の取り扱いには充分、気を付けて下さい」と、注意を呼びかけていた。 その矢先のお盆の大山地区で、縁側の軒下に吊るした提灯が燃える騒ぎがあった。
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又、8月18日午前6時、「大成小近くで建物火災」の放送に成川、山川消防分団から3台の消防車が出動した。処が、火災現場が分からず、サイレンを鳴らしながら右往左往するハプニングもあった。それでも消火活動が早く、車庫のボヤですんだ。野次馬に出火原因を尋ねると、=不審火らしい=という。

左の写真は大山地区と小川地区です。右側の白い7階建ては、「徳州会病院」。又、雲の下に横たわる山々は、大隈半島です。
右の写真は開聞岳と辻が嶽、〔通称大山嶽〕その右上のホテルのような建物は、特別介護老人施設。左の写真は、施設の玄関前から8月24日に、右は25日に写した。

〔2〕頼もしい市議の質問

指宿市の6月定例議会で10名の市議〔市議22名のうち、欠員1名〕が一般質問した。
その内容を記載した「いぶすき市議会だより、第29号」が8月19日に、約1万9、200数世帯に配布された。その中で市議2名の質問に注目したので、参考のために転載した。
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〔3〕過疎の村が大盛況〔8月28日記〕

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8月17日、お盆に帰省中の友人を「射楯兵主神社=いたてつわ、ものぬし、じんじや=」、別名「釜ふた神社」へ案内した。

参拝者は境内入り口の鳥居から、頭の上に載せた「釜ふた」が落ちない様に10㍍先の拝殿までを歩いて参拝すると、「開運につながる」との評判に多数のタレントやスポーツ選手らも参拝に訪れている。地元の方によると、「一日約250人が来る」そうだ。

処が、3月に「なでしこジャパン」の「沢穂希」選手が参拝に訪れ、又、ロンドン五輪でメダル獲得に活躍したGK、「福元美穂」選手の参拝がテレピの全国放送で紹介されたのが一因で、お盆の3日間で約5、500人の参拝者が訪れたという。
しかし、ここにはトイレがないのと駐車場が狭いので、参拝へ往く際には気を付けて。

〔4〕秋の作物の櫨え付け

近郷の農家では現在、「豆類」と「かぽちや」、「レタス」と「にんじん」の植え付けなどの準備や、又、「いも」堀りと「オグラ」の収穫に追われています。
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写真左は約1㍍間隔の「畝」に、配合肥料をたっぷりと仕込んだ「実えんどう畑」です。
写真右は、配合肥料を仕込んだ「畝」に、トラクターで盛り上げた「畝」を作り、トラクターが前に進むとビニール〔マルチ〕が被せられ、その両脇を風に飛ばされないように砂を被せる。この作業は一台のトラクターで、同時に行われる。
現在は農業も機械化進み、農家の労働も少しは楽になった。〔8月24日撮影〕

前方の建物は「山川中」の体育館で、その後ろに「和田邸」がある。又、この豆畑は、「和田邸」から西へ約200㍍先にある。

〔5〕重要文化財?(9月1日記)

左の写真はJR指宿枕崎線の「東開聞駅」にある6体の石像です。ここから300㍍程、西へ行った「宮田踏み切り」にも同じ様な石像が7体ある。更に踏み切りをわたり200㍍程先の「松原田=まっぱんだ=」集落の田んぼ脇に、6体の石像がある。〔右の写真〕
又、大きな「田の神」は米俵の上にどっかりと腰を下し、右手に「しゃもじ」を左手には大盛りの飯茶碗を持って、豊作の喜びを微笑んでいる。
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後日、仙田地区の方に尋ねると、=平成15年度に仙田地区の「田んぼ」16㌶を、「県営ほ場整備事業」として区画整理した際、その完成記念に小、中学生らに石像を作らせて7ケ所に「田の神」として設置した=という。〔平成17年度に完成した〕

〔6〕2学期のはじまり

長かった夏休みが終わり、9月3日から2学期がはじまった。休みボケが抜けぬ顔つきで登校して来る児童らに、夏休みの感想を尋ねると、=家族と東京へ行った。キヤンプ、プール、友達とー杯遊んだ。休みがもっとほしい。=など、様々な反応があった。

又、昆虫や貝殼の採集をしたかと尋ねると、=昆虫はいない、海へ行っても貝殼もない=という男児もいた。この現象は環境破壊の影響なのか、今年の2月は「すずめ」を、この夏は「トンボ」を見かけなかった。確実に生態系へ変化が現れている。今では、乱舞の「とんぽ」を夢中で追いかけていた、少年時代が懐かしく感じられる。

〔7〕いじめ

滋賀県大津中学の男子生徒が「いじめ」を苦にして若い命を絶ち、全国的に「いじめ」が大問題になっている。そのため、9月5日午後3時10分〔6時間目〕から、山川中学校で「いじめ」に対する授業参観があった。
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剣道練士5段の「小段校長58」=〔生徒数、204人〕によると、=大きな「いじめ」はないが、小さな「いじめ」は時々発生する。それに対しては事が大きくならないうちに、早目はやめに対処している=という校長の言葉には、次世代を担う子供たちの育成に、真心を注いでいる様子が伺えた。
又、生徒らに「いじめ」の有無を尋ねると、=気にするほどの「いじめ」はない=との事だった。
この山川中には勉学、芸術、運動に優れた生徒が多<在籍し、その校長室には生徒らの「汗と涙」の努力で手中に収めた栄冠の優勝旗、優勝トロフィ、カップ賞状などが「ところ狭し」と陳列されている。
この輝かしい優勝旗や賞状の光景を目にすると、思わず生徒らに柏手を送りたい気持ちになる。これもー重に教職員―同による、ご指導の賜物であると受け止めている。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO16 2012年8月30日発

〔1〕関西での話題〔8月2日記〕

薩摩半島の最南端「長崎鼻」で、自然公園の「パーキングガーデン」と指宿市からの委託を受けて「山川砂むし温泉」を経営している、利永出身の「星隈弘-55」社長と偶然に会った。
すると=あにょ~、大阪で故郷ニュースが話題になって、賑やかだったど。大阪で「和田寛」の名が出てくるとは、夢にも思わんかったで、オイもぴっくいした=という。

高級外車「ベンツ」で営業に駆け回っている、商魂たくましい星隈社長によると、=7月22日大阪の京セラドームで、鹿児島県内の特産品や観光の情報を発信する、第8回「関西かごしまファンデーが開催された際、昭和37年〔1962〕製造のポンネットバス、「ディスカバリーIBUSUKI号」に展示品を積んで、企業7社を引き連れて参加した。
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会場には過去最多の230の企業、団体の333店が並び、関西在住の県人ら約3万4000人が来場し、故郷の「かごっま弁」が飛ぴ交かうなかで黒豚料理、芋焼酎、水産品などの売り場には、行列が出来たほどの大盛況だった=そうだ。

又、主導者代表で挨拶した星隈社長は=、「鹿児島を離れた先輩たちに見て、触れて欲しかった。改めて故郷を思い出し、今まで以上に帰省してほしい」=と述べたという。 今日は嬉しい知らせと、我が社のパンフを持参したので、故郷ニュースでも宣伝をたのむ=と云いつつ、「ベンツ」で悠々と立ち去った。
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東シナ海の海原が広がり、紺碧の水平線から海岸へ打ち寄せては返す大波小波の潮騒を耳に、園内では亜熱帯植物の鑑賞とチンパンジー、インコ、フラミンゴなどのショーが楽しめます。故郷ニュース読者の皆さんもぜひ‐度ご来園下さい。

〔2〕稲刈り〔8月4日記〕

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開聞「仙田地区」では、4月12~15日ごろ田櫨えした稲が黄金色に実り、こうべを垂れた稲穂が田んぼー面に広まっていた。そして、8月3日ごろから稲刈りがはじまり、コンパインで次々と刈り取った。そのあとの「田」には、「芋」を植えているところもある。

稲刈りを終えた農家の方に作柄を尋ねると、=梅雨の長雨と低温の影看l!で稲が伸びず、短めだったが作柄は昨年並み。又、下仙田地区の田んぼは減反調整をしているため、来年は他の作物を植える=そうだ。

〔3〕孤独死〔8月9日記〕

身体の不自由な「浜児ケ水」集落の男性〔67〕は、毎日「浜ん湯」の一番風呂へ来ていた。処が、-週間ほど過ぎても姿を見かけなくなった。「ないごっじやろかい」と、「浜ん湯」へ来る者達は心配していた。親戚の方が一人暮らしの男性宅の様子を見に行ったら、すでに死亡していたという。

〔4〕犯罪が絶えぬ成川区

オリンピツクと高校野球のテレビ観戦に夢中になっている陳を狙って、またまた不審者が現れたという。
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成川区長によると、=8月8日午後1時ごろ、成川区「井手方集落」の路上にいた女児に、白い車に乗った50歳前後の男性が言葉巧みに声を掛けて、車へ乗せようとした。
怖くなった女児童は自宅へ逃げ帰り、警察へ通報したという。

〔5〕安産の神様

「浜ん湯」の隣に、浜児ケ水集落の共同納骨堂がある。その駐車場の西側に立派な石像が安置されている。石像の胸には、「よだれかけ」が何枚も重ねて付けられている。その周りはいつも綺麗に清掃され、みずみずしいお花も飾ってある。そのためか、石像の豊かな表情の口元は、微笑んでいるようにも見える。
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ご先祖様のお墓参りに来ていたご婦人に、=こんた、なんの、かんさまあ=と尋ねると、「出産真近い妊婦が、手作りの『よだれかけ』を石像の首に掛けて、安産をお願いする『安産の神様』だっど。 妊婦の願い事をよく聴いてくれるから、近郷の妊婦もお参りにくっど」と、教えてくれた。
このご婦人は、昭和23年〔1948〕生まれで、昭和50年〔1975〕に「尾下集落」から
「浜児ケ水」集落へ嫁に来て37年になるそうだ。=温泉があっで、よかどね~=という。

〔6〕第44回、開聞そうめん夏祭り(8月15日記)

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8月12日は、毎年恒例の「開聞そうめん夏祭り」が開催される。今回は地元出身の演歌歌手「安藤えつ子」が出演し、自慢の演歌をたっぷりと披露して祭りを盛り上げた。

又、PM8時30分から3,000発の花火が大音響を轟かして天高く打ち上げられた。そのド迫力の大輪の花火に、会場を訪れた観客は酔いしれていた。この「そうめん祭り」は、6月の「山川みなと祭り」、10月の「指宿温泉まつり」の指宿市三大祭りの1つに数えられています。
      

〔7〕ご声援有難う御座いました〔8月19日記〕

目標に向って努力すれぱ夢は叶うものである。ロンドン五輸で「なでしこジャパン」のメダル獲得に貢献したGK「福元美穂選手」は、指宿市民に感動と勇気を与えたとして、指宿市から「市民栄誉賞」を授与される事になった。 福元選手は、北京五輪で4位になった平成20年〔2008〕以来2度目の受賞である。

又、平成13年〔2001〕には当時、プロ野球ダイエーホークスで活躍した「田之上慶三郎」投手〔指宿商業高校卒〕にも贈られている。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO15 2012年8月10日発

〔1〕暑中お見舞い申し上げます。〔7月24日記〕

 梅雨の明けと共に連日、猛暑が続いています。暑さ厳しき析柄、皆様も熱中症には充分気を付けて、この夏の猛暑を乗りきって下さい。

〔2〕その後の報告〔7月26日記〕

 6月27日の豪雨による土砂崩れで、通行止めになった「尾下道路」は、7月25日現在も「通行止め」になっています。
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又、全面通行止めになっていた国道296号の「山川造船所」のところは、片側通行で山川街へ行き来している。2ケ所とも復旧までは、まだまだ時間が掛かりそうです。
6月25日頃から取り壊しの工事をしていた「タイガーパチンコ小川店」は、写真のように整地された。そのため、小川バイパスの‐等地にポッカリと、広~い空間ができた。
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〔3〕オグラ〔7月25日記〕

夏の健康食品として重宝がられているオグラを、農家の方は早朝から収穫している。
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利永集落の「迫丑男」集荷所では、農家の方が持ってきた「オグラ」を8人の主婦が8~10本、手際よく網の袋へ入れている。「オグラ」の袋詰めは、9月末まであるそうだ。

〔4〕「たばこ」の乾燥〔7月26日記〕

 ここには昭和50年3月まで「山川西中学校」があった。その後、農業センターになって「タバコの葉」を乾燥する設備もある。取材に訪れると午前中の作業は終了していた。
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煙草を耕作している方によると=山川と開聞の13戸の農家が約50町歩の煙草を耕作している。その内の9戸が山川町内の農家である。乾燥は8月10日ごろまでかかるが現在、男7人、女15人が働いている=という。

〔5〕「山川西中学校」の名付け親〔7月30日記〕

 7月27日午後4時、岡児ケ水の「前田盛八80」氏と、「浜ん湯」でー緒になった。その際、前田氏は=利永村がなぜ山川町へ合併したのか、又、山川西中の校名について、貴重な裏話しを教えてくれた。

 先ずは、「利永村」がなぜ山川町へ合併したのか、当時の社会背景を説明します。

戦後の日本国内には、人口の少ない「00村そん」とか「00町」という、小さな自治体が至るところにあって、その自治体の首長らは財政赤字の町や村の運営に困窮していた。この状況を打開するため政府は、昭和28年〔1953〕9月の国会で、「町村合併促進法」を成立させた。そして、人口の少ない町や村は合併せよとの政策を打ち出した。

この機会にと、鹿児島県でも「町村合併促進審議会条例」が制定され、小さな町と村の自治体に合併を進めた。その際、上野、利永、尾下の3集落で人ロ3000人そこそこの「利永村」も合併の対象になったのです。

そして昭和30年〔1955〕4月1日付けで、3集落のうち利永、尾下集落は山川町と、上野集落は開聞町と合併した。その当時は、昭和の大合併と言われた。

〔6〕合併まえの状況

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前田氏によると、=合併前、県当局は上野、利永、尾下の3集落を開聞町と合併させる計画を練っていた。処が、これに気付いた利永集落の有力者ら数名が、「うんにや、こいじややっせん、いげなこっがあってん、山川町と合併すっど」と、県当局の案に反対した。

山川町は、平成18年1月午前O時をもって指宿市と山川長、開聞町と一市二町による合併した。そのため、75年間の山川町は、終わった。

そのため、山川町の各地区では県当局を交えて、=「利永村」を山川町へ加入させるか=について役員会を開いた。すると成川、山川地区で、=「といなが村」とは合併せん=と、2地区の町会議員や集落の有力者ら数名が大反対した。
しかし徳光、大山、小川地区民らが合併に賛成した結果、昭和30年4月1日付けで、利永村は山川町への合併が認められたのだ=という。

〔7〕校名の名付けと、JR西大山駅の誕生

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昭和30年の合併後、山川町の当局者らは少子化が進む利永中と徳光中を統合して利永と、徳光の中間に新しい中学校を建設した。そして、昭和32年4月から「徳光中学校」として開校しょうとした。
処が、利永の有力者や役員らが、=とっこうよっかい、といなが方が生徒がおおかて、校名が「徳光中」とはないごっか、こいでは、どんならん=と、弟9代目の「伊佐丑之助」町長と教育長へ怒りをぶつけた。
そのため、伊佐町長と教育長は利永と徳光の役員らと、数回にわたって校名の協議を重ねた。しかし、利永の意見を立てれぱ徳光が怒り、徳光の意見を立てれぱ利永が怒る。校舎は完成しているのに、とうとう4月からの開校が出来なかった。
その当時、農業の傍ら町の青年会長を兼ねていた前田氏は、伊佐町長や教育長と会う機会が多かったという。ある日、伊佐町長に、「山川西中学校はどうだ」と提案した。すると、伊佐町長と教育長は直ちに=よし、こいでよか=と了解した。そして、前田氏の提案を、利永と徳光の役員らと協議を重ねた結果、「山川西中学校」の校名が決定した。
そして、昭和32年9月1日の2学期から、「山川西中学校」が開校した。この新しい中学校へ昭和19年生まれが一年生として入学。その6ヶ月後の昭和33年3月、昭和17年生まれが第一回目の卒業生となった。

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又、この山川西中は最初、徳光寄りに建設する計画だったが、土地の買収が出来ず、現在の「農業センター」のある所へ建設した。処が、中学校が出来たのに「駅がないのは不便だ」と前田氏は、国鉄の知り合いの有力者に陳情した。そして宇遥、宇折の結果を得て、最南端の「西大山」駅を造らせた。
その際、駅前の畑の買収を山川町に提案して買収させた。そして、駅前の広場は町の財産になった。しかし、平成18年1月1日に山川町は指宿市と合併したので、今は市の財産になっているという。

この「山川西中学校」は、昭和50年3月で廃校になった。そして、4月から大成中、山川中、山川西中の3校が統合して、「和田邸」の目の前に「山川統合中学校」が開校した。開校当時の生徒数は1、000人を超えていたが、現在の生徒数は約245人だ。

〔8〕戦前の中学校状況

前田氏によると、=現在の指宿高校は戦前、女学校だった。我々男子はJR二月田駅から1、5㌔先にある、大園原の「指宿北中学校」へ通学していた。 この北中学には頴娃、開聞方面の方や又、俺より4つ年上の利永の「H畑」氏もいた。又、昔は交通が不便だったので、遠方からの学生は寮へ入っていた。その中には「H畑」氏もいた。 又、女学校へ通学していた利永の方や、休日で利永へ帰る「H畑」氏は、曲がりくねった登り坂のグリンピアー道路から池底集落を通り、峠下〔とんげった〕経由で利永と北中学を往復していた。「H畑」氏はのちに、山川町の助役を勤めた。
話はそれるが、北中学は、指宿出身の漫画家「バロン、吉元」氏の出身校でもある。

〔9〕戦後の中学校状況

前田氏によると=戦後間もない山川町内には中学校の校舎がなく、大成小学校の木造つくりの大きな講堂が大成中学校として開校された。そして昭和7年、8年、9年生まれの徳光、大山、小川、成川、山川地区の子供たちは、講堂を仕切った教室で授業を受けていた。俺は北中学と大成中合わせで5年間、通った。その後、大成中、山川中、徳光中が建設された。その大成中時代の同窓会を開催すると、5つの地区から「すごい人数が集まる」と、前田氏はいう。〔利永中が、今和泉村立利永中学校として開校したのは、昭和22年4月〕

〔10〕成川番地

昭和30年以前の徳光地区は、成川番地だった。そのため、様々な行事や六月燈の際は、成川の南方神社へ参拝に出掛けていた。これでは余りにも不便だという、諸々の意見が多くの住民から出たため、昭和30年ごろ徳光番地へ変わったという。
以上長々となったが、生前活躍した先人たちは、我々に様々なものを遺してあの世ヘ旅立って逝った。だから、今回の裏話は貴重な遺産である。

ヨカニセの前田氏はー見おとなしくて、物静かな方である。何処にこんなバイタリィーなエネルギーが潜んでいるのか、非凡な俺は頭の下がる思いで話を聴いた。後日、前田氏に=貴重な裏話を、俺―人で占有するのは勿体無いから、全国へ発信してもよいか=と、この文章を見せたら、「事実だからいいですよ」と、快く承諾してくれた。顔写真は老人だから勘弁してくれとの事だった。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO14 2012年7月30日発

〔1〕喜びに沸く

窃盗団の暗躍によって、生活が脅かされている「成川区民」に突然、明るいニュースが飛び込んできた。7月2日夕方のテレビニュースは、=成川出身の「福元美穂28」選手が「なでしこジヤパン」のGKに選出され、ロンドンオリンピックに出場=と嬉しいニュースを伝えた。

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指宿市役所の屋上から玄関に大きな「垂れ幕」が吊るされ又、成川バイパスの「スタンド」前には写真のような看板を立てて、「福元」選手を激励している。この「故郷ニュース」がみなさんのお手元に届くころ試合がありますので、県外で暮らすみなさんも、郷土出身の「福元」選手を応援してください。

〔2〕5合目に展望台

年間2万人を越える登山者で賑わう開聞岳。その5合目に待望の展望台が設置される事になった。この展望台は環境省の予算で昨年着工の予定だったが、東日本の大震災で中止になっていた。着工はお盆過ぎになるが建設資材は、「ふれあい公園」のイべント広場へ持ち込み、ヘリコプターで5合目の現場へ運ぶという。

開聞岳は2合目から登山道に入ると、樹木に覆われて周りの景色はほとんど見えない。只、石ころの多い傾斜の山道を登って行くと、約1時間で5合目に着く。ここで眼下に広がる素晴らしい景観を目にすると、今までの疲れも忘れて感動する。

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開聞中学校の正門から約60m先、右側の電柱2本目に1合目の看板がある。ここから開聞岳の頂上までは一本道、頂上までの時間は約2時間30分が目安。

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2合目の登山口。右側奥の白いのが赤外線カウントボックス。これで登山者の人数を把握する。展望台が完成すれぱ頂上まで登れない方でも、「せめて展望台まで行こうか」という登山者もいるだろうし、又、登山者の増も期待される。

〔3〕7月13日、浜ん湯にて

現役時代は外国航路の船員だったという川尻の男性と、浜ん湯でいつもー緒になる。背は高く長髪で鼻筋の通った「ヨカニセ」の男性に=パチンコで稼いで坊主頭にせよ=と、からかうと、散髪屋と美容室の話へと進展した。湯船談義によると=川尻地区には散髪屋が1店あって繁盛している。美容室は3店あるがお客無しで、3店とも開店休業状態である。徳光地区に3店あった散髪屋は廃業。美容室が1店だけ。そのため、散髪する際は利永か大山の散髪屋へ行く。大山地区は散髪屋2店、美容室2店、小川地区は散髪屋-店、美容室2店。成川地区は散髪屋4店、美容室4店。利永地区は散髪屋1店、美容室4店。湯船談義の結論では=人口減でどの店舗も生活するには厳しい状況で、商売が成り立っていかない=との事であった。

〔4〕六月燈

梅雨のー休みで7月15日は晴で蒸し暑い一日だった。午前11時40分、妻と買い物から帰ると利永の友人から、「今夜6時から六月燈じゃっで、写真といけ、こんか」との電話が掛かってきた。午後4時50分、利永神社へ出掛けると弟「政和」が、=今先「無病息災、五穀豊穣」の神事が終わったところだ=という。

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午後6時、「畠中正彦」区長が、=今夜は六月燈を多いに楽しんで下さい」=と日頃の感謝を込めて挨拶を述べた後、利永小の児童19人による合唱で演芸会がはじまった。そして、踊り愛好者らによる日舞と、腰を振り振りのフラダンスが次から次へと披露され、区民らは盛大な拍手を贈った。又、吊るされた灯龍に灯りがともされると、演芸会は最高潮に達した。そして最後は、弟「政和」がカラオケで演歌を熱唱して、演芸会を締めくった。その後、抽選会も行われた。世間では暗いニュースが伝えられるなかで、過疎の「おいどんが村」で開催された六月燈は、姶終和やかにそして大盛況だった。

〔5〕窃盗団、逮捕される〔7月18日記〕

「山川みなと祭り」と花火大会が開催された、6月3日の午後7時30分から4日の午前7時までの間に4つの会社の事務所が荒らされ、金庫や現金を盗んだ窃盗団5人が7月17日に逮捕された。犯人たちは、山川から車で3時間以上も掛かる鹿児島県北部の、「大ロ市」近郊の17歳から21歳の前途有望な若者たちであった。又、この5人は農機具やトラクターなどを盗んだ疑いもあり、県警捜査1課と伊佐署、指宿署の合同捜査本部は5人の余罪を追及するという。若さの至りとは言え前途有望な若者たちが、これからの長い人生を前科一犯の「泥棒」のレッテルを背負って募らすには、余りにも酷な人生行路である。

〔6〕健闘を称える〔7月21日記〕

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開聞中学校の剣道部が去る6月、県中学校総合休育大会を兼ねた南薩地区大会個人戦で、3年生の「下川浚矢14」君が優勝し、主将の「祝迫佑紀15」が準優勝した。

2人は7月23日に薩摩川内市で開催される、県総合休育大会に出場して上位を狙い、そして全国大会を目指している。2人の健闘を称えたい。現在、開聞中の剣道部員は3年生3人、1年生2人の計5人。剣道の南薩地区大会の歴史は古く、42歳になる長男は小学4年の時から高校3年まで毎年出場した。又、この大会は優秀な選手を生み出す、有名な大会でもある。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO13 2012年7月15日発

〔1〕知事選

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任期満了に伴う知事選挙が6月21日に告示され、3期目指す現職の「伊藤祐‐郎64」氏と、反原発市民団体の事務局長で出版社代表の新人、「向原祥隆55よしたか」氏の2人が立候補を届け出て、一騎打ちの選挙戦がはじまった。6月21日、夕方のテレビ、によると。伊藤氏は、=鹿児島に生まれ、夢、希望を持って一生を終えられる仕組みをつくりたい。鹿児島らしい伝統、風土をいかにつくるかが21世紀の課題。今後の難しい4年間をー生懸命やらせてほしい=と訴えた。しかし原発問題には、一言も触れなかった。―方の新人、向原氏は知事選を原発再稼動の是非を問う県民投票と位置付けて、=「原発を止める最大のチヤンス。原子力政策を鹿児島から変えよう」=と力を込めて訴えていた。今回の知事選は、保守王国の牙城へ無名の新人が、新エネルギー政策を前面に掲げて果敢にも立ちはだかり、県民の信を問う選挙となっている。投票は7月8日。

〔2〕豪雨による被害〔6月28日記〕

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6月26日午後8時ごろからポツリ、ポツリと降り出した雨は、夜の更けるに連れて激しさを増し、27日は「ドラム缶」の中の水をひっくり返したような豪雨になった。この豪雨でJR山川駅の第1トンネルと第2トンネルの間で、崩れた土砂が線路を越えて国道296号線へ流出した。そのため、列車も国道も通行止めになった。又、午前9時には山川造船所の所も山が崩れて、人も車も全面通行止め。山川への迂回路は大成小の信号機から、山川火葬場軽由で行き来した。そのため児童、生徒らの下校時間帯の大成小交差点は、児童と車で大混雑した。そして大雨が降る中で、児童と車の誘導に目が回るほどの忙しさだった。又、戸数46戸、人口82人の「うなぎ集落」全住民には、「成川区民センター」への避難命令も出た。そして「尾下集落」への道路は山が崩れて通行止め。この弾みで電柱が押し倒されて電話も一時不通になった。

「尾下集落」の方によると=復旧するまでは暫<掛かるので指宿、山川へは鷲尾岳、利永へは「トングッタ、峠下」経由の迂回路で行き来している=という。この他に土手や山道が、至るところでズタズタに崩れている。俺が中学時の昭和30年頃、授業の余談で「風〔大風〕が吹けば、桶屋が儲かる」=と教わった。現代風に表現すると「雨、風が降れば、土建屋が儲かる」かな?

〔3〕衰退のー途(7月2日記)

写真は小川パイパス沿いにある「タイガーパチンコ店」である。大手のパチンコ企業との商戦に負けて、閉店に追い込まれていたが去る、6月26日から取り崩している。
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現場の知人によると=固定資産税や土地の借り賃などの支払いがあるので、壊して元の畑地にする=という。

〔4〕情報提供

故郷ニュースNO12〔前回〕で、指宿海軍基地の「下駄履き、飛行艇」を紹介したところ、「記事を見た、飛行艇の資料を提供するから、2日午前10時=ニシムタ=の入ロで会いましよう」と、嬉しい電話があった。そして、頂いたのがこの写真である。別れ際に名前と住所を尋ねると、=「用事があれば又、電話するから」と、断られた。

指宿基地より発進した特攻機と基地で活躍した水上機

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〔5〕成川区から各家庭にお知らせした、平成24年7月2日付けの回覧です。

7月5日、成川区長によると=お賽銭箱は2人でも動かせない程の重さなのに、いげんして運んだろかい=と、不思議がっていた。

★福元美穂さん(なでしこジャパン)応援をしましょう
いよいよオリンピックが始まります。福元さんは前会の北京オリンピックでも活躍されました。今回のロンドンでも頑張ってくれることと思います。区民センターに福元さんから頂いた色紙も掲示してあります。応援をしましょう

★南方神社賽銭箱盗まれる!!
今6月22日南方神社の賽銭箱が盗まれていることが分かりました。おそらく21日の夜と思われますが,どのような方法でどこに運び出したか分かりません。警察による捜査に期待いたします。なお,最近成川他区にあいて窃盗団と思われる集団による盗みが横行しているようです。戸締りなど厳重にして、不審者、不審車などを見かけた場合ナンバーなどを控えておいて下さい。
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★新生活運動の推進
今年もお盆が近づいてきます。初盆のところがあると思います。友人、知人の初盆のお参りに行<ことでしょう。故人は老齢者が多く、友人・知人ちまた高齢者が多いものと思います。高齢の方々は一般的に足・腰の動きに不自由を感じている方がおられます。初盆に行きたくても行けない事情のある方もおられます。また、数件お参りに行きますと出費もかさみます。このような話を聞きます。事情をお察し下さい。

★消防操法大会‥・ポンプ車優勝
6月17日に行われた山川地区ではポンプ車で2位の成績を収めました。7月1日に指宿市の大会が行われ見事優勝しました。8月30曰に県消防学校で行われる県大会に出場します。

〔6〕知事選の結果

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7月8日、任期満了に伴う知事選の投票があり、現職の「伊藤祐一郎64」氏が建設業協会、各市町村の首長、医師連盟、農政連、業界団体など数多くの組織票を手堅くまとめ、「39万4、170票」を獲得して3期目の当選を果たした。

―方の「反原発を訴えた無名の新人「向原祥隆55」氏には、俳優の「山本太郎」氏や音楽評論家の「湯川れい子」、落語家の「三遊亭歌之介」などの著名人と勝手連の若者たちが、「向原」氏への応援に駈け付けて支援を訴えた。その結果、前回〔平成20年〕よりも「5万票」多く、「20万518票」獲得し善戦したが保守王国の牙城の壁は厚く、風穴を開ける事はできなかった。

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上記のように、今回の選挙は数多くの団休組織と、良識者の草の根運動による戦いであった。

7月9日の南日本新聞によると、=7月8日当日の有権者数、136万7,172人。 =男、62万8.801人。 女、73万8,371人=  投票者数、59万9,500人。投票率、43.85%過去2番目に低い投票率だったそうだ。〔前回は38.99%〕
又、この選挙中、原発の事に関してはあまり触れなかった「伊藤祐―郎」氏は、当選を果たした9日に「九電の川内原発の再稼動をする」と言い出した。


情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO12 2012年6月30日発

〔1〕来園者の数〔5月28日記〕

H23年度の一年間に、「かいもん山麓ふれあい公園」の施設を利用した人は、約6万2、000人。開聞岳登山者は約2万4000人。計約8万6、000人だった。これに4月15日の「クラシックカー」や8月12日の「そうめん夏祭り」のイベント数を加えると年間、約10万人弱が「ふれあい公園」に来園している。又、今年の5月は、過去最高の「7,118人」が登山している。「人数は確認した」
この公園では、様々な来園者と話す機会が多々ある。そして、―人ひとりの話に耳を傾けると無知な俺の知識も広まり、「よか」社会勉強にもなっている。

〔2〕老人の体験談〔5月28日記〕

去る5月28日〔月〕午前7時40分だった。「88歳だ」という老人が娘夫婦を伴って、開聞さつきとアジサイが咲き誇る、「ふれあい公園」へ来園し、戦時中の辛くて悲しい体験談を熱っぽく俺に話した。
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老人によると=戦時中は指宿の多良浜海軍基地にいて、21歳で終戦を迎えた。その当時の多良浜基地は海軍の「下駄履き」と云われる、水上飛行機による偵察部隊の秘密基地だった。そのため、将兵には厳しい「かんロ令」が言い渡され、地域住民との交流も厳しく制限されていた。大戦末期は「下駄履き」水上機に重たい爆弾を取り付けて、沖縄へ北上して来るアメリカ艦隊を目指し、多良浜基地を後にした82名の特攻隊員が「帰らぬ人」となった。

又、特攻に行<ため、他の基地から飛来した特攻隊員は、多良浜基地で最後のー夜を過ごしたその翌朝、誰にも見送られる事もなく秘かに南の空へ飛び立って行った。辛くて悲しい事であったが、明日は我が身もこうなる運命に置かれていた。そして、=操縦禅を握って開聞岳の周りを飛んだ若い頃の思いを胸に、戦友たちが眠るあの世へ逝く日も近い、今日が指宿を見納める最後の旅だ。今から花瀬望比公園の慰霊碑に手を合わせ、知覧の特攻基地に寄って帰る。=と云いつつ、おだやかな顔で「ふれあい公園」を後にした。
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多良浜基地の碑文

この多良浜海軍基地については、利永の方〔84〕も自分が勤務していた時の事を、H23年4月18日の葬儀の席で俺に話した。(H23年5月1日付けで発送)
又、なかには、生死を共にした上官と部下との親交を、戦後の今日まで続けている美しい話を耳にした。

今から20年程前の事である。俺が「生コン車」で、JR「前之浜駅」前の建築現場へ、「生コン」を運んで行った。すると、言葉が異なる60過ぎの男性3人が手伝いに来ていた。(H24年5月28日、現在、生きておれば88歳ぐらいか?)詳細を尋ねると=多良浜基地にいた時、上官から毎日の様に叩かれ、殴られ、蹴飛ばされる暴行を受けていた。すると、我々の上官であったこの方が、「明日は特攻で死ぬ身だ、生きているうちは一人前の人間として接しろ」と云って、我々をかばってくれていた。そして、休日には軍用車に我々を乗せて「前之浜」の実家へ連れて行き、腹-杯ご馳走を頂いた。その時の「恩」を忘れず、今日まで親交を続けている。今日、基礎工事をするとの達絡があったので長崎、久留米、熊本から駆けつけての手伝いである=という。この義理人情で固く輔ぱれた男たちの友情に、涙もろい俺はつい「ほろり」とさせられた事があった。この様に、何時の時代でも人に対する「善、悪」は、必ず我が身に返って来るものだ。みなさん、人への対応は親切にしましよう。
追信=H24年6月10日付けの南日本新聞「ひろぱ」欄に、鹿児島市の男性58
歳が、「多良浜基地」について投稿している。偶然が重なった。〔6月15日記〕

〔3〕―夜の犯行〔6月5日記〕

6月3日は79回目の「みなと祭り」だった。そして、午後8時からは外港で2000発の花火が「ドカン」と天高<打ち上げられた。その轟音と光の迫力に会場を訪れた大勢の観客は、歓声を上げながら見とれていた。処が、3日の夜から4日の深夜に掛けて、4つの窃盗事件が発生したそうだ。情報提供者によると、=「JR山川駅」前の会社は現金や小切手、重要書類が入った大きな金庫が盗まれた。更に成川浜の水産会社、生コン会社、岡児ケ水の運送会社が一夜に、同様な被害に遭った=という。〔6月26日、犯人の逮捕なし〕
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〔写真は成川区、=4月現在の戸数、約1182戸、人口、約2700人=区長に確認〕

この4つの外に成川区の「M集落」では、窃盗犯立会いの下で被害者宅の実地検分が行われ、5月には岡児ケ水の男性が、女性に暴力を振るって遼捕されている。又、5月27日には女児が不審者に身体を触られる騒ぎがあった。この様に、成川地区と岡児ケ水地区で、犯罪が頻繁に発生している。

〔4〕「いも」堀り機〔6月7日記〕

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右の写真は、一台400万円もする「芋」掘り機である。早掘りの「紅いも」を栽培している農家は、5月中旬から青果用の「紅いも」を出荷している。この「芋」掘り機には3人が乗り、前進すると掘られた「芋」がベルトコンペアーで上の方へ運ぱれる。そして、「ツル」をもぎとり「紅いも」を「コンテナ」へ入れる。この様に故郷の農業も次々に近代化されている。そして、農家は新しい農機具を購入し、―戸当たりの耕作面積も大規模になった。そのため、作物の価格がいい時には、それなりの収入もある。だが農業はー作、一作が博打だと言われる。価格が暴落すると「日当」にもならない。これが=農業は博打だ=と言う、ゆえん〔いわれ〕である。

〔5〕旅の思い出

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同級生10人で一泊2日の旅をしてから、6月21日で早や40日が過ぎた。楽しかった旅の余鎖が未だに残っている。特に古くから港町として栄えた、下関市の「唐戸魚市場」周辺には、明治、大正時代に建てられた壮麗な洋館、日清戦争の講和会議記念会館など歴史的な建物が点在していた。又、剣豪と云われた「宮本武蔵」と「佐々木小次郎」が1612年、「巌流島」での決闘から今年で400年。2人が決闘したワン、シーンも演じられていた。江戸時代、国禁の「海外への渡航」の掟を犯した罪で処刑された「松田松蔭」は生前、この「巌流島」を訪れていたと伝えられている。 又、倒幕に命を掛けた「坂本龍馬」は、恋女房の「お龍」を連れて島へ渡り、花火を上げて「お龍」を喜ばせたという。歴史の舞台となった「巌流島」は、現在でも人を引きつける魔力があるのか、約10分で往けるとの案内に大勢の観光客が、ひっきりなしに「唐戸桟橋」を発着する遊覧船で出掛けていた。又、本州と九州を結ぶ関門海峡は一番狭い所で600~700㍍。「はやとも海峡」と呼ばれ、今から927年前の1185年に平家が滅亡した壇ノ浦の古戦場跡でもる。潮の流れが速く、又、潮の変化が激しい海の難所で、元船員によると、=もっとも危険な海峡だ=という。その上には、本州と九州を結ぷ関門橋が架かっている。我々は、「唐戸魚市場」隣接の食堂で昼食した。そのため、僅かな時間しかとれず、ゆっくりと観光も出来なかった。そのため、「唐戸魚市場」へ往<機会に恵まれたら、ゆっくりと観光を楽しみ、海峡を航行する船舶の、音色の違う汽笛を聴きながら一日を過ごしたい。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO11 2012年6月15日発

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〔1〕世紀の天体ショー

2012年(H24)5月21日、午前7:15~20分、太陽、月、地球が一列に並ぶ「金環日食」を鹿県内で観測したのは、=昭和33年〔1958〕4月19日、トカラ列島での観測以来54年ぶり。又、国内では、昭和62年〔1987〕の沖縄での観測以来、25年ぶりりである=と新聞、テレビは伝えていた。
この日の大成小や山川中の児童生徒らは、かねてより30分早く登校して観測に備えたが、21日の県内は分厚い雲に覆われて、「ゴールドリング」の輪は観測できなかった。生徒らに感想を尋ねると=期待の喜びより、落胆の方が大きかった=という。
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                  住吉撮影(千葉から)

県内ではこの3年間に「皆既日食」と「金冠日食」の観測チャンスに2回も恵まれたが、2回とも天気には恵まれなかった。
しかし、3年前の「皆既日食」では、「喜界島」で取材中の南日本新聞の記者が雲の切れた瞬間、黒い太陽から光がこぼれ出た「ダイヤモンドリング」を撮影した。その神秘的な写真が翌日の新聞に掲載されると、「さすがはプロだ」と話題になった。
5月22日の南日本新聞によると、=次回の「金環日食」が県内で観測できる
のは、2074年1月27日夕。北海道では2030年に見られる=とあった。

〔2〕火の用心

5月22日、上仙田地区の男性〔昭16生〕が、全身に大やけどを負って凄惨な死を遂げたという。複数の話によると、=身体の不自由な男性がくわえ「たぱこ」に「ライター」で火を点けたらナイロン繊維の服へ着火し、全身火だるまとなった。助けを求める悲鳴に隣人が気付き、「ドクターヘリ」で急濾、鹿児島の病院ヘ搬送されたが全身「大やけど」のため、治療の甲斐もなく死亡した=という。

〔3〕薬剤散布

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5月23日午前5時30分~8時までの間、「松くい虫」を絶滅するため、開聞「ふれあい公園」の「イベント広場」を拠点に山川、開聞地域の松林に「ヘリ」2機で、薬剤散布が行われた。この薬剤散布は、「かごしま森林組合」と市の「耕地林務諌」が毎年、早朝から行なっている。処が昨年、薬剤散布をしなかった地域の松林には、マツケムシが異常発生した。そして松葉〔まっぱ〕を食い荒らし、長い歳月を掛けて太<なった直径30㌢~16㌢、高さ30㍍程まで伸びた松の木がたくさん枯れた区域もある。

〔4〕浜ん湯にて

5月26日〔土〕午後3時、岡児ケ水の男性〔80〕が=おいげん、やうっの「宮田おじ」は利永小の校長時代、児童らを岡児ケ水の温泉へ連れて来ていたが、入浴後は歩いて帰るので汗だくだったそうだ=という。6年程前、利永の長老から、=「宮田亮-」校長が「利永小」へ在任していた頃は、「利永地区」の井戸水が度々かれて、住民みんなが言葉で云えないほど、「飲料水」に苦労した。又、児童らの保健、衛生のため「お風呂へ入れてあげたい」と、常々云っていた「宮田」校長は、利永小から1400m離れた谷から湧き出ている清水を、「村人たちの飲料水に」と、村の役員らに導水を提案した。それがきっかけとなって昭和8年4月15日、念願の水道が村に引かれた。そして小学校にも立派な「風呂場」を造り、児童だけでなく夜は住民も学校の「お風呂」の恩恵を受けた。「宮田」校長は「飲料水」で尽力した立派な方だった=と聴いた。この事を知っている方が今、利永地区に何人いるだろうか。

利永水道記念碑-(原文のまま)

利永地区―帯は飲料水に乏しく、井戸の涸渇期〔こっかっき=水がかれてなくなること=〕には住民、学校の児童は常に飲料水に苦しみ、その惨状は言葉に現すことも出来ないほどであった。今和泉村、並びに利永区の有志は、これを残念な事と考えた。そこで、利永小学校から13町〔約1400㍍〕余り離れた谷に湧き出る清水を水道として導水しようした。が、これには200余間〔約360㍍〕もの隋道〔トンネル〕工事をしなければならず、これが大問題となった。かくして、みんなで議論する事、8年に及んだ。この間、区民の熱烈な要望が続いた。これに対し、今和泉村は2000円の補助を与えて隋道工事を助成する事にした。ついに難工事は8ヶ月を要して貫通した。

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そこで昭和7年7月8日、許可を得て9月16日、いよいよ水道工事を起こした。経費は今和泉村並びに利永区それぞれ折半〔半分〕したが総工費は14479円となった。竣工は昭和8年4月15日であった。区民はこぞって喜びであった。区民の保健と防災に又、学校衛生に大いに役立ち。人々は共に堵(と)に安する〔安心する事〕ことになった。今ここに当時の工事を苦心し、経営の労に尽力された人々の偉業を石に刻んで碑とし、永久に伝えるものである。

工事監督 村長=辺見逸彦。
水道委員   =南 市太郎、西迫源四郎。
村会議員   = 同上
同、区長   =川畑袈裟助、迫四郎、佐山甚助、西田仙次郎。
工事担当者  =坂口次郎助。
職 工    =上床大吉
隋道担当者  =浅見宗七
校 長    =宮田亮-、日高篤二、築地健吉。
                        以上。

この石碑は利永神社の入りロに設置されている先人達の偉業が偲ばれる。

〔5〕後を絶たない不審者〔5月28日記〕

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右の写真は指宿のNPO法人、縄文の森をつくろう会が「うなぎ池」の流水で造った川の公園、森松エコパークである。平成20年〔2008〕3月5日の開園式には、大成小の児童らも出席して川魚を放流した。又、ここに車を止めて水の流れに耳を傾けると、水のせせらぎに癒される。処が5月27日午後1時30分頃、小学5年の女児が軽トラに廃材を積載した50歳前後、身長170㌢面長の男性に言葉
巧みに話し掛けられた後、身体を触られたという。この場所は、森松交差点から800㍍ほど、うなぎ温泉ヘ行った左側にある。市の危機管理室には5月22~27日の間、4件の情報が寄せられているそうだ。

〔6〕第79回、山川みなと祭り〔6月3日〕

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各家庭に配布された、山川みなと祭りのチラシと、ハンヤ節のリズムに合わせて山川の街を練り踊る、踊り達の方々。

藩政時代、琉球や奄美などの交貿や島々の密貿易で栄えてきた「山川港」は、その後、明治43年頃から「かつお節」の生産が始まったという。そして、豊魚を祝う第一回目の「みなと祭り」が開催されたのは、昭和9年〔1934〕4月12日だったという。又、この日の山川外港には、海上自衛隊の掃海艇2隻が寄港して一般公開を行った。午後2時「さくしま」=〔450トン全長58㍍、幅9、4㍍、乗組員28名〕の見学の際、乗艦口で人数をカウントしていた係に、「俺で何人目」と尋ねると、「はい、250人目です」と、丁寧な返事があった。資料によると、艇名「さくしま」の由来は、=愛知県の三河湾のほぼ真ん中に位置し、歴史は古く縄文、弥生式土器片が多く出土し、古墳時代後期の古墳なども発掘されている面積0.76k㎡、周囲11、4k㎡、人口約315名の「佐久島」から命名された=とある。
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情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO10 2012年5月30日発

特集 昭和16達隊の旅

汗ばむほどの気候に恵まれた去る5月11日~12日の2日間、70歳の同級生10人〔男性6人、女性4人〕で、一泊2日の旅に出掛けた。
11日は、山口県「秋吉台、鍾乳洞、萩の松蔭神社、城下町の武家屋敷」など、12日は、「仙崎の青海島、下関の唐戸市場、門司港レトロ」など、快適な観光を楽しんだ。

画像の説明 sakura56 (2)

左の写真は5月11日、山川駅を出発する前の午前6時15分、「朝もや」の立ち込める山川湾を照らす、真っ赤な太陽を写したものです。

右の写真は小倉駅です。鹿児島中央駅を午前8時37分に発車した、「さくら546」は、1時間44分後の午前10時21分に小倉駅へ到着。車内で缶ビール2本を飲み干す間もない程の速さで小倉駅に着いた。

秋芳洞について

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ガイドの「井ロ」嬢によると、=東洋屈指の大鍾乳洞「秋芳洞」は秋吉台地下100㍍にある。この「秋吉洞」が「秋芳洞」になったのは、大正15年、昭和天皇が皇太子の時、「秋吉洞」を訪れた際、「秋吉」の「吉」を「芳」と言ったのが「秋芳洞」の名になった=という。洞内の観光コースは約1Km、総延長は10kmあるそうだ。

松田松陰について

ガイドの「井ロ」嬢によると、=安政元年〔1854〕3月27日、松田松陰は同志 「金子重輔」と共に伊豆下田港より、国禁の海外密航を企てたが失敗した。松田と金子は国禁を犯した罪で囚われて、江戸の獄へ送られた。
そして、10月萩の野山嶽に送還され、翌2年12月15日実家に朧慎を命じられて以来、同5年12月再度入獄され、3畳半の幽囚室に隔離された。
 その後30歳で処刑された=。

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ホテル千春楽

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一部4階立てのホテルは長さが約100㍍、裏側は日本海だった。
砂浜ではスポーツ部員や一般人らが、ジョキングや散策を楽しんでいた。又、夜ともなれぱ、打ち寄せては返す波の潮騒が、子守歌のリズムに聞こえてぐっすり眠れた。夏は大勢の方が海水浴に訪れる=という。




青海島について

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青海島は「日本の海100選」に指定されている。そして、日本海の沖合いから打ち寄せる荒波でできた、たくさんの奇岩や岩礁があることから瀬礁とよんでいるそうだ。又、「東山魁夷」画伯による「皇居、宮殿」の壁画の岩は、ここをモデルにかかれたものであるという。

和っこの浦について

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眼下に見える浜―帯を中の瀬といい、平成元年度後期「NHK」達続テレビ小説「和っこの金メダル」の舞合となった。そして、ロケーションが行われたことを記念し、ヒロインの愛称にちなみ「和っこの浦」と呼んでいるという。

門司港レトロについて
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ここには、明治45年〔1912〕に建てられた煉瓦造りの旧門司税関、大正3年 〔1914〕2月1日に開集した、木造建築の旧門司港駅、大正6年〔1917〕に建てられた旧大阪商船門司支店など明治、大正時代の懐かしい建造物が立ち並んでいる。又、明治、大正時代の衣装をまとった男女が行き交い、踊りや歌などの演劇も観られた。〔写真の建物は一部です。〕ここには鉄道博物館もある。

パナナの叩き売り
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この案内には、=昔を偲べぱ、大陸、欧州、台湾、国内航路の基幹と、九州鉄道の発着の基地点として大いに発展した。ここ桟橋通りは往昔の絵巻のーこまとして、アセチレンの灯のにぷい光の下で、黄色くうれたバナナを戸板にならべ、だれとなしに生まれ伝わる名セリフは大正初期~昭和13、14年頃まで不夜城を呈し、日本国中の旅行者の目を楽しませた。
バナナの叩き売りの風情は門司港のこの地、桟橋通り付近を発祥の地と由来せし。=と書かれている。

巌流島について

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関門海峡に浮かぷ周囲1.6kmの小さな島で、宮本武蔵と佐々木小次郎が対決したのは、慶長17年〔1612〕4月13日だったという。
そして、今年で400年になるそうだ。そのため、イベント関係者らが、宮本武蔵に扮した男性と佐々木小次郎に扮した女性が大勢の観客を前に、唐戸市場近くで対決のワンシーンを演じていた。
巌流島には唐戸桟橋から船で、10分で往けるそうだ。

関門海峡について

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下関と門司との関門海峡の距離は短いところで600㍍。船舶が航行する水路は400㍍しかなく、潮の流れも速く一番危険な海峡であるそうだ。そのため、ここを通る船舶は必ず、水先案内人を乗船させて航行するという。

旅の後記

日頃の行いがお天道様に通じたのか、2日間とも汗ぱむ程の気候に恵まれた。
小倉駅から我々の旅を案内したのは、「久留米」市内の「大宝観光バス」会社の優良運転手「鶴 篤」と、ガイド歴豊富な「井口恵子」嬢だった。そして、運転手の「鶴」さんは、迷路のような観光道を迷いもせず、軽やかにハンドルを操り姶終、安全運転の走行であった。そのため乗車している我々は、「ゆりかご」に揺られているような気分だった。
又、世間では「バスガイド」のことを別名「バスアナ」ともいう。我々を案内した「バスアナ」の「井ロ」嬢は、観光地の名勝、旧所、歴史上の人物名など、「トチリ」もせずなんでん、かんでんスラスラと案内してくれた。
そして、「井口」嬢の案内に耳を澄まして静かに聴いていると、教えられることばかりで、無学な俺は思わずうなるほど感動した。

―例を紹介すると、=明治維新から今日に至るまで、山口県から7名の首相
が輩出している。又、山口県は「夏みかん」の発祥の地でもある。昔、大陸から日本海の波に乗って山口県の海岸に流れ着いた「夏みかん」を、村人たちは食べ物の「夏みかん」とは知らず、「けまり」のように「足」で蹴って遊んでいた。処が、日にちが立つと「足」蹴りの「けまり」は腐れてきた。そのため薮に捨てた。すると「芽」が出て「木」になり、花が咲きいつしか「実」がなった。そこではじめて、食べ物の「みかん」だと気付き、日本中に広まった。
又、萩市は昔から「城下町」、「学問の町」、「小京都」の街と云われているが、日本には「小京都」と云われる「街」が57ヵ所ある。そのなかで7ヵ所が九州
にある=そうだ。

今回の旅では多くの方に巡り合わせて、大変お世話になった。先ず旅行社の川尻出身「鈴木勝志」氏には、旅行に関するー切合財お願いした。又、観光バスの「鶴 篤」氏は安全運転を、ガイドの「井口恵子」嬢には素晴らしい案内をして頂いた。そして、歓送迎と手厚い「おもてなし」の接待をしてくれた「萩」のホテル「千春楽」のみなさん、誠に有難う御座いました。改めて御礼申し上げます。このお世話になった感激を何時までも忘れず、残り少ない人生を楽しく送ろう。

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情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO9 2012年5月8日発

〔1〕金環日食

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去る3月26日午後8時、西の夜空に金星、三日月、木星が並ぷ珍しい現象を見た。
あの時の感動が未だに心の片隅に残っている。

4月17日の南日本新聞によると、=太陽、月、地球が並び、太陽の中心部分が「月」で隠されてリング状になる「金環日食」が、晴天ならぱ鹿児島県では54年ぷりの、5月21日に観測できる。次回は62年後=と伝えている。

又、=皆既日食よりはるかに明るいため、肉眼で太陽を見ると日食網膜症になる恐れがあるので、専用の日食グラスの着用を=と注意を呼びかけている。

ある資料によると=6月6日には、小さなほくろのような金星が、太陽の前を通過して行<のが、日食専用グラスで見える。又、8月14日には金星が月の後ろを通り、隠れるため金星食が見られる=という。=金星の太陽面通過は、次が105年後。又、夜の金星食は次が51年後である=そうだ。

〔2〕小惑星探査機、「はやぷさ」の「帰還カプセル展」

この写真は、広報「いぶすき」4月号の表紙を飾ったものです。
宇宙で繰り広げられる天体ショーのニュースが伝えられるなか、宇宙を7年間も飛ぴ続けて、小惑星「イトカワ」のサンプルを持ち帰った小惑星探査機、「はやぷさ」の「帰還カプセル展」が2月25日~28日までの4日間、指宿市の考古博物館『時遊館COCOはしむれ』で開催された。 6620人が訪れたという。

2月24日、横断歩道に立晴していると、大成小の4~6年生の児童らが見学から還って来た。感想を尋ねると=本物を見られてよかった=と、感動の瞳を輝かせていた。
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〔3〕高速船の事故

4月22日午前7時45分、鹿児島本港で乗客44人と指宿港で140人を乗せて、屋久島の宮之浦港へ向っていた高速船「トッピー1」=164㌧、乗員5人=が、佐多岬の西約2㌔沖合いで、「くじら」らしき物体と衝突し乗員、乗客5人が骨折などの大怪我を負った。
又、その衝撃で長さ約3㍍の水中翼を破損したため航行不能となり、巡視船「さつま」と巡視艇「さくらかぜ」が救助に向った。しかし、現場海域は4~6㍍のうねりで高速船に近寄れず、事故から約14時間後の午後11時、巡視船に曳航されて山川港に接岸した。〔ここまでは、23日の南日本新聞から:抜粋した〕

午後10時30分、山川港へ駆け付けると警察、消防救助隊、地元の消防団、指宿市医師会、報道陣、一般人など約200人が待ち受けて14時間、船内に閉じ込められていた乗客一人ひとりに労いの言葉を掛けて下船させた。
報道陣に原因を尋ねると=あの海域は「ザトウクジラ」が餌を求めての回遊ルートだ。衝突物体はおそらく「くじら」でしょうね~=という。
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又、この海域では平成18年4月9日、屋久島から鹿児島港へ向っていた高速船「トッピー4」が、佐多岬沖で漂流物と衝突し、乗員乗客112人が重軽傷を負う大惨事が発生している。これも=「くじら」では=と、云われている。

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利永の男性が高速船に乗船していた際の話によると、=高速船は船底から吸い込んだ海水を勢いよく噴射して、船底の前後にある水中翼で船休を浮かせて、時速80㌔の速度で海上を航行している=そうだ。の男性は、高速で走る衝撃で「ひざ」を痛めて、3年前にやむなく退社した。
鹿児島港から屋久島まで約117㌔ある。貨客船なら約3時間30分掛かるが、高速船なら約2時間で行ける。
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一般人は近寄れず、写真も撮影出来なかったので、南日本新聞から転載した。                       
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4月23日午前9時30分、山川駅から望遠レンズ500㍉で撮影。
巡視船「さつま」と右側の赤い船が、事故船の「トッピー1」

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO8 2012年4月25日発

〔1〕追悼慰霊祭

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枕崎市「火の神公園」のー角にある平和祈念展望台で、毎年開かれる戦没者の追悼式ヘ往って来た。 ここには太平洋戦争期の昭和20年4月7日、戦艦「大和」を旗艦とした日本海軍の第2艦隊が沖縄へ向う途中、米軍の猛攻撃を受けて戦艦「大和」を始め、多くの艦船がここから200㌔沖合いで沈没し、約3700人の将兵が死亡した。
この戦闘で九死に一生を得た巡洋艦「矢矧やはぎ」の生存者、「大保実雄」氏「大山の大保商店主、山川町議も務めた」が元気だった頃、=戦友の「御霊」を供養するため、東シナ海から打ち寄せる波の音と、潮の香りが心地よいこの地に、慰霊碑の建立に尽力した=と、俺に話した事があった。
 又、H7年〔1995〕からの慰霊祭は、遺族の方が高齢のため今回で最後になる。この日の枕崎漁港の外港では、海中の危険物や機雷を取り除く海上自衛隊の掃海艇「たかしま」=長さ57㍍、570㌧=の「一般公開」もあった。この木造船のいかつい「掃海艇」については、=鉄造の艦船は海中の機雷が磁器に反応するため、木造船を使用している。外見は古いようにも見えるが、高性能の機器を備えている=との説明であった。

〔2〕原野火災

4月9日午前11時前、消防分遣所から「利永が原野火災」との放送に、現場へ駆け付けると、「市山東」の老婦人が、畑でチリ焼き中に山林へ燃え広がり、一時は村中が騒然となった。この騒ぎで大山、徳光分団も応援に来ていた。火災の方は初期の消火活動が早く、約30分位で鎮火したという。現場は元「西村スタンド」から山手の方へ行った、突き当たりの左側の畑。利永では昭和33年6月2日、たきぎが原因で大火災が発生し、94棟51世帯が焼け出された苦い体験をしている。

〔3〕夢に向って羽ばたく

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ピアノコンクール全国大会で、最優秀賞に選ばれた「薗田陽和」さんが、4月8日の「南日本新聞」地域総合欄で、=将来は「声優になるのが夢、好きなピアノは中学でも続けていく」=と、述べている。「陽和」さん宅は、祖母の「ケイ子」さんが、多頭の子牛を肥育している。そのため、成川トンネルの手前から1㌔ほど山の坂道を登った村はずれにある。
7年ほど前、妻と山菜取りの帰りに「ひより」さん宅の前を通った。すると、子牛の鳴き声と「ピアノ」を弾く音が聞こえた。
妻が、=ケイ子ちゃんが「孫ん子」に、ピアノを買い与えたのかね~、周りに人家はないし、子牛もピアノを聴きながら成長するからー石二鳥だね~=という。「まさか、あの時の子が受賞するとは思いもしなかった。努力は裏切らなかったね~」と、妻は褒めている。

〔4〕水田の逆さ富士

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米どころの開聞「仙田地区」の水田は7年程前、土地改良事業で碁盤の目のように区画整地されて、昔の面影は何も残っていない。その水田では、〔4月12日現在〕田植えの真っ最中であった 。 そして、水が張られた水田には、開聞岳の逆さ富士がくっきりと浮かんでいた。
この風景に見とれた通りすがりの観光客が、国道の脇に車を止めてカメラのシャッターを押していた。

〔5〕営業開始

温泉の出が悪くなり、やむなく休業に追い込まれていた「こっがはま」温泉が、4月から営業を始めた。入口には、当分の間「午後1時から6時まで」の営業を知らせる看板が立てられている。
ここのお湯には鉄分が多く含まれているので、「疲れた身体に効き目がある」と、利用客に喜ばれている。

〔6〕閉店

指宿の街に大型スーパーや、全国チェンー店の「パチンコ店」が進出し連日、大安売りや大放出を展開して、お客様の争奪戦を繰り広げている。そのため、地元の弱小店舗は太刀打ち出来ず、国道226号線「小川パイパス」沿いにあるパチンコ店、ラーメン屋、スーパー、お寿司屋が連鎖的に閉店に追い込まれた。
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〔7〕故郷への想い

下の写真は関西在住の方々が、故郷の開聞町へ帰省した際、記念樹と記念碑を「かいもん、ふれあい公園」内に建立したものである。
ここには還暦や退職など、人生の「一区切り」を記念して、記念樹と記念碑が10基ほど建立されている。処が、植樹の木はほとんどが「ヤマモモ」の木である.せめて「桜の木」ならみんなが集まって、満開の桜の下で「いっぺ飲めるのに」と、思う時もある。
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〔8〕珍車、名車

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4月22日まで、世界的に有名な「ハ二、コレクション」から選ばれた珍車、名車、往年車が30台、指宿の「いわさきホテル」に展示されている。
入場料1500円払って会場に入ると、映画「パットマン」で使用された「パットモービル〔初代〕」の現車、日本が世界に誇る「トヨタ2000G T」、インドの皇太子「アン、カーン」が婚約者の品としてハリウッド女優の「リタ、ヘイワース」に贈ったとされる「ドライエ135」など、高級車がずらりと覆示されていた。車の外見は芸術的な流線型の仕様で、車好きな俺には目の保養になった。
又、4月15日には、開聞「ふれあい公園」のオートキャンプ場で、「第15回、オールドカー、フェスティーバル」が開催された。ここに展示する珍車、名車の持ち主は、九州館内や山口県からも駆け付けて、自慢の愛車を展示している。入場料は無料だ。このイベントは、旧開聞町時代の平成7年に始まり、口蹄疫などで2回中止になったが毎回、大勢の観客が訪れて賑わっている。

〔9〕酔っ払った勢いで

春の晴れ間に恵まれた4月6日、我々「16連帯」の同級生は、利永公園の満開の「桜」の下で、今年も「お花見」を開いた。
美味しい弁当を肴に、ビールの酔いが回ると、「我々も先行き短い人生だから、元気なうちに旅行へ行こう」と言い出した。〔俺じゃないぞ~〕
酔いが冷めない内に、旅行社に勤める川尻出身の「鈴木勝志」氏へ早速電話。3日後に届いた「日程表」によると、新幹線で小倉まで行き、そこから観光バスで山口県「萩」市へ行く事になっている。5月11日に山川駅を出発進行だ。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO7 2012年4月15日発

〔1〕慰霊祭

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太平洋戦争の際、激戦地の「フイリッピン」で戦死した、約47万6000人余りの将兵の御霊を供養するため、3月27日午後0時30分から、開聞岳裏の「花瀬望比公園」に遺族や関係者ら約1200人が出席して第46回、比島戦没者の慰霊祭が行われた。
式典では、開聞小14名の児童による金管バンドで。「上を向いて歩こう」や「花みずき」など3曲が、恒久平和を祈願して演奏された。又、英霊が眠るフイリッピンは、ここから南へ1900 ロの先にある。

〔2〕離任式

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平成21年4月、指宿市立大成小学校へ着任した第22代目の「大薗―法56」校長は、雨の日も風の日も又、暑い日も寒い日も、毎朝、大成小の信号機へ立哨し、登校して来る児童らの安全を見守ってきた。又、教職員らとカを合わせて、児童らの教育指導に取り組んだ。その結果、毎年開催される「南九州市かわなべ青の俳句大会」へ出品した児童らの作品が、21年度と22年度に、2年連続で「学校賞」に選ばれた。
そして、3月17日のピアノ全国大会では、6年生の「薗田陽和」さんが、最優秀賞の栄冠に輝き、大成小の名を一躍、世間に広めた。
その実績と功績を「大成小」に残し」3年間お世話になった皆さんへ、「有難う」のお礼を述べて、故郷の南九州市立「川辺小学校」へ出発した。そして思い出いっぱいの校長室には、第22代目「大薗一法」校長の写真が飾られた。

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〔3〕廃刊

上の「徳州新聞」は、「医療法人、徳州会病院」の理事長、〔元、衆議員議員〕「徳田虎雄」氏が発刊していた新聞です。大らかで太っ腹の「徳田」氏はこの新聞を週―回、鹿児島2区選挙民の世帯に無料で配布していたのです。新聞には、政治と医療に関する事や諸々の記事が豊富に掲載されていたので、「よか」勉強にもなっていた。又、―週間分のテレビ番組も掲載されていたので、商業新聞を購読出来ない家庭には重宝がられていた。しかし、経費節減のため3月で廃刊になった。長年、新聞を配達していた方によると、「年間1億5000万円の経費が掛かっていた」という。療養中の徳田氏に、今まで「有難う」のお礼を申し上げたい。

〔4〕月と星の天体ショ-

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3月26日午後8時、職場の巡回中に西の空を見上げると、星と星の真ん中に「三日月、みかづき」が割り込んで、-列に並んでいた。思わず「あれっ」と思いながら、宇宙空間で繰り広げられる天体ショーに、仕事も忘れるほど感動して見とれてしまった。
27日の南日本新聞は、上から「金星」、「三日月」、「木星」が均間隔に並び、最接近するのは2008年〔H20〕12月1日以来で、27日は「月」、「金星」、「木星」の順に入れ替わり、「月」は次第に離れるが、2惑星は今月いっぱい日没直後の、午後7~8時ごろ楽しめる。次に3つの星が最接近して見えるのは、2015年〔H27〕6月20日と伝えている。皆さん、次回の天体ショーを楽しみに。

〔5〕別れと出会いの始まり

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4月1日付けで転勤族の大移動があった。指宿市の財政赤字を立て直すため、県庁から派遣されていた「富永信-」氏は、平成22年2月7日の「市長」選に当選した「豊留悦男」氏から、「副市長」に抜擢された。そして、指宿市の発展のため、「豊留」市長の右腕として今日まで尽力して来たがこの度、古巣の県庁へ戻った。
「富永49」副市長とは3回程、宴席で膝を交えて盃を交わしたが、真面目で誠実な方だった。

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☆大成小の「大薗」校長から、「若くて教育熱心な先生」と、紹介された6年生の担任だった 「鎌田麻衣子」先生は、3年間の交流教員として、頴娃町「青戸中学校」へ転勤し、得意な「社会科」を教えるという。そして3年後には、「大成小」へ帰って来るそうだ。



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☆平成21年4月1日付けで、屋久島から山川中へ着任した「迫田茂之」教頭は、この度の移動で大隈半島の南端にある「第一佐多中学校」へ、「校長」の肩書きで栄転した。山川港のフェリー発着場で行われた出発式で、見送りの教職員、生徒、PTA、地域の方々へ感謝のお礼を述べて、午前10時のフェリーで新任地へ向った。
この日は、「大成小」大薗校長の引越し荷物の積み込み手伝いをした後、山川港で迫田、新「校長」の見送りをして、午後1時30分から、大成小へ着任した、「鮫島」校長の荷、下しの手伝いで、バタバタの一日だった。

〔6〕着任

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春日よりの天候に恵まれた4月1日午後1時30分、鹿児島県の北部「大口市立、山野小」から「大成小」へ、第23代目の女「鮫島恵子校長」が着任した。女性「校長」の就任は、大正3年〔1914〕創立以来、「初めて」だという。今後の学校運営が楽しみである。







〔7〕褒美〔ほうび〕

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春の嵐が吹き荒れた4月3日午後2時、「指宿地区交通安全協会」2階の会議室で、平成23年度「交通安全」に尽力された方々への表彰式があった。この式で、「雲の上」の人物とも言える「鹿児島県、交通安全協会長」と「鹿児島県、警察本部長」連名の賞状と記念品が、波乱万丈のハンドル人生を送って来た俺にも授与された。
俺を誉めた事がない妻が、=利永の「郷土史」作りに奔走した「あんた」へは、村の役員からは一言のお礼も無かったのに、権力者の「御上」から表彰状を下さるとは、、やっぱい「貧乏貴族」の父ちゃんは偉い=と、初めて褒めてくれた。

〔8〕入学式

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6年生31人を山川中へ送り出した「大成小」では、4月6日の入学式で男21、女13の計34人の児童を迎えた。そして、教職員22人と児童241人で、新学期が始まった。又、山川中では、男30人、女29人計59人の入学生を迎え、教職員20人と生徒205人で平成24年度の新学期が始まった。利永小では、6人が山川中へ。新入生は4人だった。左の写真は、「大成小」の入学式で、祝辞を述べる「豊留悦男」指宿市長。〔携帯電話のカメラで撮影〕







情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO6 2012年3月31日発

〔1〕3月6日「隣人女性の死」

若い時分から病弱で、入退院の繰り返しだった実家の隣人〔女性〕が、79歳の生涯を閉じて、「清光妙栄信女」と名乗り浄土へ旅立った。身寄りのいない故人からは、=寛、おいが死んだら、後を頼んでね=と、云われていた。そのため、「弟」夫婦が身元を引き受けて、今日まで様々な面倒と3月8日の葬儀では喪主を努め、浄土へ旅立つ故人を手厚く葬った。
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〔2〕52年間の営業に幕〔3月8日記〕

火葬場で同席した「松山保徳83」氏によると。上野出身の「山下四郎」氏〔元、海軍大尉〕が創業した精米所を昭和33年5月に購入し、「松山精米所」として創業を始めた。
処が、その一週間後の6月2日午後1時、寺村から発生した利永の大火災で、「精米所」は全焼し、精米機の残骸と借金だけが残った。その後、更に借金を重ねて「精米所」を再建して、今日まで52年間続けてきた。しかし、最近の農家は「米」や「麦」などの穀物を植えないから「うどん」つくりもない。高齢を機に精米所を廃業した。

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又、300年前から利永に伝わる「琉球人傘踊り」を、30年ぷり〔昭和50年〕に復活させて、今日までに約470人の方に「踊り」を教えたという。
現在の「踊り」保存会長は、「西元志農夫」氏。

〔3〕天命を全う〔3月20日記〕

昭和10年〔1935〕、当時26歳の「前畠イセマツ」さんは、満州鉄道に勤務する「夫」を残し、6人の幼子を「満州」から引き達れて「利永」へ帰省した。その後、「夫」と死別してからは、女手一つで畑を耕し子供を育て上げた。そして、現在に至るまで病気1つせず、20年ほど前からは長男夫婦と元気で暮らしていた。しかし、高齢のため体調が急変し、3月17日午前10時30分、長男夫婦に看取られて、「享年105歳」の天命を全うし永眠した。俺は遺族代表の挨拶のなかで、=生きた郷土史と云われる程の「物知りぱあさん」に、古代から利永へ伝わる暮らしの文化、行事など、様々な歴史を教えて頂いたお蔭で利永の郷土史、「今昔物語」が発刊された=と感謝を述べた。

〔4〕会食への招待〔3月22日記〕

3月21日、大成小6年生〔男子17名、女子14名〕のみなさんから、=何時もお世話になっているお礼に=と、6年生最後の思い出つくりの会食へ招かれた。そのため、バナナとミカンをいっぱい抱えて出席した。この児童らは、5年生の体験学習の際、俺が先導して開聞岳へ登山したのを、忘れずにいたのである。〔大成小の5年生は、開聞岳登山をする〕

そして、明日〔22日〕卒業式を迎える児童らに、「自分の進む目標に向かって勉学に励み、その夢を実現させるために努力せよ」と激励の言葉を贈った。又、「外薗-法」校長に、担任の「鎌田麻衣子」先生について尋ねると、=教育熱心な先生である=と紹介されて、「なるほど」と思った。それは、児童らの挨拶が非常に丁寧であった事。これも担任の指導の表れかと感動した。

〔5〕無期懲役の判決〔3月22日記〕

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昨年〔H23〕の5月2日、指宿市で老夫婦を殺害した「川下 誠45」に、検察は死刑を求刑した。そして、3月19日の裁判官3人、裁判員6名と補助員1人の裁判員裁判で、「中牟田博章」裁判長は、=無期懲役の判決を言い渡した。

〔6〕春の珍事2つ〔3月23日記〕

○その〔1〕誤報
3月20日午前3時40分ごろ、山川、開聞消防分遺所から、=只今、開聞十町の交差点付近で火災が発生。各消防分団は出動せよ=と、緊急出動の放送に爆睡中の地域住民は起こされた。
それから暫くして、=只今の火災は誤報であった=と、お詫びの放送があってー件落着した。
複数の方によると、=酔っ払いが、道路に落ちていた紙屑を拾い集めて燃やしたところ、その火を遠くから見た人が火事と思い込んで、消防分遣所へ通報したのが誤報になった=という。〔これは巷の噂である〕

○その〔2〕ハンマーと包丁のチャンバラ
3月21日午前9時ごろ、徳光地区の80歳のボケ老人が、隣人の60歳女性にハンマーを振り上げて、=わいをタタッ殺す=と言いながら襲って来たという。するとその女性は、=なぬ~、おいが、わいを、うっ殺す=と言いつつ包丁を持って、ボケ老人に立ち向ったそうだ。そして、ハンマーと包丁を持っての「チャンバラ」がはじまった。その騒ぎに近所の人たちが気付き、警察へ通報したという。
この2つは大事にならずに済んだが、木の芽が芽吹<この季節になると、人間の身体にも変調が表れて頭も狂い、時には大惨事を招く事もある。

〔7〕卒業式〔3月23日記〕

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3月22日、大成小の第97回卒業式へ出席した。
俺にとって、この卒業式と転勤する先生方を送り出す離任式は、学校行事の中で一番つらい。送る者、送られる者も感極まって涙、涙のすすり泣きが、静粛の会場に漏れてくる。
人情に弱い俺は、涙腺が緩みっぱなしで、70歳の鬼面にも涙が浮かぶ。               
だからこの2つの行事は、一番つらくて悲しい行事である。                         
又、大正3年の開校以来、大成小を今日までに巣立った全体の卒集生数は、「6927」人になった、鹿児島県では、H23年度の卒業式後、小、中、高の14校が廃校になる。

〔8〕ピアノコンクール最優秀賞

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3月17日午後8時前、関東かいもん会の副会長「坂上政幸」氏から、=和田、大成小6年生の「薗田陽和」さん〔成川〕が、東京都中央区晴海のトリトンスクェア内の第一生命ホールで開催された、第10回ローランドファンタスティック、ピアノコンクール全国大会で、最優秀賞(小学生の部)
を受賞したぞ=との達絡が来た。
早速「大薗」校長にも受賞の喜ぴを伝えると、=H23年7月の鹿児島大会で優勝して、全国大会に臨んだ=という。

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そして3月21日、大成小6年生の会食に招待された際、「大薗」校長から=この方が「薗田陽和、ひより」さんです=と紹介された。

受賞の喜びを「陽和」さんに尋ねると、=ピアノは4歳から始めた、会場で名前を呼ぱれた時には、自分でもびっくりした=という。
又、そのピアノは、祖母の「薗田ケイ子」さん〔仙田出身〕が、開聞、笠口出身の知人宅にあったピアノを、頂いたのだそうです。
22日の卒業式のなかで、卒業生が「仰げぱ尊し」の合唱の際、「陽和」さんが伴奏をかなでてくれた。素晴らしい演奏であった。

〔9〕2012選抜高校野球大会の司会

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3月21日、国民を熱狂の渦に巻き込む、第84回選抜高校野球大会がはじまった。この大会の開会式でアナンサーの大役を努めたのは、鹿児島甲南高校2年生の「緒方桃子17」さん。「緒方」さんはH23年の夏、NHK杯全国高校放送コンテストで優勝した。
その優勝者には、センパツ開会式の進行司会と閉会式での司会を担当する褒美が与えられるという。
はつらつとしたアナンサーで進行をこなした「緒方」さんは、本番は緊張した。終わってほっとした、と笑顔で話したという。



情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO5 2012年3月15日発

〔1〕県下一周駅伝

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郷土の期待と声援をー身に受けて、早春の薩摩、大隅路を駆け抜ける「第59回、県下―周市郡対抗駅伝大会」が、2月25日~29日の5日間にわたって行なわれた。県内588.6㌔、53区間を12チームの選手252名が、意地と誇りを掛けて健脚を競い、一本の「タスキ」を次の走者へ託す過酷なレースである。

総合優勝は「川辺チーム」で、21年ぶりの栄冠に輝いた。そして、B級優勝は「肝属チーム」、C級優勝は「出水チーム」だった。又、昨年は最下位だった「指宿チーム」は、今回10位の成績で念願の躍進賞を手中にした。

〔2〕財界人の死〔3月2日記〕

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敗戦後、復興期の鹿児島で、いち早くバスと観光事業に着手した「岩崎産業」は、創業者の「興ハ郎」氏による営業努力と周りの者たちの協力も得て、巨大な企業に成長させた。そして、県内の産業界、経済界を常にリードし、又、観光事業に於いては、指宿の観光発展に尽カしてきた。その「岩崎グループ」2代目代表「岩崎福三」氏が2月29日の未明「86歳の生涯を閉じた」と、3月1日の南日本新聞は大物財界人の訃報を伝えた。現在は「福三」氏の長男「芳太郎」氏が、「岩崎グループ」3代目の代表に就いて、采配を振るっている。合唱

〔3〕これで良いのか、婦人会〔3月5日記〕

成川区は18の集落に分かれている。そして、「区」主催の祭りや行事の際には「婦人会」が下慟きの奉仕活動で地域に貢献している。だから婦人会組織は、どの地域に於いても大切な存在である。

処が、我が「森松集落」の主婦は身勝手な「者」が多く、婦人会へも加入せず、文句だけは人の倍いう。そのため、森松婦人会員らが=少人数のため活動が出来ませんので、「成川区」の婦人会組織を脱退する=と、2月25日に成川区長へ伝えた。
すると、この情報がいち早く「成川区」の各婦人会員へ伝わり、蜂の巣を突っついたような大騒ぎになった。そして、区長、18人の各集落長と婦人会役員は、市の社会教育課をも巻き込み、「成川区民センター」で毎夜10~11時まで会議を開き、今後の対策を話し合ったという。そして、3月1日付けの回覧で、婦人会への加入を全家庭へ呼びかけた。

〔4〕学校だより「せんだん」

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「大成小」の「大園一法」校長が毎月発行する「学校たより」2月号を頂いた。その内容は3月22日に行われる「第97回卒業式」への案内と、「なでしこジャパン」のGkで活躍している「福元美穂」選手のメッセージが掲載されていましたので、みなさんへもご紹介致します。

〔5〕福元美穂選手からのメッセージ

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全日本女子サッカー「なでしこジヤバン」のゴールキーパーとして活躍している福元美穂選手は本校の卒業生です,福元選手は本校の子どもたちへ向けてたびたびメッセージをくださいます。ロンドンオリンピック出場が決まった際には「夢を持とうと書かれた色紙を,また,先日は大変責重なJFAのブルーペナントをいただきましたが,それには次のようなメッセージも添えられていました。
「いつも応援ありがとうございます。これからまだまだサッカーを通じて自分自身成長していきたいと思います。常に感謝の気持ち、大好きなサッカーを楽しむ心を忘れずに,頑張ります。」
福元選手からのメッセージは全校朝会で全児童へ伝えました。また、校長室には北京オリンビックの際,福元選手が着用した。ユニフォームもあり、子どもたちも見に来ます。子どもたちがこれらを励みとし、夢に向かって努力してくれることを期待するとともに、今後の福元選手のますますの活躍、そしてなでしこジャパンのオリンピックでの健闘を祈ります。

   成川出身、大成小卒業の「福元美穂」選手⇒

〔6〕初公判〔3月10日記〕

昨年〔H23〕5月2日、指宿市でアパート経営者の74歳と73歳の老夫婦が、「滞納家賃12万4千円を払え」と催促したところ、借家人の「川下誠45」は隠し持っていた洋包丁で、老夫婦を刺して殺害した。そして、強盗殺人、銃刀法違反で逮捕された「川下誠」に対する裁判員裁判が、3月5日~9日まで鹿児島地裁で開かれた。〔裁判員6名、裁判官3名〕
検察側は「冷酷、残忍な犯行」と、死刑を求刑。一方の弁護側は「突発的な犯行で計画性はない」と、無期懲役を求めた。判決は3月19日、午後3時からの公判で言い渡す。〔次回に報告する〕

余談になるが、H21年6月鹿児島市下福元町で91歳と87歳の老夫婦を殺害したと、死刑を求刑された「白濱政廣73」は、H22年12月の裁判員裁判の一審判決で無罪が言い渡された。この判決を不服とした検察側は、福岡高裁宮崎支部に控訴した。そして今年の10月ごろ、二審の公判が開かれる予定であった。処が、3月10日「白濱政廣73歳」は、三和町の自宅で病死したという。

〔7〕ヒナンゾ、ユエ〔節句祝い〕

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3月10日午後6時、宮ケ浜の小学校から西へlkm先の宮ノ前集落で、農集を営む男性に嫁いだ姪っ子宅の初節句に招かれた。畜産農営の傍ら、公民館長を努める「下川床
正吉63」氏によると、約100世帯の集落には、古来より伝わる唐人踊りがあり、民俗芸能文化祭や、H21年11月29日の山川港交流400周年事業の際にも参加して踊ったという。又、公民館長の「下川床」氏は何事にも積極的で、老人宅や様々なところから片付けの依頼があると、すぐ壮年部を集めて手伝うそうだ。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO4 2012年2月29日発

〔1〕「小鳥」よ、何処へ?〔2月5日記〕

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寒い時期になると我が家には様々な「鳥」が飛来し、「ひよどり」は「万両」や「梅もどき」の「実」を、「めじろ」は「椿花」の蜜や「妻」が輪切りにした「みかん」に群がって、突っついていた。そのため、「鳥」の賑やかなさえずりを聴きながら、一日を楽しんでいた。処が、昨年から「小鳥」を、さっぱり見かけなくなった。

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俺一人かと思っていたら新聞への投稿やテレビ、ラジオでも「小鳥がいない」と伝えている。その原因について、=鳥のインフルエンザの影響か=という方もいる。又、5年ほど前から「蝶」や「蜂」などがいなくなり、農家では「かぽちや」の「雌しべ、雄しべ」の授粉交配を人間の手によって行っている。4年ほど前、テレビ出演の識者が、=この世から「蜂」がいなくなったら人間は、40日間で地球上から全滅する=と、興味深い話をしていた。

〔2〕覚せい剤使用で逮捕〔2月8日記〕

徳光地区で車の販売や整備工場を営む軽営者の「娘夫婦」が平成23年12月9日ごろ、自宅で「覚せい剤」を使用した疑いで、2月6日指宿署に逮捕された。逮捕された〔入り婿36才〕の実家は、俺が立哨している交差点から100㍍程、成川地区へ下った所にある。2月7日の南日本新聞で逮捕が伝えられると、=「覚せい剤」は大都会の事かと思っていたが、こんな身近な所で=と、みんなが驚きの声を上げている。又、この「婿殿」は、「執行猶予期間の身であった」との噂もある。

〔3〕火の用心〔2月13日記〕

山川、開聞消防分遣所では連日、火災予防を呼ぴ掛けている。処が2月11日午前8時30分ごろ、川尻地区でー人暮らしの「松元梅子90」方が出火し、木造平屋建て住家1棟を全焼した。松元さんは逃げて無事だったが、仏壇の火が燃え広がったのが原因だという。

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暗いニュースぱかりだから、かいもんふれあい公園に咲く、
彼岸桜を掲載しました。
2月24日撮影





〔4〕寒波の被害〔2月15日記〕

連日、豪雪のニュースが伝えられるなかで、指宿地域でも「-4度から-6度」の寒い日が続いた。そのため指宿地域の「豆畑」では、「低温傷害」という「さや」が変色したり、葉が枯れたりの被害を被った。2月14日の南日本新聞は=県内の被害は5億4090万円以上=と伝えている。「小川地区」で農業をしている同級生によると、=3反歩の「実えんどう」畑が、約100万円の損害を受けた。昨年は大雪、2年前は大寒波、3年前は「ヒョウ」が降って「ちんがらっ」被害を受けた。この4年間は天候に泣かされっぱなしだ=と嘆いていた。

〔5〕赤潮の被害〔2月15日記〕

「山川湾」では「ブリ」や「カンパチ」の養殖をしている。「いけす」の網には約20万匹の魚が入っており、水揚げの浜値は「ブリ」1㌔当たり約「500円」、 「カンパチ」1㌔当たり約「850円」で、指宿市内のホテルなどへも納入しているそうだ。処が、「鹿県で初めて」という「種類」の赤潮が発生し、「ブリ」が2万匹、「カンパチ」も2万匹に被害が出たという。県や山川町魚協によると、=ここ数日の雨で、陸上から栄養塩も供給されたのが原因で、今後も発生する可能性がある=と注意を呼びかけている。

〔6〕交代で番をするから「交番」という

山川外港の「かつお節」製造団地には約20社があり、18歳~23歳までの中国人女性、約100数名が働いている。彼女らは、=日本の治安は世界で一番いい=と話している。処が、交番や駐在所が4月から統合・廃止される事になった。2月14日の県警発表によると、=夜間の犯罪に対応するため現在59交番と198駐在所を、69交番103駐在所に統廃合し、3月までに1交番38駐在所が廃止され、6交番を新設する=と公表した。又、宮ケ浜駐在所は指宿駅前交番へ統合して、名称は「指宿中央交番」に、大山、山川駐在所が統合されて、「指宿南交番」となる。川尻駐在所は廃止対象から外れたそうだ。地域住民の治安と生命を守る「巡査ドン」に敬礼。

〔7〕車中泊の旅

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指宿漁港の「太平次公園」駐車場には北海道、東北、関東、近畿など、県外ナンバーの「キャンピングカー」や「軽、普通ワゴン車」約20台が来訪して、「車中泊」をしている。「妻と車中泊の旅を続けて10年目」という「岡山」から来た男性〔72歳〕によると、=6月に「岡山」を出発し、夏の間は北海道を旅する。そして、10月に指宿を訪れて毎日「浜ん湯」に入る。生活費は月7万円、3月末まで指宿に滞在し、4月に「岡山」へ帰る=という。

◎交差点に立哨していると、「悲喜、哀楽」の人情「ドラマ」が生まれる。

■その〔1〕、「チョコ」にお礼を込めて〔喜び〕
2月16日午後4時20分ごろ、小学2年の女児が母親の車から降りて駆け寄り、 「和田さんいつも有難う御座います、ハイ」と、「チョコ」を渡して立ち去った。 「有難う」のお礼は述べたが、余りの嬉しさに「名前」を聞くのを忘れてしまった。後日、女児の名前が判明したので、「大薗―法」校長にも女児の善意を伝え、感動の喜びを2人で分かち合った。

■その〔2〕、2人の前途に幸あれ〔悲、哀れ〕
=お父さんは船員で留守が多く、お母さんは病気〔ノイローゼ気味〕で通院している=という3年の男児と5年の女児の姉弟とは、何時も気軽に声を掛け合う仲であった。2月7日も「おはよう、今日は特別に遅いね」と声を掛けると、=「お母さんが私と弟を捨てて家を出て行ったの。だから私と弟の面倒を見てくれる人がいないから施設に入って、そこから学校に通うの」=と目に涙をー杯うかべて、育児放棄の母を罵った。
2月10日午後4時30分頃、下校の女児が「15日に転校する」と、寂しそうにいう。そして俺の傍から離れず、なかなか帰ろうとしない。そのため、=お世話をして下さる施設の皆さんは、親切な方ばかりだから心配するな、頑張れよ=と励まし、帰路の後ろ姿を見送った。

■その〔3〕、声掛け運動〔楽しい〕
大成小の5年生と6年生は、毎週月曜日と木曜日の午前7時40分から、正門と西門に交代で立哨し、登校の児童らに大声で、「おはようございます」と挨拶を交わしている。「大薗一法」校長によると、=大成小の継承行事の一つ=という。又、全体集合で教師が「気をつけ、「整列」、「―歩前進」、「右向け」などの号令を掛けると、児童らはー斉に号令に従い、一糸乱れぬ動作で応じる。この児童らの厳格な動作には、我々も身が引き締まる思いで感動している。

〔9〕「新名所」となるか

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トレッキング、ブームの韓国から誘客し、「ウオーキング」を楽しんで頂くために、右図のコースが設定された。その中には、「こっがはま温泉から開聞温泉」までの、約lk㍍ある防風林のなかを散策するコースも入っている。仕事帰りに立ち寄って、市観光課の委託業者が防風林を綺麗に「薮」払いをした、幅1㍍程の散策路を歩いた。青松の間からは紺碧の東シナ海を望み、水平線の彼方からは、大波小波が浜辺に打ち寄せては返す波の音が心地よく聞こえ、目前には開聞岳が眺望できる絶景な散策路であった。

〔10〕71歳の同窓会

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昭和32年〔1957〕3月、「開聞中」を卒業した昭和16年〔1941〕生まれの40数名が参加して、2月20日午後6時から指宿国民休暇村で同窓会が開かれたという。埼玉県から参加した、「関東かいもん会」の「副会長、坂上政幸」氏〔71歳〕によると、=宴会は盛大に行われ、2次会は「カラオケ」だった。やっぱい同級生はよかど=と、元、開聞中の生徒会長さんは満足していた。
「坂上」氏とは、昭和23年4月に利永小入学から利永中1年までの7年間、机を並べた同級生で、彼は幼少から親分肌の世話好きだった。処が、昭和30年〔1955〕4月1日、「上野地区」は開聞町へ、「利永、尾下地区」は山川町と合併した。そのため、大人の「損、得」感情によって、子供たちの仲は引き裂かれ、その後「上野地区」と我々は、疎遠になっていた。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO3 2012年2月15日発

〔1〕「馬頭観音」参り〔1月19日記〕

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今ではすっかり忘れられているが、昭和55年頃までの1月18日は、農耕用の「牛」や「馬」など、家畜の「無病息災」を祈願するためほとんどの農家では、池田湖畔の「馬頭観音」詣でをしていた。
又、この日は「仙田しょがっ、正月」でもあった。そのため仙田の人たちは「馬頭観音」詣でに往く人達へ気軽に、「帰りには寄れよ」と声を掛けていた。その甘い言葉に「馬車引き」で飲んベーの「父」は、必ず「仙田」の「やうっ」げへ寄り道し、腹いっぺ「焼酎」を飲んで前後不覚の状態で帰宅していた。仙田の方々によると、「仙田しょがっも、遠い昔の思い出になった」という。
    馬頭観音の由来についての案内〔原文のまま〕
=大昔の戦国時代に「源 頼朝」と「平家」との宇治川の戦いで「佐々木四郎高綱」が、「頼朝公」の愛馬「池月」で宇治川の急流を押し切って一番乗りの功名をたてて軍功第一とうたわれた。「池月」が「頼朝公」に召されてから「母馬」の嘆きは狂わんばかりで、ある時は野山を駆け回り、ある時は池田湖を無心に泳ぎ廻っていたが、遂に思いあまって断崖から身を投じて死んだと伝えられている。この馬に同情した村人たちがその「霊」を慰めようと石塔を建てて祀ったのが「小浜観音」で、その命日にあたる旧暦の1月18日に盛んな「霊祭」が行われている。=
との説明文があった。
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入口の右側に、郷土出身の衆議院議員で「防衛庁長官」を勤めた「故、上林山栄吉」氏
が「宇治川の先陣競える、池月の産まれし、ほとり水澄みにけり」と詠んだ石碑がある。

〔2〕歩け、歩けで、きぱいやっもんせ〔1月23日記〕

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指宿の街に「活力と潤いをもたらす」、第20回、「いぷすき菜の花マーチ」が、去る1月21、22日にあった。21日は、「かいもん、ふれあい公園」を発着点に、40、25、12㌔.の3コース。22日は、指宿の「ふれあいプラザ菜の花館」を発着点に30、20、10、5 ㌔の4コースに、2日間で延べ「1万4555人」の参加者が、「菜の花」が満開の指宿路のウォーキングを楽しんだ。=昨年〔H23年〕は「1万4056人」=主催者発表。又、指宿会場では、「B級グルメフェア」が開催されて15の出店に、家族達れや参加者、市民らが大勢押し寄せて長蛇の列が出来る店もあって大盛況だった。
                          

〔3〕またか、またや〔1月25日記〕

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1月22日の法事で、弁当を食べた山川学校給食センターの調理員の女性が、23日の昼から下痢、腹痛、「おう吐」などの症状があり、検査の結果「ノロウイルス」が検出された。そのため、25日から27日までの3日間、山川、開聞地区の幼稚園と小中学校の計9施設への1250食を、停止した。〔一日、1250食〕  山川給食センターは、昨年も同じ騒ぎがあり、新聞沙汰になるのは、今回で4回目。又、指宿給食センターの3人が同じ症状が出たため配食を停止した。

平成24年1月26日から運航開始された「ドクターヘり」
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〔4〕転落事故〔2月4日記〕

1月31日午前11時、同級生から=「H」が怪我で一週間前に入院したぞ~。オイドンたッも、もう70じやっで、ワイも身体には気を付けよ。見舞いにいっとか~、ワイにもいっかすっで=との電話が掛かって来た。
2月7日、怪我人の親戚の方へ詳細を尋ねると、=「JA小川支所」から500㍍程、鷲尾嶽の方へ行った所で、丸太木を4㌧車へ積み込む最中に「ユンボ」が傾いて、運転台から3㍍下の地面に転落した。その際に頭と顔面を強打して、意識不明で倒れている所を近<の畑いた女性が発見し、県の「ドクターヘリ」で鹿児島市の病院へ搬送された。 2月7日現在、意識は回復しつつある。後-週間程で指宿の病院へ転院する=との事であった。〔ここは2月8日記〕

〔5〕電線泥棒〔2月8日記〕

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茶農家では「霜」から「茶」の新芽を守るため、ガーゼのように柔らかい布を被せたり、高さ約10㍍の丸い鉄柱に防霜「フアン」を取り付けるなど、設備投資をして「品質のよか茶」を生産している。処が、県内の茶畑に設置されている「防霜フアン」の銅線が最近、相次いで盗難にあっているそうだ。昨年は29件の被害届があったという。

〔6〕シンボルカラーになるか?

指宿市のほとんどの職員が、「黄色い」上着〔ジャンバー〕を着衣している。そのため庁舎内は、菜の花が満開に咲いたように明るい。又、女性職員は「蝶」が花から花へと舞うように、庁舎内を笑顔で動き回り市民に接している。これまで市民に与えていた暗いイメージは一掃されて、庁舎を訪れる者たちの心を和ませている。

この上着は、スポーツの「ミズノ」製で、「菜の花マラソン」の際、大会役員や約2000人のボランティア、役所の部署によっては無料で配布されている。

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この「黄色」の上着を一般市民に普及して、夏は「アロハ」、冬は「黄色」が「シンボルカラー」になって、市の活力にもつながる?と、思うのは俺-人か。

←黄色い上着を着衣して、愛嬌を振りまく女性職員

〔7〕破魔投げ〔ハマ投げ〕

我々が小学生の頃、冬に「ハマ投げ」という遊びを村の道路でしていた。20人程が二手に分かれて、その真ん中に線を引き、丸太木でつくった直径約10㌢の「ハマ」を相手陣地に力-杯投げると、相手は勢いよく転がってくる「ハマ」を、先端が少し「L形」になっている1㍍ほどの棒で力-杯、打ち返す。「ハマ」が相手陣地で倒れると、「1点」の勝ちになる。得点を競う男だけの荒っぽい遊びであったが、通り掛かった何人かが怪我をしたため、村人たちが「危ないから止めよ」と云うようになり、昭和26年〔1951〕頃、自然消滅した。この「ハマ投げ」遊びを、「伝統の継承と地域交流の場」として、現在も続けている地域があるそうだ。1月30日付けの「南日本新聞」は、=姶良市の老人クラブ達合会、加治木支部の「ハマ投げ」保存会が中心となり、加治木支所総合グランドに40人が参加して、第33回目の「ハマ投げ」大会が行われた=と伝えている。

〔8〕下着泥棒〔2月10日記〕

「成川地区」の「神方集落」に住んでいる方によると、=寝静まった夜中に人の気配がしてゴトゴト、ガサガサ音がした。怖くなり翌朝、山川派出所へ届けると、〔この周辺は下着類や物が盗まれる被害届が多発している。大人から中高生までを対象にして、密かに捜査をしている〕=との事だったという。「非常事態か?」と、2月9日の朝「成川区長」へ詳細を尋ねると、=「神方」の「集落長」や警察からは何の達絡もない。今回が初耳だ。=との事だった。

情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO2 2012年1月31日発

〔1〕交差点にて

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1月10日、18日間の冬休みが終わり、大成小=〔校長、大薗一法〕=では今日から3学期が始まった。児童らと会うのも「さっかぶい」である。午前6時55分から立晴したが、世間はまだ簿暗く車はライトを点灯して走行している。「大成小」ヘー番乗りを目指して元気良く登校して来る児童らに、「おめでとう。お年玉を貰ったか」と尋ねると、にこにこしながら、「ハイ」という。又、「今年も宜しくお願いします」と、丁寧に挨拶をする子もいた。思わず、「この子は、しっかりした親に育てられているな~」とか、「学校での道徳教育が浸透しているのかな~」と、思いをめぐらした。

〔2〕始業式

1月10日午前9時、「大成小」の始業式へ出席した。教職員21名、児童242名〔欠席3名〕が静粛のなかで挨拶した「大薗-法」校長は、=皆さん新年おめでとう御座います。この3学期は一年の中で最も寒い時期である。体調に気を付けて、本年度のまとめをしっかりするとともに、次の学年への心構えをしっかりつくって下さい。そして6年生は後3ヶ月で中学生になる。「大成小」で学んだ事を活かして、更に勉学に励み、知識を高めよ=と心優しく児童らの健康を気遣い、激励の言葉を述べた。
又、「成川出身」で「大成小」の先輩である、「なでしこ、ジャパン」のGK「福元美穂」選手から頂いた、「夢を持とう」の色紙をみんなに紹介して、=みなさんには素晴らしい先輩がいる。みなさんも「福元」選手に負けないように「夢」を持って何事にも挑戦し、その「夢」を実現するために努力して下さい。=と挨拶を締めくくった。
〔挨拶は要所だけ記入した〕

〔3〕後3年で100周年

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「大成小」の大薗―法校長によると、=「大成小学校」は「大山小学校」と「成川小学校」が大正3年に合併して、創立された「学校」である。又、「大成」の名は、大山の「大」と成川の「成」から、―つずつ取って「大成小」になった。そして、後3年すると、100周年を迎える=という。その校長室の壁には、歴代の校長の写真が左から右の方ヘー列に飾っている。その一番目に初代の校長、「丸山精一」氏〔大正4年~8年〕の写真がある。現在、「第22代」目の「大薗―法」校長は、=子供たちは、将来の日本を担う大事な「宝看」である。だから我々教職員は、将来を担う大事な子供たちに様々な勉学を教え、育成して「中学校」へ送り出している=と、使命感に燃えた心情を常々述べている。さすがは「校長先生」である。

〔4〕道路改良の申し入れ

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この写真は、「大成小」への乗り入れ道路である。処が、国道脇に三角の花壇があるため、成川から来た車が、右方への進入が困難である。又、ここは車の交通量も多く、ここから400㍍先の「うなぎ温泉」入り口交差点までは、指宿市で交通事故多発「N01」の汚名地 でもある。そのためH22年6月28日に指宿市役所の「建設課」に出向いて、「事故が発生しないうちに、道路改良をして下さい」とお願いをした。すると、応対した職員は、現場の写真と地図と校区住民の署名を添えた申請書を、成川区長を通じて提出せよという。後日、「建設課」の言う通りに書類を提出したがその後、何の音沙汰もない。

〔5〕家族葬〔1月13日記〕

 父の「妹の子」が1月12日に死去した。81歳の生涯を閉じた故人〔女性〕は、生前「他人へ迷惑を掛けたくないから、家族の者だけで送ってね」との遺言を残していたという。そのため、14日午前11時から指宿「大蔵堂」の斎場で執り行われた葬儀には、故人の父方から3人、母方から「俺と弟」の2人、故人の弟、妹ら3人、「いとこ」が2人、友人が2人、計12人だけで故人の冥福を祈りつつ、あの世への旅立ちを見送った。大蔵堂のスタッフの方によると、=最近、家族葬が多<なっている=という。

〔6〕1月14日の「ダセチッ」

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今回は「17組」の新婚家庭を子供たちが訪れて、「―度や二度、嫌な事があっても離婚するな。夫婦円満で子宝つくりに励め」と、はやしながら「出せ棒」で庭を突く「ダセチッ」行事が、今年も「利永地区」で行われた。ほとんどの新婚さんは、「地区外」や「県外」で暮らしているという。そのため、子供たちは「親元」を訪れて、子宝を願いつつお菓子を頂いた。この「子宝」を願う行事が、=伊佐市大口宮入「木ノ下場」集落=で、10年ぶりに復活したという。新婚家庭を訪れた子供らは、ヤマピワなどの木で作った特殊な「はらめ棒」を天に突き上げて、「はらめ、はらめ、はらまない時には「曾木の滝」に投げ込むぞう=と、はやしたてるという。

〔7〕かめ割り坂

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上の写真は太古の昔、「浦島太郎」と「乙姫様」が、竜宮城から竹山の「股腰し」へ持ち帰った2つの「千年酒」を、「開聞神社」へ奉納に往く途中、その1つの亀」を落として割った、と伝えられている「かめ割り坂」である。 以前は写真のような「立て札」があったがなぜか、昨年〔H23年〕10月ごろ撤去されて無くなった。

指宿を訪れる観光客は、既存の観光地だけでは物足りず、常に新しい観光地を求めて動いている。だからこの「かめ割り坂」と、「乙姫様」が子供を出産したという竹山「股腰」の「無瀬海岸」を整備して、新しい観光地に出来ないだろうか?宣伝しだいでは新名所の可能性がある。又、1月22日午後4時、職場へ向かっていると400CCのバイクで横浜から来たという若者が、「開聞中」の三差路で「開聞岳一周道路が分からず」ウロウロしていた。 途中まで道案内をして見送ったが、最近ではこの隠れた観光コースをバイクや車で訪ねて来る観光客が多くなっている。
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情報を発信する 故郷ニュース 2012-NO1 2012年1月15日発

〔1〕今年もよろしく

新年おめでとう御座います。今年も多くの方から賀状を頂いたが、「3.11」の震災で音信不通になっている、東北の方からは来なかった、気が駆りである。

〔2〕除夜の鐘

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「利永地区」では40年程前から恒例となっている「除夜の鐘」が、今年も大晦日の深夜に打ち鳴らされて、新しい年を迎えたそうだ。近隣の村々で、「除夜の鐘」が打ち鳴らされる行事は「利永地区」だけである。今では年間行事の一つになって、地区の活性化に繋がっているという。

〔3〕初詣〔1月2日記〕

元日に「竹山神社」へ初詣に出掛けて、一年間の「無病息災」と「妻」に捨てられないように、と「家内安全」を祈願してきた。日頃の「竹山神社」は参拝者もほとんどいない。この正月3が日だけは多くの参拝者が、初詣に訪れて賑わっていた。又、戦時中には出征する者たちが参拝に訪れて、「武運長久」を祈願してから戦地へ赴いたという、暗い時期もあったそうだ。

最近立てられた竹山神社の案内には、竹山はかって熊野修験場の行場だった。熊野山伏は山野で、太陽、月、山、海などを「神」として拝みながら心身を鍛えた。竹山が行場とされたのは、神の宿る天、海に近いそそり立った岩山で、海中の股河洲〔股ごし〕や鳶の口峯を従え、南方系のソテツが自生し、温泉が湧き出ていたからであろう。伏目の屏風磐には、宝暦14歳申〔1764〕の年号の不動明王を表すという大きな梵字が掘り込まれている。との説明が書かれている。
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〔3〕1月3日、浜ん湯にて〔1月3日記〕

正月は温泉三昧だった。午後3時、「大宮」ナンバーの軽トラで入浴に来ていた男性によると、
=昨年の3月11日、友人のお見舞いで埼玉県「00病院」にいたら地震が発生し、立っていられないほどの大揺れで、この世で一番の恐怖を休験した。処が、この地震にびっくりした病院の先生と看護婦さんらは、入院患者をほったらかして、一目散に外へ飛ぴ出した=という。患者の命より、自分の命が大事だったのかね~と、湯船で大笑いだった。

又、ある男性によると、=年末に利永で25万円、大山で1000万円盗られる事件が発生したという。「どっからの情報か」と尋ねると「巡査どんの話だから間違いないだろうという。「お金のあるところにはあるもんだ」と、みんながため息をついていた。

〔4〕開聞岳の登山者数〔1月5日記〕

昨年の1月1日は大雪で、今年は好天に恵まれた。そして、開聞岳登山口の2合目に設置されている、 「カウント、センサー」には、=1月1日は「209人」、2日は「179人」、3日は「117人」、計「505人」と、カウントされていた。

〔5〕県内3が日の人出〔1月7日記〕

県警によると、2012年正月3が日の県内の主な神社、仏閣への人出は、昨年より21万人多い約「155万人」で、「150万人」を超えたのは、6年ぷりである。又、開聞「枚聞神社」の初詣客は「14万人」と公表した。

〔6〕サンコンメ祭り

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1月7日、古来より「ニセ入り」行事として「浜児ケ水」地区に伝わる「サンコンメ祭り」が地区の5箇所であった。厄年の者達が長さ2㍍、直径10㌢の竹筒の中に硬貨を入れる。それを中高生らが「無病息災」、「家内安全」、「五穀豊穣」と書かれた半紙を貼った「かさ」をかぶり、硬貨の入った竹筒を肩に担いでぐるぐる回り地面に叩きつける。すると、割れた竹筒から硬貨が出てくる。観客はー斉に金を拾う。そして、拾った小銭は家の神棚に供えて、一年間の幸運を祈る習わしである。84歳の長老によると、=物心ついた時には、すでに行われていた=という。

〔7〕鬼火たき

 この日〔7日〕は「サンコンメ祭り」の後に、海岸の砂浜で「鬼火たき」も行われた。浜砂には、正月に使われた「門松」や「松の枝」、「竹」など、様々な物が山と積まれ、その真ん中に竹笹の付いた7㍍ほどの竹が立てられ、それに火を点けて無病息災、家内安全、五穀豊穣を祈願した。「区長」を8年間勤めた方70によると、=真ん中に立てた「竹」の根元が燃え尽きて、「海」の方へ倒れると漁業が栄え、「陸」の方へ倒れると「農業」が栄える、と昔から伝えられている。

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又、=「竹山」から「岡児ケ水」までの海岸は、岸から波うち際まで約100㍍の幅があって、時には「きびなご」が砂浜へ多量に打ち上げられていた。その時には、みんなが競って拾っていた。しかし、長い年月にわたり、業者が海底や浜辺から「砂鉄」を取っていたので今では浜辺も侵食され環境も変わった。 そして「きぴなご」も海岸に「軽石」もなくなり、「鬼火たき」の際に子供たちが使う「軽石」は、他の海岸から拾い集めて来る=そうだ。説明が長くなったが現在「鬼火たき」が行われるのは、徳光地区だけである。

〔8〕消防出初式

1月6日午前9時、災害から地区民の命と財産を守る指宿市消防「出初式」が、開聞総合グランドにて開催された。参加した消防団員は、新年の防火、防災への誓いを新たに、威風堂々の分列行進を披露した。そして見物に訪れた市民らは、勇姿の団員らに感動していた。

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この写真はH23年の出初式で、行進するラッパ隊です。

〔9〕マラソン大会

1月8日、新年を迎えた国内で、最初に開催される第31回、「いぶすき菜の花マラソン大会」が、市営陸上競技場周辺を拠点にして行われた。当日は気温8度の肌寒いなか、全国から「1万7932人」のランナーが出場し、午前9時の号砲を合図に、「ふれあいプラザーなのはな館」前をー斉にスタート。コースの沿道には菜の花が咲き乱れるなか、ランナーはマイペースで指宿路を力走し、市営陸上競技場前に次々とゴールした。又、今大会から10㌔コースが廃止になり、全体の出場者は昨年より3000人以上減ったが、「フルマラソン」への出場者は、逆に143人増えたそうだ。

指宿市は新年を迎えると、この1月中に、全国から大勢の人々が参加する大会が2つある。そのひとつは「マラソン大会」、そして、1月21日~22日の2日間、「開聞ふれあい公園」と「指宿市営陸上競技場」を拠点にして開催される「いぷすき菜の花マーチ大会です。この2つの大きなイベントは、指宿のホテルや観光関係者に絶大な経済効果をもたらし、市全体が潤っている。詳細は次回にお知らせします。
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