関東かいもん会

開聞出身者の友情と親睦を深める「関東かいもん会」

平成23年1月~4月 故郷ニュース

N0,2011-8 2011-4月18日発

〔1〕行方不明者の死〔4月4日記〕

去る3月29日から行方不明となっていた川尻の「男性25才」は、5日後の4月2日午後6時頃、消防分遣所から「無事、発見された」との放送があった。

処が複数の噂によると、桜島の観音崎から400㍍沖を「うつぶせ」で漂流しているところを、漁船に発見されたという。そのため、遺体を解剖して自殺か他殺の両面で調べるそうです。

又、この男性は県外で働いていたが、今回の震災で精神が不安定になり、会社から休暇が出されて「川尻」へ帰省していたという。その一週間後の出来事であった。〔上記は噂であり、直接の取材はしていない〕

〔2〕出会いの始まり〔4月6日記〕

大成小では、4月6日午前10時から、新入生「35名」を迎えての入学式があった。この「35名」のうち「23名」が、成川地区からの新入生である。新入生たちは大成小の桜が咲き誇るなかを、保護者に付き添われて元気よく登校してきた。そのなかには、「あん世かい、いっでん、迎え来てよかごっ、孫ん、晴れ姿を見て、おかんなら」という、若い「じいちやん」「ばあちやん」の姿もあった。

厳粛の中で挙行された式で「大薗」校長は、新入生らの不安を取り除くかのよ
うに明るい表情で新入生らに、
 1、登下校の際には、交通事故に遭わない様に注意する事。
 2、新しい仲間と仲良くして、早く学校生活になれる事。
 3、自分の事は出来るだけ自分でする様に心がける事。
この「3つ」を必ず「守って下さい」と、祝辞のなかでお願いをした。

その後、担任の先生から一人ずつ「名前」を呼ばれた新入生らは、手を挙げて「ハイ」と大きな声で返事をして立ち上がり、在校生や保護者らの方をクルツと向いて、「宜しくお願いします」と、礼儀正しく頭を下げた。 そして、全員で「一年生になったら~」と「鷲尾のふもと森松の~、」の校歌を合唱して、学校生活を送る事になった、新入生らの門出を祝った。
今年の大成小の教職員は18名、である。

又、午後2時から、新入生「83名」を迎えて、山川中学校の入学式もあった。男子111名、女子120名、全校生徒、231名で新学期がスタートした。6日付けの南日本新聞「コラム」によると、この日に公立小中学校へ入学予定の児童生徒は、「3万351人」とあった。
〔この度の震災で、県内に避難してきた55人も入学したという。〕

〔3〕交差点での挨拶〔4月7日記〕

入学式の翌朝、何時ものように交差点に立哨していると、新入生らは教科書と将来の「夢」を一杯詰め込んだ「ランドセル」を小さな身体に背負い、上級生の「お兄ちやん」、「お姉ちやん」らに混じって元気よく登校してきた。

新入生2人の女児に、「おはようございます」と大きな声で挨拶すると、元気な声で「ありがとうございます、おじちやんも病気をしないで頑張って下さいね」と、いたわりの挨拶が返ってきた。〔うそのようで、本当の話である。〕

そして、緩やかな登り坂を「フウフウ」息を弾ませながら急いで学校へ行く。その背中では、「ランドセル」が「ュッサ、ュッサ」と、時計の振り子のように揺れていた。

6日付けの「コラム」によると、県内の自治体が委託する保護員や交通安全指導員は300人余りで、ポランティア団体にも2万9500人が登録されているという。この中の一人に、俺も含まれている〕

〔4〕民意の審判が下される日〔4月11日記〕

 4月10日〔日〕、民主党政権になって、初めての統一地方選挙が行われた。今回の鹿児島県議選では、福島原発事故を受けて急濾、川内原発1、2号機の安全性と3号機増設計画の是非が争点になった。そして、79人が立候補して51の議席を争った。〔前回より3議席減〕その結果、薩摩川内市区で増設撤回を訴えた、無所属新人が初当選した。

4月13日の南日本新聞によると、「原発」3号機増設反対を訴えた候補が当選した事に、コメントを求められた「伊藤」県知事は、「増設への同意について見直すっもりはない」と述べたと伝えている。あくまでも強行姿勢である。

又、九電の「真部利応」社長は、11日夜、福岡市内での取材に「増設は見合わせる」と表明し、「目標としている2019年度の運転開始は難しい」との認識を示したと伝えている。〔見合わせは先送りで、増設撤回ではない〕

指宿市では定数「1」に、現職の「小園しげよし」氏の他に立候補者がなく、無投票で3期目を早々と決めた。「小園」氏は、指宿市会議員を3期ほど勤めた。その後、「打越あかし」氏が、民主党の国会議員へ進出したので、県議に鞍替えして2期5年の現職である。温厚な方で、指宿市の様々な行事やイペントには必ず「顔」出しして、住民らと気さくに挨拶を交わしている。

〔5〕同窓会の花見〔4月12日記〕

4月8日の午後12時30分から雨降るなか、19人の同級生が参加して川迫モータースの車庫で、お花見の飲み食いをした。
丁度「甥っ子」の結婚式に出席するため、帰省中の「関東かいもん会」副会長の「坂上政幸」氏も、公私共に忙しい中を馳せ参じてくれた。そして、「70年に一度の恐ろしさを味わった」と、震災のなまなましい体験談を語った。

「坂上」氏とは去る、1月11日の「古希願戻し、同窓会」の席で、「今度はお花見で飲み食いを」と、同級生一同との約束をしていた。そして、義理堅い「坂上」氏は、この約束を忠実に守ったのである。そして、今度会う時には関東かいもん会、「会長、坂上政幸」の名刺を下さいとお願いした。すると、「和田、そいばっかいは、勘弁せっくれ」との事だった。

〔6〕「原発」事故に関して〔4月12日記〕

広島、長崎に「原爆」を落とされ、戦後は「ビキニ環礁」で「第五福竜丸」が死の灰を浴びて、乗祖員の「久保山愛吉」氏が犠牲になった。だから放射能の恐ろしさは当時の政府も充分、判っていたはずである。にも関わらず、自民党の大物が「原発」推進の旗振り役となって、昭和35年頃から石炭、石油の火力発電から「原子力発電」へと、国策で推し進められた。

これに対して良心的な物理学者らが、「原発」の危険性を訴えた。すると研究者グループは怪しげな人物から、「監視、尾行などの迫害をされ続けている」と、俺は教わった。あれから40数年、原発推進の姑息な政策は危険性が証明された。

[check]記者の目 責任は重い

NO,2011-7 2011-4月05日発

震災後の動き〔3月21~2日記〕

◎3月20日〔日〕午前10時、妻の警護でスーパーセンター「ニシムタ」ヘ買い物に行った。「即席ラーメン」や「カップ麺」が山と積まれた、特設売り場の店員によると、「1箱とか2箱のまとめ買いが多くなった。これも震災の影響ですかね」という。
この日は懐中電灯、電池、ポケットラジオなど、様々な商品を買い求める客が多く、「ミネラル」の水は一人5本までの販売規制をしていた。そして、入荷は未定とあった。ニシムタは県内に約28店舗あり、健全な経営企業である。

◎電力会社と自民党政府が「交付金」という甘い餌と、反対する者には国家権力を使って弾圧を下し、アメとムチの政策で建設された「原発」は今、世界の人々をも巻き込んで異常事態に陥れている。
そして、放射能という「目」に見えない恐怖から逃れるため、乳幼児を抱えて親戚や友人、知人もいない、奄美大島へ避難している方もいるというショッキングなニュースがテレビで流れていた。被害はさらに広がるであろう。

◎「伊藤」鹿児島県知事は、九州電力の要請に応えて、薩摩川内市にある「原発」3号機の増設を認めて「0K」のサインを出している。しかし、「原発」事故の悲惨さを憂慮した「川内市」近隣の複数の市長らが、現在稼動している1号機、2号機の安全点検を求め、又、増設の凍結を九電に申し入れをした。その「九電」の成り行きを、大勢の県民は注目している。

◎40数年前、名古屋の「生コン輸送」会社で俺と一緒だった同僚は、長い間、腰痛に悩まされていた。そのため、入退院を繰り返す度に何枚も「レントゲン」撮影をして、精密検査を受けていた。そして、何度も「レントゲン」撮影を重ねて「放射線」を浴びていくうちに、「腰」部分の「骨」が増殖して、「腰」の痛みが前よりもひどくなった。完治の光を失った同僚は、妻や子供、複数の友人らに「さようなら」の電話を掛けた後、病院の8階から飛び降りた。
又、電話を受けた友人らは、この同僚の異変を察知して、すぐ病院へ駆け付けたが時すでに遅く、友人らが「目」したのは、同僚の無残な姿だったという。後日、訃報の知らせに名古屋へ出掛けて、同僚の微笑む遺影に手を合わせて冥福を折ってきたが、「放射能」は少しでも浴びると、危険極まりないのである。

◎今NHKや民放のテレビでは連日、放射能について伝えている。又、ゲストに招かれた識者は、「これ位は安全」とか「あれくらいは安心」とか「人体に影響はない」などと、何食わぬ顔で「安心、安全」を強調している。しかし、「放射線」を浴びて死を選んだ同僚を思い出すと、識者らの発言は信用できない。放射能には「安心、安全」は絶対にないと俺は確信している。

◎「かつお節」生産量日本一を誇る「山川」、「枕崎」に、「冷凍かっお」を運んでくるのは、東北の「巻き網漁船」が多い。だから「山川」と「枕崎」は東北の方々とは、切っても切れない「ご縁」で結ばれている。

この度「山川港」へ入港した「巻き網船」の方によると、「パブアニューギニア」沖の赤道近くで「かつお」の操業をしていた際、震災と津波の知らせを受けた。そのため、6月までの操業予定を切り上げて急濾、山川港へ入港したという。

日本には「かつお」の「巻き網船」が約30数隻いて、そのうちの数隻が「宮城県、気仙沼」周辺の「巻き網船」であるそうだ。 その「巻き網船」800㌧には約、22人が乗船しているが、それも東北出身の方々がほとんどだという。〔22人の中の5・6人は、フイリッピン人が乗船している〕

又、山川港を出港して、「パプアニューギニア」沖の赤道近くで、「かつお」の操業をして、再び日本の港へ帰ってくるのに、約3~4ヶ月掛かるそうだ。今回は早めに水揚げを済ませて、救援物資を積み込んで帰るという。

◎被災地では今、自転車が交通手段として、重宝がれているそうだ。俺の妻によると、山川の水産加工組合から、各「かつお節」生産工場の従業員へ、自宅で使用しない自転車の寄贈を、お願いしているという。又、県漁連を通じて鹿児島市にも協力をお願いしたところ、「市」はその要請に応えて、放置自転車を撤去している100台を、山川港へ寄港している、「巻き網漁船」の乗組員へ贈ったという。
善意で贈られた自転車は、「巻き網漁船」に積み込んで持ち帰り、交通手段に使うそうだ。この他にも様々な救援物資が多く寄せられたという。

「ノロウイルス」騒ぎ〔3月24日記〕

 最近、「和田邸」の後ろにある、「山川学校給食センター」の慌ただしい動きに、「なんか様子がおかしいな」と思っていたら、3月7日に一人の調理員から 「ノロウイルス」の感染者が出た。その後、全員を検査したら計6人が感染していた。そのため、調理場、器具などを消毒して、児童らへの感染を未然に抑えたという。
この施設では17人が働いている。そして、山川地区にある、1つの「幼稚園」、4つの「小学校」、1つの「中学校」と、開聞地区の2つの「小学校」、1つの「中学校」へ、給食を提供している。

3月は悲しい別れの月〔3月25日記〕

 人生には、「又、逢える別れ」と「二度と会えぬ」、悲しい別れがある。
去る、3月24日〔木〕晴、凍て付くような冷たい北風の吹くなか、背広にネクタイの正装で「大成小学校」の「第96回、卒業式」に出席した。午前10時、教職員、在校生、保護者、来賓の方々が卒業生の入場を一斉に拍手で迎えた後、厳粛のなかで「大薗一法」校長は、47名の卒業生一人一人の名を挙げて、卒業証書を授与した。

そして、学び舎を後にする卒業生に、「大成小で学んだ6年間の知識を更に高めよ。そして、常に感謝の心を持ってどんな苦難にも立ち向かって前進せよ。けっして『大成魂』を忘れず、大成小の名を汚すな」との激励の祝辞を贈った。この祝辞に感動した保護者や卒業生の中には、感極まって涙を流す者もいた。

又、大成小は、信号機から校門までの約30㍍が、急な登り坂になっている。その両脇には15本程の桜の老木があり、桜の開花が始まっていた。処が、無情な冷たい北風にあおられて、ヒラヒラと舞い落ちる花びらは、哀愁の雰囲気が漂うなかで、卒業式を迎えた子らの、悲しみを誘っていた。

俺がこの「卒業式」に出席したのは、お世話になった教頭先生が4月1日付けで「転勤」するので、義理人情に駆られての事である。しかし、俺の様な出来損ないが来賓席に座る世の中になって、少々「こっけい」である。

義理人情〔4月3日記〕

◎俺の親戚で、足を痛めて自宅で養生をしていた「寺村」の故、「西田 守」の妻、「カズ子」が3月28目午後11時41分、家族の見守る中で数え年「85歳」の生涯に別れを告げた。そのため、去る、29日は自宅で仮通夜。30目午後6時から「JA、ルミエール」での本通夜。31日には大勢の弔間者が出席して、浄土へ旅立つ故人を見送った。

しかし、何処の「地域」も30代、40代の若者が減少しているため、葬儀に来てくれるのはみんな、「60歳」前後や「70歳」を過ぎた方ばかりである。 そのためか、「といなが」語で賑やかに話す「故郷」は、高齢者が増えて慶弔などに対しての、「義理」と「人情」に欠ける「者」が多くなった。

4月は別れと出会いの始まり〔4月3日記〕

◎4月1日、「伊佐市」の大口中学校へ、「山川中」の「上舞哲次」校長が転勤になった。冬の季節は、「鹿児島県の北海道」と云われる程の寒い所である。午前8時過ぎ、教職員、野球部、サッカー部、弓道部、バスケット部、そして、地域の方々が校長住宅に集合して、引越しの手伝いをした。

又、午前9時からのお別れ式では、「吹奏楽部」の演奏で「校歌」が歌われた。その後、上舞校長から「3年間、お世話になり有難う」のお礼が述べられた。そして、新任地へ向う校長を万歳三唱で見送った。〔山川から3時間掛かる。〕

◎午前10時45分ころ消防分遣所から、川尻の無職「下川□利、25才」が3月29日午前6時に自宅を出たまま、行方不明になっているとの放送があった。川尻公民餉に捜査本部を設け、各消防分団や地域の方々が5日間、海岸線や開聞岳付近を捜査した。すると、4月2日午後6時頃、無事発見の放送があった。

◎午後1時40分、消防分遣所から、竹山近くの老人給食センターの空き地が 「原野災」である。「浜児ケ水」分団と「岡児ケ水」分団は直ちに出動せよとの放送後に、緊急を告げるサイレンが鳴った。現場へ駆け付けると、老人給食センター隣の土手が燃えていた。初動の消火が早かったので、30分程で鎮火した。最近は連日、天候に恵まれて空気も乾燥している。そのため、分遺所からは「火の用心」を呼びかけていた矢先であった。

N0,20011-6 2011-3月22日発

みなさんにお伝えしている「ニュース」は、他愛もない事ばかりだが、やがては歴史の証言になる。保存をお勧めします。〔和田より〕

3月11日〔金〕晴、東北、関東地方へ大地震発生。

今日は大成小の「お別れ遠足」のため、午後からの信号機での立哨も無いので仕事帰りに、「上野集落」の同級生宅の草払いと後片付けを手伝って、12時頃帰宅した。

川尻港

その後、疲れた身体を横たえて「うつら、うつら」しながら「テレビ」を見ていると14時55分頃から、地震の生々しい惨状を伝える映像が流れ出した。
暫らくすると、「消防団員出動せよ」の、緊急を告げるサイレイが鳴った。そのため、カメラを肩に、バイクで「山川港」から「浜児ケ水」経由で、「川尻港」まで出掛けると、海岸には地域の消防団員が、津波の警戒に当たっていた。
又、日本最大の「巨大地震」を伝えるテレビに釘付けになり、午後6時から函館、仙台、宮城、青森、福島、千葉などにいる7名の知人らに、安否の電話を掛けた。しかし、通じたのは東北大の元「医学部長」宅とハ戸市で看護婦をしている女性宅の2軒だけだった。〔この女性家族は知人宅へ避難していた。〕

3月12日〔土〕晴、災厄の日〔3月13日記〕

昨日の巨大地震の被害状況が気になって午前5時に起床した。その後、昨夜不通だったお宅へ電話を掛け続けたが、8時頃になっても連絡が取れなかった。
この方々は、俺がタクシーの乗務員をしていた頃、新婚旅行や観光めぐりで指宿を訪れた際の乗客である。そのため、約40年を過ぎても未だに年賀状の「やったい、とったい」や、日常の健康を気使って、電話を掛けている。〔3月21日現在、連絡が取れない〕

◎又、この日は、昭和48年〔1973〕の新幹線整備計画決定から37年余りで、「鹿児島中央駅」~「博多」間、257㌔が全線開通した記念すべき日である。これに合わせて、「鹿児島」から「指宿」まで、観光列車「指宿の玉手箱」が運行される日でもあった。しかし、この度の大地震による津波警報が発令されて、鹿児島~枕崎間は列車の運転を見合わせて、一日中運休になった。そのため、指宿駅で「観光列車」を迎える、イベントも急濾中止になった。

◎昨日の〔11日〕から今日〔12日〕に掛けて、空気は乾燥していた。
その状況の午後3時20分ごろ、「大山地区」で「原野火災」が発生した。
そのため、山川、開聞消防分遣所から、「大山分団は直ちに現場へ出動せよ」の緊急放送があった。消防団の素早い対応で30分後に、「鎮火した」そうだ。

◎鹿児島空港近くの「始良町」から、開聞岳登山に来た50才過ぎの女性2人が、下山の際、8合目付近で一人の方が足を捻挫したという。
それでも痛みを堪えて自力で6合目まで下山したが、とうとう身動き出来なくなった。
そこを通り掛かった下山者の男性が、消防分遺所へ「救助の要請」をした。そのため、救助隊員数名が直ちに出動して、午後3時頃6合目まで行き、「怪我」人を担架に乗せて下山した。そして、午後5時15分頃、待機していた救急車で指宿市役所隣の「今林整形病院」へ搬送された。
公園内を巡回していると、怪我人の相棒の女性が懐を心配して、「救助の費用は幾ら位か」と、俺に尋ねてきた。冗談に、「ザット見積もって80万円位」と応えると、ビックリした様子で今度は救助隊員に、「いくらですか」と尋ねていた。すると、救助隊員の「無料」との応えに、安堵の胸を撫で下ろしていた。

怒り心頭の電話〔3月13日記〕

画像の説明

処が、3月13日午前9時頃利永の方から、「本人にも確かめもしないで書いているページがあり、誰が見ても『俺の悪口と思える文章になっている』とか、『嘘ばかり書いている』との、強い抗議の電話が掛かって来た。
確かに本人には確認はしていない。しかし、取材に基づいて事実を書いている。貴殿の抗議は、俺との「意見の相違である」と応えると、怒りをあらわに「ガチャン」と受話器を切った。
俺の人生は先行き短いから人との争い事は避けたい。晩年を汚さぬためにも。だから日頃から人には、あらん限りの「誠意」を尽くして接している。

市長との会話〔3月15日記〕

3月15日〔火〕晴、「兄」から頼まれた買い物を済ませて午前11時45分頃帰宅すると、山川中の卒業式を終えて市役所へ帰ろうと、車に乗り込む寸前の「豊留市長」と顔を合わせた。
「市長、ご苦労さん、おいげぇな、ここだっでね~」と、声を掛けると、「お~、さっかぶいじゃな、よかとこいへ、すんじょいね~」という。
「中学校や給食センターよっかい、おいげぇが、さっじやったでね~、こいかいも、市民のためっ、きばっくれ」との言葉を交わして別れた。
この何気ない会話に、気さくに応じてくれる「市長」に、大勢の市民は元気づけられている。

ニシムタ指宿店

この数十分前、国立病院横の大型スーパー「ニシムタ」では、利永の老夫婦が「カップめん」を大量に買い込んでいた。
「あにょ、そにゅ、かっため、ないごっ、」と尋ねると、「千葉にいる息子が 今回の地震で食料品が不足しているから、『カップめん』を送ってくれとの電話があったので、買い込んでいるところだ」という。
北国で発生した地震は、遠く離れた鹿児島まで、その影響が出始めている。

原発の恐ろしさ〔3月15日記〕

俺が名古屋にいた昭和40年〔1965〕のある日、生まれつき頭の悪い俺を心配した職場の同僚らは、「社会勉強をして来い」と言って、ある学校へ俺を送り込んだ。その際に化学者の大学教授から、「原子力発電」について学んだ。
 その46年前の記憶をたどると、
日本は地震の群発列島で、我々は「豆腐」の様な軟弱の国土の上で生活をしている。処が電力会社や政府は、「原発はもっとも安全で安心だ」とテレビなどで国民に吹聴して、軟弱な国土にもっとも危険な、「原発」の建設を推進している。
だが、大地震が発生すると必ず、「原発」は何らかの被害を受けるだろう。その際に放射能が漏れると、2百㌔以内は人が住めなくなる。
だから世界の良心的な「化学者」はこの放射能漏れを心配して、「原発」の建設に慎重を唱えている。「原発」に安心安全はないと、50名の受講生は学んだ。
あの時の教授の発言は今回の地震で、真実となって証明された。そして、「原発」の安全、安心の「神話」はもろくも崩れて、国民をパ二ックに陥れている。

原発に対する県内の動き〔3月19日記〕

川内原発

鹿児島県川内市の海岸には、「九電」の「原発」が現在、2基稼動している。九州電力によると、「電力消費に追いつかないので、3号機を増設する」という。 この増設に「原発」周辺の地元住民は、強く反対をしているが、伊藤知事は地元住民の意見も聞かず、「九電」の増設申請に「0K」のゴーサインを出した。
処が、伊藤知事が唱える「原発の安心、安全」は、福島「原発」1号機の事故によって完全に崩れた。〔川内原発がから山川までは、200㌔範囲に入る〕
3月18日付けの南日本新聞によると、川内市の地元4地区のコミュニティ協議会会長らは、「岩切秀雄」川内市長と面会し、1、2号機の地震、津波に対する安全対策の説明や3号機増設計画の凍結を求める要望書を提出した。
又、県内の「原発」反対団体は15、16日に相次いで県庁を訪れて、増設見直しを、九電に求めるよう迫った。と伝えている。

特ダネ〔3月19日記〕

3月16日付けの南日本新聞、23㌻の社会面のトップに、「志布志警察署、津波警戒中に宴会」とある。それによると、東日本大震災が発生し、津波警報に伴い管内に避難勧告が出ていた最中の11日、志布志警察署〔署長、川崎暢)〕では、署員10名の送別会に署長以下、40数人の署員が参加して宴会を開いていたと、大きな見出しでデカデカと伝えている。
この大スクープを伝えた勇気ある記者と、今後の志布志署の行方に注目したい。

生まれ代わった校舎〔3月19日記〕

指宿市立丹波小学校

学校の校庭から「縄文時代」の土器が掘出され、テレビで全国へ放映された「指宿市立丹波小学校」は、平成21年度に、創立100周年を迎えた。
その一環事業として、土器を掘出した校庭を埋め戻して、鉄筋コンクリートの4階建てと木造2階建ての校舎を新築した。そして、平成22年9月1日の2学期から、新校舎での授業が始まっている。古い校舎は全て解体して、その校舎跡に新しい校庭が出来つつある。
建設作業員によると、「3月中には全ての工事を完成させる」という。

N0,20011-5 2011-3月10日発

今回は3月7日までの分。次回は3月10日以降から。
最近「パソコン」に「エラー」が表示されて全部消される。だから「パソコン」を騙し騙し使っている。

レトロバスで観光めぐり〔3月7日記〕

山川砂むし温泉

利永の「星隈建設」は創業者の孫、「星隈弘一」氏が社長になって営業をしている。この他に長崎鼻にある、「長崎鼻パーキングガーデン」と指宿市からの委託を受けて「山川砂むし温泉」も運営している。

この「星隈」社長と去る3月6日に、指宿市主催の「マラソン」慰労会で、同席した。その際、雑談のなかでの「星隈」社長によると、

3月12日に新幹線「さくら」の開通により、「鹿児島中央駅」から「指宿駅」まで、観光特急列車、「指宿のたまて箱」が運行されるので、この観光列車に合わせて「あづま交通」が所有している、昭和37年〔1962年〕頃に「いすゞ」が製造した、「ボンネットバス」をチャーターして、自分が運営している「パーキング」周辺と、「砂むし温泉」の観光めぐりを始めるという。この新しい事業の取り組みに際し、「星隈」社長の「目」は輝いていた。

又、「星隈」社長は、鹿児島市が廃車した「市電」を2両買い取り、自分が運営する「長崎鼻パーキングガーデン」へ設置して、訪れる観光客へのサービスに努めている。そして、お客を呼び込むために、知恵を出しお金を出して営業努力をしている。

長崎鼻パーキンガーデン

このレトロバス運行について、2月28日付けの南日本新聞によると、JR日本最南端の「大山駅」を発着に、「長崎鼻」周辺を観光した後、「山川砂むし温泉」で入浴してから「大山駅」へ戻る。
料金はガイド付きの2時間50分コースで大人2800円、中学生以下1700円。
この料金には、「ガーデン〔公園〕」の入園料と「砂むし温泉」の入浴料金も含まれているという。又、バスは「土、日曜、祝祭日」に限って運行するそうだ。
〔予約は指宿駅構内、観光案内、0993-22-4114 予約、キヤンセルとも前日の午後3時まで。〕

この観光バスの運行について「星隈」社長から、俺に「仕事」のお誘いがあった。おんどし69才にもなって声が掛かるのは、誠に有難いことである。又、この他にもある団体から「役員になって、みんなに号令を掛けてくれ」とか、「2ヶ月ほど〔ニンジン〕の収穫を手伝ってくれ」など、様々な依頼が来たが俺は忙しすぎて、時間的に余裕がないので全てお断りした。

慰労会〔3月7日記〕

私営そうめん流し

去る1月9日の「菜の花マラソン」大会と22、23日の「菜の花マーチ」大会の際、交通整理などをしたポランティアの方々を招いて、指宿市主催で飲み放題、食べ放題の「慰労会」兼「反省会」が、3月6日午後12時から市営「そうめん流し」で行われた。約200数十名の出席者を前に挨拶した「豊留悦男」市長は、にの2つの大会はみなさんの支え無しでは出来ない大会である。」と、感謝の言葉を述べた。
 又、指宿市が更なる飛躍を目指すために、来年も皆さんの協力をお願いしますと、澄み切った大きな声で挨拶とお願いを述べて締めくくった。

この「豊留」市長は選任されてまだ1年目である。しかし、お話が上手で聴く者に対して力が湧いて来るような、希望の持てる話しをする。よか人が市長になってくれた。

連絡船の運航再開

又、この3月1日は、地域住民が待ち焦がれていた、薩摩半島の山川港と大隅半島の根占港を結ぶ「カーフェリー」が、一年ぶりに運航を再開した。取材に訪れると居合わせたみんなが「よかった、よかった」と、この運航を喜んでいた。
しかし、この「フェリー」は小型船のため「しけ」に弱いのが欠点で、今までも欠航が相次いでいた。詳しくは、3月2目付けの「南日本新聞」のコピーを参考に
[check]山川ー根占航路が再開・戻る活気 港に笑顔 南日本新聞

蛍の光〔3月1日記〕

毎年3月1日は鹿児島県内の高校で、一斉に「卒業式」が行われる。3月2日付けの南日本新聞によると、今年は県内の高校で「1万2900人」が学び舎を旅立ったという。又この日は冷たい北風が肌を刺すほどの寒さの中、「山川高校」でも第63回目の卒業式が行われ、「37名」の学生が「蛍の光」の曲に送られて学び舎を後にした。

 この「故郷ニュース」が皆さんのお手元に届く頃、3月15日には、「山川中」が「第36回」、又、24日には「大成小」が「第96回目」の卒業式を迎え、男子22名、女子25名の計47名が卒業する。その卒業式に「大薗一法」校長名の招待状が届いた。

その後のインフルエンザ[2月25日記]

 県内の各学校では治りつつあった「インフルエンザ」が、再び流行しているそうだ。俺が関連している「大成小」では、去る2月18日〔金〕に5年生のクラスが、25日(金)には6年ろ組のクラスが学級閉鎖になった。

又、俺が掛かり付けの病院の先生によると、1月はほとんどが「A型」だったが、今回は「B型」が広まっているという。つい近年までは、「たかが〔風邪〕ぐらいで」と、甘く見る傾向があった。しかし、最近の「風邪」は命がけである。みなさんもくれぐれも「風邪」には気を付けて下さい。健康は「宝物」である。

死亡事故1件〔2月25日記〕

2月24日午後7時ころ、指宿国立病院の十字路交差点から鹿児島の方へ約500㍍先の「丈六地区」の国道226号で、道路を横断していた近くの無職女性〔76才〕が利永の青果業、男性〔62才〕が運転する「ワゴン車」にはねられ、約3時間20分後に搬送先の病院で死亡したという。
死亡された方は、我が娘のケアーマネジャー仲間の母親だった。

この事故から10日程前には「今和泉」で、同じ様な死亡事故があった。 そのため、連日、朝と夜の2回、「指宿市役所」から、事故を起こさないように気を付けて下さいと、防災無線で指宿市の全地域の住民に、注意を呼びかけている。

この現場近くの国立病院の交差点では、平成20年12月8日、指宿の病院から利永に帰る途中の軽乗用車と、「鰹節」を満載した山川貨物の大型トラックが正面衝突事故を起こし、軽の後部座席に同乗していた利永の「74才の女性」が死亡している。
いずれも、運転者の前方確認の不注意による事故であった。

2月20日〔日〕雨のち曇り〔2月23日記〕

月日の立つのは早いものである。我々昭和16年生まれの者達が、昭和23年4月に利永小へ入学した際、1年ろ組の担任だった山川の「高橋敏夫」先生が、平成17年2月24日午後7時に逝去してから丸6年になった。そのため、去る20日午前10時から山川の照光寺にて、生前の先生と親しくお付き
合いをしていた方々と身内の者を招いて、7回忌の法事が執り行われた。

数多い教え子からは俺と、利永で民生委員を14年間務めている、「迫幸雄」が招かれた。そして、住職の読経が流れるなか静かに目を閉じて、戦後の混乱期に雨漏りのする教室で勉学を教えて下さった、在りし日の先生を偲びっつ焼香を挙げた。〔合掌〕

又、この日は午後2時から利永公民館で「利永子供会」による、「利永の歴史を学ぶ会」が開かれ、「ボンクラ」頭の俺は、その講師に招かれた。そのため、午後1時30分に利永公民館へ駆けつけて、次世代を担う子供ら15名と校長先生、大成校区公民館主事、子供会の世話役3人の計20名の方々へ、1時間40分タップリと、「利永の歴史」をしやべりまくった。

世話役の方によると、人数は少ないが「子供会」は年間の行動計画表を作り、月々の活動を実践している。そのため、1月は歩け歩けの「菜の花マーチ」大会へ、子供会全員と父兄が参加したという。そして、2月は「勉強会」になったそうだ。

N0,20011-4 2011-2月25日発

県下一周駅伝大会〔2月24日記〕

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2月19日から23日まで、「第58回、県下一周市郡対抗駅伝大会」があった。3年前、この「駅伝大会」の由来を「記者」に尋ねると、敗戦後、「米軍」の支配下にあった奄美群島が、昭和28年に日本復帰を果たしたのと、又、「ラジオ南日本」が開局されたのを記念して、昭和29年〔1954〕3月23日に第一回目の「駅伝大会」が始まりだという。

又、第一回大会は47区間「491、2㌔」で、離島を除く10チームの参加で行われたが、翌年に「熊毛」、昭和62年には「大島」チームが加わり、コースは「589㌔」に変更され、「53区間」を5日間掛けて、12チームが健脚を競う大会であると教わった。

南日本新聞には、「県内を5日間掛けて一周する駅伝が、58年も続いているのは、他県にも例がなく珍しい大会である」と、掲載されている。
そして、薩摩路と大隅路を力走するランナーは、郷土の期待を一身に受けて、次のランナーヘタスキを渡す。沿道からは熱狂的な声援が送られ、数々のドラマが展開される場面では歓声があがる。この駅伝大会は大勢の県民に勇気と感動を与え、明目への原動力の源となって58年である。
頴娃町は昨年まで「指宿チーム」として出場していたが、平成19年12月1
日に知覧町、川辺町と合併したため、今回から「川辺チーム」で出場する事になった。そのため、今回の「指宿チーム」は12位に終った。ご苦労様でした。

[check]早春路 精鋭競う 南日本新聞

「ソラマメ」泥棒〔2月19日記〕

2月19日午前8時43分、昨夜の勤務を終えて帰宅中、大山地区の国道脇の
「ソラマメ」畑で、「妻」と同級生の女性が「ソラマメ」の収穫をしていた。「バイク」を止めて、「豆の被害はいげんなこっか~」と声を掛けると、「大山弁」丸出しで、「ひろあんさん、豆をごっそい盗られた」と、怒りをあらわにしてまくしたてる。その彼女によると、大雪と霜の被害や、又、低温と日照不足で「豆」の発育が遅れて収穫が出来ず、市場では

「豆類」が不足して1㌔「1000円」の高値で出荷している。それらの事情を知っている者の犯行であろうという。「豆畑」が荒らされるのは毎年の事で、満月の晩になると神出鬼没で、「あっち、こっち」の「豆畑」が被害にあっている。又、彼女は「豆」を収穫して入れる「コンテナ」を11個「豆畑」に置いていたが、そのうちの8個が豆と共に盗られている。8個分を短時間で盗らねばならないから、おそらく犯人は2人以上で、農家の者の犯行と推察される。まさか自分の豆畑が被害に合うとは、思いもしなかったと、がっかりしていた。

今は「ニンジン」も収穫の最繁期を迎えている、 「和田邸」周辺の「ニンジン畑」で農夫7人を雇い、「ニンジン」の収穫をしていた農営の方に近況を尋ねると、21年、22年が高値だったので今年も4町歩植えた。すると、昨年よりも値段が高く今までにない高値で出荷していると、ニコニコ顔でいう。〔昨年は10㌔で2800円。今年はこれ以上しているのか?。〕
この高値は、東北方面が大雪に見舞われたため、農作物が被害を受けて出荷出来ず、市場で野菜が不足しているのが原因と考えられる。

又、農作物は一作一作が天候に左右され、農家の者は「博打」をしているのと同じだが、「ことしや、なんでん、かんでん、よか値がすっど」という。「豆類」と「ニンジン」の収穫は、4月中旬まで続く」
現在、農家の方は、「春、かぼちや」や早掘りの、「さつま芋」の植栽をしている地域もある。この時期になると、「ひばり」の鳴き声が聴かれるのだが、なぜか、今年はまだ「ひばり」の鳴き声が聴かれない。

別れの汽笛〔2月17日記〕

2月16日、指宿税務署へ往く途中、「JR山川駅」前を午前9時14分に通り
掛かった。すると、昨年の3月1日から山川港のフェリー発着所へ係留されていた、「ぶーげんびりあ1400t」が、哀愁の汽笛を鳴らして出港している。思わず車窓から身を乗り出して、「岩崎産業、地域住民のために長い間有難う」の念を込めて「手」を、振り振り別れを惜しんだ。

誤報〔2月16日記〕

2月15日午後3時30分、小川地区の大成保育園付近で、「不審者」騒ぎがあった。この事件を再現すると。
★午後3時40分、大成小の交差点にて。
知り合いの「記者」が、取材車のスピードを上げて西の方へ走り去る。
★午後3時43分
パトカー2台が赤色灯の回転とサイレンを鳴らして西の方へ走り去る。
その3分後、パトカーと覆面パトカーが、赤色灯とサイレンを鳴らして通る。
★午後3時50分
警察車両が西の方へ往く。
★午後4時00分
刑事2人の乗用車が大成小へ入る。同時に戦闘服4人のパトカーが酉の方へ。
★午後4時10分
大成小の先生が血相を替えて俺の所へ来た。そして、「大成保育園付近で不審者が現れたとの知らせがあったので、これから集団下校をさせる」という。
★午後4時25分
成川方面に帰る児童らには6名の先生が付き添い、約20名ずつ6班に分かれて集団下校を開始。心配顔の児童らに、「気を付けて帰るんだよ」と、声を掛けて見送る。しかし、6名の先生方は緊張の余り顔が引きつっていた。
★4時50分
大成小の校庭を巡回し、児童がいない事を確認して帰宅する。
★2月16目午前7時20分、大成小の交差点にて。
登校して来る児童らに、「おはよう、昨日は心配だったね~」と、声を掛けると数名の児童が、「昨日の不審者騒ぎは誤報だった」と、学校から全児童宅へ連絡が来たという。

詳細を要約すると、下校中の女児へ知り合いの女性が、「家まで送るから車に乗らんね~」と声を掛けた。それを見た人が「不審者」と間違えて警察へ通報。これが大騒ぎになった原因である。しかし、地域の中には、「緊張感が高まって、よか訓練になったね~」と、云う方もいる。

廃品回収〔2月10日記〕

 大成小の信号機から100㍍程下った左側の広~い空き地を、福岡の廃品回収業者が3月31日まで借りて、1月8日から廃品を無料で回収している。山と積まれた廃品の中には、新品同様のテレビ、冷蔵庫、洗濯機、自転車など、様々な廃品がある。そのため、わざわざ買いに来る者もいる。
臨時で受付をしている「おっちやん80才」によると、「集められた廃品は、全て中国へ持って行く」そうだ。又、現場の「出入り口」には、「回収無料」の「旗」が10本も立てられているがこの「おっちやん」は、ここへ持ち込んで来る者から「1000円」ずつ、せしめ取っている。それが地域に広まって、人が集まると笑い話になっている。
〔俺は折りたたみの自転車を無料で貰って来た〕

N0,20011-3 2011-2月12日発

インフルエンザの猛威、〔1月28日記〕

成川地区から大成小までの通学路は、約1、5㌔が緩やかな登り坂になっている。そのため、成川地区から登校する児童らは、例年にない冷たい北風に吹かれ、白い息を弾ませながら元気よく登校している。

処が、この寒さで「インフルエンザ」の猛威が広まり、県内では学級閉鎖になる学校が続発している。〔閉鎖の学校名は南日本新聞に掲載してある〕
その結果、大成小では早めの対策を執り、1月24日には3年生が、26日には1年生1学級が、学級閉鎖の措置をとった。又、インフルエンザ拡大防止のため、全児童が自分好みの「マスク」をして登下校している。

農作物の被害〔2月1日記〕

そらまめ畑

「実えんどうの里」として、世間に広く知れ渡っている「山川地区」では、今、「実えんどう」や「スナップエンドウ」「そらまめ」などの「豆類」が、収穫の最盛期を迎えている。

処が、大晦目と元旦が大雪で、6日と31日にまた雪に見舞われて、ほとんどの「豆畑」が被害を受けている。又、低温と日照不足で、『豆』の発育が遅れて収穫が出来ず、農道を散歩していても「豆畑」では、人影もまばらである。そのため、市場では『豆』が品不足し、1㌔500円から600円の価格で流通しているという。又、「鳥」が「豆」を食い荒らすため、一日中ガス鉄砲を鳴らして、「鳥」を追っ払っているが、その被害は「ブロッコリ」や「キヤベツ」などの、野菜類にも及んでいる。〔豆畑一反当りの収入は、80万~120万円である。〕

3月に運航開始〔2月1日記〕

「JR山川駅」から成川方面に行くと国道226号線、山川港の方へ行くと国道269号線である。しかし、この269号線は、山川の漁業共同祖合の所で行き止まりになっている。そのため、薩摩半島の山川港と大隅半島の根占間を結ぶ海の国道として30数年間、岩崎産業が「カーフェリー」を運航して、人と車と生活物資を運んで来た。しかし、日本経済のバブルがはじけてから長引く不況に陥り、佐多岬へ行く観光客や一般の利用客の減少、燃料の高騰によるダブルパンチを受けて、2010年2月末で山川~根占航路を断念した。

その後、鹿児島市に本社を置く「南九船舶」が、19tの小型船〔乗用車8台、旅客12人〕を使い、不定期便で山川~根占間を運航している。
そして、3月1日から暫定的に、7月から100 t位の新造船で、本格的に運航するとの明るいニュースが、1月28日付けの南目本新聞で伝えられた。このフェリーは、薩摩半島と大隅半島を結ぶ、唯一の連絡船である。

高齢者交流センターの行方〔2月3日記〕

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鹿児島県は我々県民が納めた血税の中から、「69億円」もの巨額な資金を投じて、「JR指宿駅」から北へ約3㌔先に、高齢者交流センターを建設し、平成10年〔1998年〕にオープンした。〔平成6年〔1994年〕から擁壁や整地の工事をした〕

建物はロケットの先端部分かラグビーボールの形をしている。この3次元的な構造物が話題になり、年間25万人がこの施設を利用しているという。
1月31日付けの南日本新聞によると、「維持管理費が年間2億円以上掛かり、まだ、〔約27億円〕の借金返済を残したまま、3月31日限りで休館しその後、指宿市に無償で譲渡する」と掲載されていた。又、県の債務は、約1兆6500億円あるそうだが、これは我々県民に負わされる。〔2月7日、指宿支局長「永野記者」の記事が、掲載されていたので参考に。〕
[check]果たすべき責任「記者の目」

不吉な年の始まりか、〔2月7日記〕

★その1
霧島連山の縦歩は、宮崎県側の「えびの高原」から「韓国岳」、「獅子戸岳」、「新燃岳〔1421㍍〕、「中岳」、などの山を登り下りして、「高千穂河原」まで約7~8時間掛かるが、初心者でも気軽に山歩きを楽しめるので、全国から多くの登山愛好者が一年間を通じて、霧島連山を訪れている。

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そして、1月26日午前7時31分から、連日爆発を繰り返している「新燃岳」の「火口湖」には、「エメラルド、グーリン」のきれいな水溜りがあった。縦歩中にここを通るほとんどの方が思わず、「わあ~きれいだ~」と、歓声を挙げて、今までの疲れを忘れさせてくれていた。又、その脇の噴気孔からは、白煙が勢いよく噴出していた。最近の新聞に掲載されている「新燃岳」の写真を見ると、連日の爆発で火口湖は溶岩でうまっている。あの美しい光景はもう、2度と見る事は出来ない。

又、ホテル、旅館などの宿泊施設に、寝具一式をレンタルしている業者によると、「霧島のホテルは客からのキャンセルが相次いでいる。又、空振でホテルや養護施設などの窓ガラスが割れる被害も出ている」という。
そのため、霧島近辺の方々は、踏んだり蹴ったりの目に合っているそうだ。

★その2
大晦日から元旦にかけて、白銀の雪に覆われて新年を迎えた今年は、「豆畑」の被害、鹿児島県高尾野や宮崎県での「鳥インフルエンザ」の騒ぎ、それに桜島や新燃岳の爆発、又、北国ではドカ雪に見舞われ、自然界の猛威をまざまざと見せ付けられている。
又、鹿児島県民のシンボルの山である「桜島」は、平成21年〔2009年〕には「548回」、昨年の22年〔2010年〕には過去最多の「896回」爆発した。そして、今年は2月4日までに、「115回」の不気味な爆発を繰り返している。これに誘発されて、「開聞岳が爆発しないか」と、危惧の念を抱いているのは俺一人か。

出場おめでとう〔2月8日記〕

「和田邸」の目の前にある、「山川中」から、至る3月26~28日に「三重県、伊勢市」で開催される、都道府県対抗、全日本中学生「ソフトテニス大会」に、2年生の「寺迫孝輝」君が、鹿児島県代表に選ばれて出場する事になった。

この山川中は、昭和50年4月に山川中、大成中、山川西中の3校が合併して「山川統合中学校」として開校したものである。全盛期には1000人程の生徒数を誇り、各種のスポーツ大会に出場して、好成績を挙げてきた。
又、野球部員の中からは高校へ進学して、憧れの甲子園出場を果たし、大活躍した方々も数名いる。又、勉学に於いても優秀な生徒が多く、文武両道に長けた学校である。現在「215」人の生徒が勉学とスポーツに励んでいる。

村の活性化とは何か〔2月9日記〕

利永行事の「ダセチッ」と「メンドン祭り」を、大阪から帰省中の「西村孝男」氏=〔69〕がカメラに収めた。それをアルバムにキチット整理して、利永公民館へ送ってきた。「畠中正彦」区長によると、「公民館へ用事で来た住民が写真を見て、みんなが喜んでいる」という。この様に「ちょこっと」した気転が、住民同士で話題になり、村興しの活性化へと発展していく。活性化とは「話題作りである」。

今ではカメラも広く普及しているので、利永の方々も行事のある度、カメラに収めて、「後世の者達へ残して置くべきである」と、俺は思う。
しかし、残念な事に「村」のために尽くそう、という方は誰もいない。
「村」の発展はそこで暮らす住民が知恵を出し合い、力を合わせて作り出していくのが当たり前なのだが、利永の住民は「自分が先頭に立ってみんなを引っ張っていく」という積極性が乏しく、何時も誰かに頼っているように見える。

NO、2011- 2 2011年1月28日発

初春〔1月5日記〕

昨年は利永の郷土史、「今昔物語」の執筆に関わり、又、「故郷ニュース」が「関東かいもん会」のホームページヘ掲載されて、宙に舞い上がる程飛躍した年であった。みなさん本年もご指導ご鞭撻の程を、宜しくお願い申し上げます。

年末年始の動き〔1月5日記〕

★年末の30日
朝から風速15㍍程の冷たい北風が吹き荒れた一日だった。職場に出勤するとキャンプ場に張っていた一人用のテントが、強風にあおられて今にも吹き飛ばされそうになっていた。巡回の際、宿泊の男性に、「屋根付の炊飯棟へ移動しませんか」と声を掛けると、「大丈夫だ」という、親切の言葉は通じなかった。

★年末の31日

唐船峡

午前一時ごろから降り出した綿雪は、朝、目が覚めると30㌢程の積雪になっていた。その雪の重さで昨夜のテントは、ペシャンコになっていた。
又、一日中降り続ける雪で、大成小から国立病院へ抜ける「成川バイパス」は、凍結のため全面通行止めとなり、全車、「山川駅」経由となった。
午後6時頃、「川尻集落」から指宿へ向っていた、友人からの電話によると、「大山の交差点から指宿駅うらの国道まで、家路へ急ぐ長蛇の車列が上下線とも渋滞している」との連絡があった。

★除夜の鐘
友人によると、「午後11時30分頃から、利永公民館前に吊り下げている、『鐘』を打つ人々が大勢公民館前に集まり、毎年長~い列が出来る」という。そして、「午後11時45分から、一人一打の『除夜の鐘』を108人で打ち鳴らし、5分間ほど休憩した後、109人目から行列の最後の人まで打たせたが、最近では地区外からも大勢駆けつけて『鐘』を打つ」そうだ。
そして、「人それぞれの思いを込めて、力一杯打ち鳴らす『除夜の音』は、綿雪が深々と降り注ぐ深夜、ある時は強く、又、ある時は弱く、村中の隅々まで鳴り響いた」という。
新しい年の夜明けを告げる、「除夜の鐘」を打ち始めたのは、昭和45年頃からで、今では利永の年間行事の一つに、なっているそうだ。

平成23年1月1日〔1月6日記〕

12月31日の深夜から降り続いた雪は、元旦の朝には30㌢程の積雪になっていた。そして、史上一番の記録的な大雪となり、この冬一番の寒さとなった。露天商の方によると、「大荒れの天気で初詣に来る方も少なかった」という。又、この日に開聞岳の頂上まで登ったのは一人だけで、他の登山者は「40㌢程の積雪に危険を感じて、途中から引き返した」という。〔昨年の1日は187人、2日は157人、3日は89人だった=今年は3日間で50人位でした。〕

サンコンメ祭り〔1月8日記〕

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1月7日、限界集落の「浜児ケ水」で、14才になった男児を祝う「サンコンメ祭り」が行われた。これは古来より伝わる行事で、長さ2㍍程の青竹の筒の中に小銭を一杯詰めて、「無病息災」「家内安全」と書かれた半紙を張った「傘」を中学生がかぶり、竹筒を肩に担いでぐるぐる回転しながら、地面におもいっきり叩きつける。割れた竹筒から地面に小銭が飛び散ると、見物客は我先にと小銭を拾う、そして、拾い集めた小銭は自宅の神棚に供え、一年の幸運を祈る。
又、この後は海岸の砂浜で、「鬼火たき」も行われた。
この2つの行事は、過疎の村「浜児ケ水」集落に伝わる唯一の伝統行事である。
[check]「サンコメ」指宿・浜児ケ水の記事

「なのはな」マラソン大会〔昨年は2万473人が参加〕

1月9日、初春の風物詩ともなった、いぶすき「菜の花」マラソン大会があった。今年で第30回を迎えた大会には、国内外から過去最多の2万963人が出場し、10㌔コースと42、195㌔コースに分かれて健脚を競った。
ランナーは池田湖や開聞岳の景色、沿道に咲いた満開の「菜の花」を楽しみながら、又、奇抜な服装や自分なりのペースで走る者もいた。
この競技中に開聞十町の県道で、ランナーに軽乗用車が接触。又、山川朝日町の市道で軽のキャンピングカーがランナーに追突し、救急車で病院へ搬送された。このマラソン大会での2つの事故は、今回が初めてだった。

願戻しのお祓いと同窓会〔1月18日記〕

1月11日、我々16年生まれの23名は、枚聞神社へ出掛けて「古希願戻し」のお祓いをした。その後、「和田会長」が運転するバスに23名が同乗し、同級生が眠る「開聞寺」、「利永の墓地」、「徳光の西勝寺」を訪れて、4名の故人を偲びっつ焼香を挙げて冥福を祈った。これを「お墓参り、バスツアー」と名付けた。〔徳光にいる故人の妹から涙声で、「姉のお墓参り有難う」の電話があった。〕そして、午後6時から、JR山川駅前の「くりや」で「同窓会」の宴会をした。

この「願戻しと同窓会」には、公私共に大変お忙しい中を、「関東かいもん会」副会長の「坂上政幸」氏と、「関西利永支部」支部長の「西村孝男」氏も駆けつけた。このお二人の中学時は優秀な成績で、開聞中と利永中の生徒会長を務めた方々である。出席した者達と「坂上」氏との再会は、「55、6年」振りだった。

利永の伝統行事〔1月18日記〕

★ダセッチ
 1月14日、新婚家庭を訪れて、夫婦の円満と子宝を願う「ダセチッ」行事が利永であった。我らが子供の頃は親父にセンダンの木で、70㌢程の「ダセボー」を作ってもらい、「ダーセン、ダーセン」と唱えながら、庭を「ダセボー」で突いて、お菓子や飴玉を貰っていた。
 この行事は、「嫁に来たら一度や二度、嫌な事があっても家を出て行くな、庭を突いた穴で足を怪我する」と云われ、「嫁を引き止めるための行事」だという。 利永小の「赤石校長」によると、今年の新婚家庭は16軒だったそうだ。

ウナンメイ

鰻池

1月15日と16日は、「地獄の釜のフタが開き、死者の霊が自由になる日である」と言い伝えられている。そのため、死者の供養を願う大勢の人々が、「うなぎ集落」の地蔵堂の参拝に訪れる。
この「地蔵堂」は、代々の「林田家」が守ってきた。そして、現在は4代目「清治」氏=60才が管理している。
今回は帰省中の「西村孝男」氏と、「うなぎ集落」にある「地蔵堂」を訪れて、「故人」らの供養をして来た。

メンドン祭り

1月16日、奇抜な衣装を身にまとい、「ひょとこ」や様々な「お面」をかぶり、「スス」を付けた大根を手にして、見物人へ「スス」をぬる。
今年は「利永小」から5名の先生方が、「メンドン」に扮し、又、校長先生はどんぶりに大盛のご飯を持って、地域の「メンドン」行事に参加してくれた。今年は20名の「メンドン」が村のあっち、こっちに出没して、住民を追いかけては「スス」をぬり、逃げ惑う住民らの歓声が過疎の村に「こだま」していた。

阿久根市長選の結果、〔1月18日記〕

世間を騒がせていた、「阿久根市」の市長選挙が1月16目にあり、新人の「酉原良将」氏=37才が8、509票を得て当選した。〔竹原氏に864票の差をつけた〕
竹原氏=51才は在任中、議会をないがしろにし、専決処分の乱発などで市政に対立と混乱を招いた。その結果、竹原氏への批判が高まり落選した〔7645票。〕

県の人口は戦後最少〔1月23日記〕

平成23年1月21日付けの南日本新聞によると、
2010年〔H22〕10月1日に実施した国勢調査の結果、鹿児島県の人口は戦後最少の「170万6428人」で、2005年〔H17〕の前回調査時、「175万3179人」と比べ、5年間で「4万6751人」の減。
又、県内人口のピークは、昭和45年〔1955〕の「204万4112人」だった。
その後、地方から都市部への人口流出などがあったため減少が続き、これまでの戦後最少人口は、昭和50年〔1975〕の「172万3902人」だったとある。

俺が記憶している昭和45年は、大阪で「万博」〔3月15日〕が開催された年である。そして、日本経済が高度に成長し、バブルの絶頂期だった。
その恩恵を受けて年間280万人の観光客が、指宿を訪れていた。

歩け歩けの「菜の花」マーチ〔1月25日記〕

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1月9目に過去最多の、「2万963人」のランナーが参加して開催された、「菜の花」マラソン大会。その余韻がまだ残る指宿路を、今度は歩け歩けの、第19回「菜の花」マーチが、1月22日と、23目にあった。
一日目は開聞山麓「ふれあい公園」が、発着の会場となり、「5666人」が出場して、10≒、25ち、40ちの3コース、又、二日目の指宿「ふれあいプラザー菜の花館」の会場には「8390人」、2日間で延べ「14056人」のウオークマンが出場して、〔人数は市観光化へ電話で、過去最多を確認〕一足早い春の訪れを告げる「菜の花」が満開の、指宿路のウオーキングを楽しんだ。
今回は「近畿ツーリスト」が、「B級グルメ、フェア」を開催して、「博多ラーメン」、「別府とり天」、「富士宮焼きそば」、「対馬トンチャン」など、県外からと、県内かち薩摩川内、南さつま市、徳之島町から、地元からは「温まらん丼」や「篤姫バーガー」など全部で19店舗が出店した。〔店舗数は観光課で確認〕 その「B級グルメ」を舌つつみする、約「1030人」が、大型観光バス27台に分乗して会場へやって来た。さすがは大手の「近畿ツーリスト」、やる事がデッカイ。
このマラソン大会とマーチの大会は、指宿路ヘ一足早く訪れる春の風物詩となり、観光指宿の経済効果は、思わぬところまで潤っている。
[check]いぶすき菜の花マーチの記事

NO、2011- 1 2011年1月5日発

行方不明者〔12月21日記〕

 12月21日午前7時、山川、開聞消防分遣所から、「大阪府和泉市から病気見舞いのため、夫婦で池田の親戚宅を訪れていた77才の男性が、元、山川町の牧場〔鷲尾岳の裏〕付近で、『行方不明になっている』との緊急放送があった。その3目後に「死亡で発見した」との噂を耳にしたが、12月26日現在、俺は確認していない。

無罪判決へ不服の控訴〔12月23日記〕

 昨年の6月、高齢者夫婦が殺害された事件の裁判に、10名の方々が裁判員に選ばれ、40日間、外部との連絡も取れない環境に置かれたなかで、現場の検証や指紋採集などに係わった関係者ら30名を証人喚問した。

 その結果、去る11月17日の最終論告求刑で、死刑を求刑された男性に12月10日の裁判員裁判で、「平島正道」裁判長は「無罪」を言い渡した。 この判決に納得しない「鹿地検」は12月22日、福岡高裁、宮崎支部へ控訴した。今度はプロの裁判官によって審理される事になった。

人斬り半次郎〔12月26日記〕

 半次郎
 去る、12月25日午前10時30分、開聞の体育館内にある「サフアリーナ」で、鹿児島県出身の俳優「榎木孝明」が演じる、「半次郎」の映写会があった。当日は3回の上映があり、第一回目では約250名が観賞に訪れていた。

 この映画は約133年前、幕末の動乱期に貧農の青年が剣術の腕を磨いて京ヘのぼり、泣く子も「黙る」と恐れられていた「新撰組」から、「人斬り半次郎」と呼ばれ、実在した「中村半次郎」の物語である。

 京での半次郎は、西郷隆盛らの薩長連合が朝廷を味方につけて官軍となり、幕府との間で戊辰戦争を起した際、数々の武勲を立てて明治新政府の陸軍少将に抜擢され「桐野利明」と名乗り、神風満風の人生を送る。

 しかし、征韓論で大久保利通との権力争いに敗れた西郷隆盛は、薩摩へ下野する。その際に、桐野利明は栄光の地位を捨てて、西郷らと行動を共にする。
 そして、西郷は政府に不満を持つ下級士族の若者を集めて、「私学校」を開校する。桐野利明は農業の傍ら、「私学校」の若者らに剣術を教える。

 その後、明治10年9月、「西郷隆盛」を大将に、1万3000人の「薩摩軍」と、明治政府の「官軍」との「百南戦争」で、「薩軍」が全滅する。西郷隆盛、桐野利明など薩軍の戦死者は、南州墓地に手厚く埋葬されている。

西郷隆盛について

 この映画で「西郷隆盛」を演じた「田中正次」氏=50は、旧開聞町仙田出身
の方で、現在、名古屋市東区で会社経営の「社長さん」であるそうだ。

 上映終了後、挨拶した「西郷隆盛」そっくりの、「田中正次」氏によると、この映画は『榎木孝明』氏が全額負担の作品で、西郷隆盛の募集には女性社員の薦めで応募し、『350名』の中から選ばれた。

 そして、難儀苦労の撮影は2ヶ月掛かったが、郷土の偉人を演じた出演料は『無料奉仕』だった」という。この撮影の秘話を聴いて思わず感動した。

 去る、10月24日の目置市から始まったこの映写会は、県内18ケ所の公共施設の会場で上映され、平成23年1月上句の垂水市文化会館で終了する。

開聞仙田出身「田中正次」氏とは

 12月28日、開聞の方々によると、開聞町時代に有名歌手、「水前寺清子」を連れてきて、開聞「サフアリーナ」で昼夜2回の「水前寺清子歌謡ショー」を開催した。その際、全町民を「無料で招待した」という。

 その当時の有名歌手と御一行の興業費用は、2時間で約300万~500万円で、ホテル代、飲食代、空港までの送迎などの経費全てを、「田中正次」氏が全額負担したという。

 名古屋で儲けた金は過疎の故郷へ還元し、今回は「半次郎」への出演などで故郷の地域住民を元気付けている。このような善意は、誰でも出来るものではない。故郷の人々を気遣う温厚な「田中」氏に、地域住民からは絶大な信頼が寄せられている。〔俺の名刺は渡したが、田中氏からは貰い損ねた。残念〕

いぶすき菜の花マラソン

いぶすき菜の花マラソン

★平成23年1月9日、日本で一番早く開催される第30回「いぶすき菜の花マラソン」大会が行われる。
http://www13.ocn.ne.jp/~ibu-nano/
この大会に国内外から2万人を超す、市民ランナーが参加する。そのため、2千数百名のポランティアーが交通整理に協力する。俺には成川浜の三叉路交差点での、交通整理の要請が来ている。

編集後記

★明るいニュースが連日掲載されたので、スーパーセンター「ニシムタ」で、女店員にコピーをお願いしたら、「これ以上出来ません」と云われた。
読みづらいでしょうが悪しからず。

★12月26日、都大路を駆け抜ける高校駅伝大会で、「鹿児島実業」の悲願達成の優勝は、多くの県民に感動を与えている。
[check]かお 全国高校駅伝で初優勝した鹿児島実高の監督 上岡貞則さんの記事

★開聞岳登山の「ガイドクラブ会長」は上野集落の方で、これまでに開聞町議など、多くの役職を兼任してきた実力者であり、人の相談にも乗ってくれる。竹を割ったような性格の方である。
[check]茶の間 開聞岳ガイドクラブ会長 川畑武徳さんの記事

平成22年度 故郷ニュース

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