関東かいもん会

開聞出身者の友情と親睦を深める「関東かいもん会」

平成23年5月~12月 故郷ニュース

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-25 2011-12月26日発

平成23年度、最後の故郷ニュースです。よか、「しょがっ」をお迎え下さい。

〔1〕災害列島〔12月5日記〕

年賀はがきの売り出しと同時に、郵便局長や局員らが指宿市内の大型スーパーの店舗入り口でも「年賀はがき」の出張販売をして、買い物客に購入を呼びかけている。局員らに、「売れますか」と尋ねると、今年は売れ行きが悪いという。だから=売れる方が可笑しい。今年の日本列島は災害が多く発生し、その犠牲になった方々の事を思うと、心を痛めている方も多いだろう。だから「おめでとう」と云える状況ではない。俺は1枚も出さないよ=と云ってやった。

〔2〕70歳の忘年会〔12月13日記〕

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日本軍の真珠湾攻撃からこの12月で70年になった。その昭和16年に生まれた我々同級生は、世界が注目する皆既月食の12月10日、午後7時から山川駅前の「くりや」に男女15名が出席して、恒例の忘年会を開いた。我らの同級生は、生まれも育ちも性格も違う、又、ピンタの良か者、わるか者たちがみんなー緒に机を並べて、9年間過ごして来た仲間である。だから親兄弟に云えない事も、仲間内では無礼講で言い合っている。

〔3〕心もはやる師走

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「卯」年から「辰」年へのバトンタッチも後わずかとなった12月25日、恒例の第13回、山川ふるさと「歳の市」が、山川漁港の「水揚場」と道の駅「活お街道」で同時に開催された。 今年最後の「イベント」となった2つの会場には、大勢の買い物客が駆けつけて賑わった。そして産地直送、展示即売の新鮮な魚や野菜、花、漬物、水産加工品その他、様々な商品を格安で買い求めていた。又、「ツバベニ、少年太鼓」の演奏、「まぐろの解体ショー」、「もちつき大会」など盛り沢山の催しに、みんなの「財布の紐」は、ゆるみっぱなしだった。

〔4〕受賞の喜び〔12月18日記〕

利永地区で`「民生委員」として活躍している同級生の「迫幸雄(70)」氏は、去る11月20日開聞総合体育館で開催された 「第10回いぶすきふれ愛フェスター」で、「豊留 指宿市長」から表彰状を授与された。彼は昭和36年8月1日に司厨員として「商船三井」に入社し、外国航路に乗船。その後、仕事ぶりが上司に認められて司厨長に昇格して、その重職を果たしてきた。しかし、人生には定年退職という引き際がある。平成8年8月9日に後進の者へ道を譲り、船員生活36年間の現役から一線を退いた。

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そして、下船後の平成10年に、利永地区の「民生委員」に選らばれて現在13年。又、平成13年からは、法律で裁き切れない悩み事を、思いやりの心で接して解決への助言を与える「心配ごと相談員」も兼務して10年になる。

この地道な福祉活動が「指宿市」に評価されて、今回の受賞となったが平成21年にも、当時の「田原迫、要」市長から、民生委員の「功労賞」を授与されている。今回で2回目の嬉しい受賞である。又、この名誉の受賞は、これまでの道のりを陰で支えてきた美人妻、「イツ子」の「内助の功」があればこその受賞でもあったと思う。妻に感謝の気持ちを忘れずに、今後とも頑張ってほしい。
「迫 幸雄」氏によると、=「民生委員」になって5年間は「悪<ち」ばかり云われて、いばらの道のりだった。心配した妻からは、〔もう民生委員は辞めて〕と懇願された。しかし、俺は太平洋の荒波を死ぬ思いで36年間、乗り越えてきた男だ。あの荒波で「死ぬ思い」をした事を思えば、少々の「悪口」くらいで「辞める訳にいかぬ」と、自分の信念を貫いて頑張って来た=という。あっぱれだ。

同級生同士で結婚した「迫」夫妻は、何時もラブラブで円満な家庭を築いている。「迫」氏は現在、指宿市「民生委員会、山川支部」の「副会長」の要職に付いて老人や身体障害者など、弱者の世話をして地域社会に貢献している。又、妻の「イツ子」さんは以前、婦人会長の経歴もあり現在は、「フラダンス」の愛好者仲間と「ボランティア」活動を通じて、地域に貢献している。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-24 2011-12月16日発

親愛なる皆様ヘ
この一年間、皆様には物資両面にわたり大変お世話になり、誠に有難う御座いました。賀状は欠礼致しますが、皆さまのご健康とご多幸をお祈り由し上げます。

〔1〕「まさか」の説法

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11月24日午後6時、山川高校近くの「JAルミエール」葬祭で行われた、女性〔68〕の「お通夜」に出掛けた。読経を終えた浄土真宗本願寺派山川「正龍寺」の「ご住職」は、弔問に訪れた約300人の参席者に向かって、=人生には「登り坂」、「下り坂」、「まさか」の「坂がある」そのなかの、「まさか」とは、「おもいもしなかった」とか、「予想もしなかった」というのが「まさか」である」との持論を述べた。

確かに「ご住職」のおっしやるとおりである。しかし、俺はこの「まさか」に何時も悔しい思いをしている。世間の者たちは、学歴もない馬鹿な俺に、様々な物事を頼みに来る。処が、「のど元、過ぎれぱ熟さ忘れる?」のか、=「まさか、あの人がこの俺を・・・とは、思いもしなかった」とか、「まさか、この人がこの俺を000とは、予想もしなかった」=など、「まさか、まさか」に妻は悔し涙を流し、俺はやけ酒をあおってきた。_

〔2〕駐在所の統廃合反対

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11月25日、免許証更新のため「鹿児島県交通安全教育センター」へ行く途中の喜入町「生見」地区の国道226号の両側に、「駐在所の統廃合反対」の「のぽり」が10本程立てられていた。更新を終えての帰り掛けに、「生見」の「00商店」前にいた老婦人に、「なぜ反対」かを訪ねると、「この辺は老人が多いし、世間も物騒だから「駐在所」がないと困る=という。
12月11日の南日本新聞は、=現在ある59の交番と198の駐在所を71の交番と94の駐在所に統廃合する=と伝えている。12月4日、成川区の「回覧板」によると、=山川、大山、川尻駐在所を廃止して、平成24年4月から、「山川駐在所」に「指宿南交番」を設置する。交番には6名の警察官を配置して3交代勤務で24時間の業務になる。だが原則的には、昼間だけの業務になる=とあった。

〔3〕インターネットのカか?

11月29日午後8時、男女8人の若者が「ワゴン車」2台に分乗して、休園日の「ふれあい公園」へ来た。そして、=幽霊の出るトンネルはどこですか、「花瀬望比公園」の所で道に迷った。今夜はトンネルで酒盛りして、そのままー泊する=という。何処からの情報ですか?と訪ねると、=インターネットをいじくっていたら「故郷ニュース」に、「トンネル」記事があるのを見つけたから、友人らを誘ってきた=という。 〔11月25日の午後8時にもバイク2台で、「幽霊のトンネル」を訪ねて来た。〕
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〔4〕「ここだけの話」は広がる

「こっがはま温泉」を利用していた方々が、9月から「浜ん湯」へ来るようになった。その方々の、「ここだけの話」によると、=「護岸エ事中の業者が、地下約5㍍にある「こっがはま温泉の湯源」を「うっちや、ぷった、〔こわした〕」で、お湯が出なくなった=そうだ。その壊した際ものすごい勢いで5㍍程、お湯が噴き上げたという。ぴっくりした現場責任者は作業員らに、「絶対に口外するな」と口封じの箝口令を命じたという。しかし、秘密の「ここだけの話」は、すぐ世間に漏れる。
温泉の経営者が業者に真相を問い質すと、口をつぐんで知らんふりをするそうだ。

12月1日、「ここだけの話」の内容を確認するため、「こっがはま温泉」の経営者に会いに行った。すると、温泉入口にはロープが張られ、その脇には小さなダンボールに、「当分、営業のメドたたず」のお知らせがあった。〔女、経営者とは会えなかった〕

〔5〕第26回いぶすき産業まつり

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この産業祭りの会場では、地元でとれた農産物の品評会、地元の工芸品や農産加エ品、園芸、盆栽などの即売会をはじめ、伝統芸能や保育園児らの太鼓演奏などが披露された。又、屋外テントでは、様々な食べ物店が並ぴ、会場に訪れた大勢の観衆が味わっていた。これまでの指宿地域では、毎週「土」、「日」になると、必ず何処かで様々な「イベント」や「祭り」が開催されて賑わっている。「産業まつり」も今回で「26回目」になるそうだ。

〔6〕走る豪華なホテル船

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12月6日〔火〕海運業界最大手の「商船三井」が所有する、豪華客船「にっぽん丸」 2万2472㌧が指宿へ初寄港した。
「ニシムタ」で早めに買い物を済ませて海岸へ行くとヽ停泊中の豪華客船をー目見ようと、大勢の見物人が海岸に詰め掛けていた。手元の資料によると、=横浜港を出港した後、熱海の花火大会や全国の名湯を楽しむ6日間の旅の途中、指宿へ寄港した=という。
しかし、港内への着岸が出来ないため沖合いに停泊し、一般の方々を招いて船内見学会が行われた。

〔7〕いぶすき菜の花マラソン

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上の案内図は平成24年1月8日に開催される、第31回「いぷすき、菜の花マラソン大会」のコースです。この「マラソン大会」は、国内外から毎回2万人を超える市民ランナーが参加して、早春の指宿路を駆け抜ける大会です。今ではすっかり早春の風物詩ともなっています。又この「大会」には2000人以上のポランティアが動員され、俺には「成川浜、交差点」での交通整理に、要請が来ています。

〔8〕桜島爆発観測1万回

12月3曰、鹿児島地方気象台によると、=昭和30年〔1955〕10月から、桜島の観測を始めて56年間で、通算「1万回」の爆発を観測したと=と発表した。その「1万回目」は、12月2日午後6時51分、昭和火口からの爆発で、今年「878回目」だった。昨年の年間爆発「896回」を上回る勢いであるという。
又、12月10日午前0時37分、今年900回目の爆発をしたという。
桜島の爆発は、平成21年〔2009〕には548回、22年〔2010〕には896回だった。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-23(2011-12月1日発)

〔1〕指商デパート

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11月6日、JR今和泉駅から東へ約300㍍先にある「指宿市立指宿商業高校」では、実践学習として生徒らが品物を仕入れて決算まで行う恒例の第22回「指商デパート」が開催された。会場の体育館には地域の特産品、家電、スポーツ用品、観葉植物、韓国物産など多彩な商品を揃えて販売。来場者からは「安くて商品がよか」との好評を得ている。11月10日付けの南日本新聞は、「来場者4700人、売り上げ約318万円」と伝えている。

〔2〕新幹線開通後の効果

★〔その1〕
11月10日付けの南日本新聞に、H22年度は中国、香港、台湾、韓国から9万5000人〔2007年に比べ、約1万人増〕の観光客が鹿児島県を訪れ、外国人宿泊者の76%を占めている。 そして新幹線が全線開業後の指宿では、観光案内所へこの半年間に毎日、中国、韓国人の観光客が訪れているとある。

★10月9日、長崎鼻で〔その2〕
来客2人を達れて長崎鼻へ往った際、永年付き合いのお土産店へ立ち寄った。店主によると、「中国、韓国人がお店に来てくれるが、話が通じなくて困る。だからといって中国、韓国語を話せる人を雇うほどの余裕はない。自らが外国語を話せるようになって一個でも商品を売らないと、売り上げは伸ぴない」という。ここにも、新幹線開業の効果が現れている。

★「指商」の「池崎和弘57歳」校長は〔その3〕
=H20年の夏、天文館で大勢の中国人が買い物をしていたが、店の人が言葉が通じなくて苦労している様子を見て、〔生徒に中国語、韓国語を教えてしやべれるようになれぱ就職にも大きな武器になるし、観光客への印象もよくなり学校の看板にもなる〕との思いで、H24年度から中国語、韓国語の選択授業を始める=と述べている。

〔3〕話題が村の活性化に、〔区長=濱鳥勝-、70才〕

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「浜児ケ水」地区にある「日本―安い温泉」の「浜ン湯」が、11月7日付けの南日本新聞12面一杯に、「ふるさと、かごしま、彩録」という特集記事で、デカデカと掲載された。この記事を見たJR[平川駅]近くの住民5人が、「いげんな温泉じやろかい」と翌日の8日、早速「浜ン湯」へ入浴に来たという。「新聞」への掲載が話題になって、人ロ400人の過疎の村の温泉は賑わっている。

長老によると、「昭和2年〔1927〕、海岸に簡単な露天風呂を造ったのが始まりで、その当時は近隣の村から、牛馬車に家族を乗せて砂むし温泉に来ていたし、時には農家の牛小屋や軒下を借りて、―週間ほど湯治して帰る家族もいたぞ」という。その後、浴槽を備えた建屋になって、今年で60年になるそうだ。年間の利用客は約2万人。その6割が集落外からの客で、「日本―安い温泉」の看板を見た通りすがりの観光客なども車やバイク、自転車で入浴に訪れている。

〔4〕経費削減の影響

地域住民の治安を守る「交番」、「派出所」、「駐在所」が、来年4月1日から統廃合される事になった。ある「区長」によると、=現在「大山駐在所」に2人、「川尻駐在所」に1人、「山川派出所」に2人、計5名いる「警察官」を、「山川派出所」へ統合する。そして、一人補充して6人の「警察官」が2人で一組になって、24時間体制で地域住民の治安にあたる。又、「宮ケ浜駐在所」はJR指宿駅横の「駐在所」へ統合する=との説明があったという。

大成小の「大園一法」校長によると、=経費削減のご時勢だから学校でも「利永小」、「徳光小」、「山川小」などが何れは、「大成小」へ統合されるでしょうね=という。この「大薗一法」校長は、「大成小」へ赴任以来、「口よりも先ず行動で」と、雨の日も風の日も毎朝、「大成小」の交差点に立哨して、登校して来る児童らに「おはよう」の言葉を掛けている。そして、最近「挨拶が良くなった」と児童らを誉めている。
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〔5〕山川高の文化祭に誘われて

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11月17日、毎朝7時45分のバスで「山高」へ登校する女高生2人が、今朝は山川駅から歩いて7時に登校して来た。=早やかね~、なんかよかこっがあっとか~=とからかうと、「文化祭の準備です、観に来てね~」と誘われた。
山川高校には「園芸工学、農業経済科」があって、生徒たちが農業実習で丹精込めて育てた農産物を毎年、春と秋に特設の売り場で「花野果市場、はなやか」を開催して、一般の方に販売している。文化祭の今日は、校門から入った左側にテントを張り、新鮮な野菜類や花の苗
などが豊富に並べられていたが、ほとんどの商品が完売されていた。

〔6〕プロポーズ大作戦〔11月23日記〕

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11月19日午後1時~20日の午後12時までの間、頴娃町商工会主催の集団お見合いが執り行われた。主会場の「ふれあい公園」の「ゆとり館」には、22~46歳までの善男善女45名が伴侶探しに参加した。参加者は8棟の「ログハウス」に分散して一泊。交流の会場では自分を最大限に自己紹介して相手にプロポーズする。

11月21日、10組のカップルが交際をはじめたというメデタイ情報があった。

11月20日、開聞総合体育館にて、第10回、いぷすきふれ愛、フエスターが開催された。歌や踊りなどの演芸が披露されたあと、14時30分より5人の子供の母である「堀ちえみ」の、「子育て卜-クショーがあった。講演会は定員500名にも関わらず、大勢の入場者だった。
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この曰の開聞岳は登山者であふれ、ゆとり館ではアツアツのお見合い、総合体育館ではフエスターがあり、ふれあい公園周辺は人と車で終日賑わった。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-22(2011-11月15日発)

ご支援有難うございます。
零細企業の「我が社」には、此れまでに様々なご支援が寄せられています。お世話になっている多くの皆様に、心から厚くお礼申し上げます。

〔1〕私の故郷は無人島〔10月25日記〕

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鹿児島から南西270㎞の東シナ海に、大小「10の島」が点在する 「トカラ列島」がある。この島々を「鹿児島郡十島村、としまむら」という。 「村」の役場〔村長、敷根忠昭〕は、村営船「フェリーとしま」が発着する鹿児鳥港の北埠頭近くにある。県が公表したH22年度の人口は男 358人、女299人、世帯数396戸となっている。

この「十島村」の「臥蛇島、がじゃしま」を昭和40年、15歳で離島した後、「成川」の男性と結婚して「和田邸」の近くにいる女性〔62〕によると、 昔の「臥蛇島」は、カツオ漁で栄えていたが戦後、米軍の統治下に置かれた。その後、昭和27年〔1952〕2月4日に奄美群島と共に本土へ復帰して、2月10日から「十島村、臥蛇島」として発足した。

その当時は200人程の島民がいたが生活困窮のため、新天地を求めての離島が相次いだ。そして、昭和45年7月、最後の3世帯が島外へ移住して、無人鳥になった。無人鳥になって41年目を迎えたのを機に、元島民ら32人が10月22日「村営船」で10~41年ぷりに、「臥蛇島」へ里帰りした。処が、海が大荒れのため島への上陸が出来ず、船上で「先祖」の慰霊祭を行い献花と焼香を捧げた後、島の周辺を30分程航行し別れの汽笛を鳴らしながら、無人島の故郷を後にしたという。

手元の資料によると、島の面積は約4、5平方km、一番高い標高は479㍍。50~100なの切り立った崖に囲まれて危険なため、現在は「立ち入り禁止」とある。「十島村」が本土復帰してから、平成24年〔2012〕2月で60周年になるそうだ。

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←は、昭和45年7月に無人島になって、41年目になる現在の「臥蛇島」
和田さん「故郷へ戻れる人は、いいね~」と彼女はいう。



〔2〕 車内荒らし〔10月25日記〕

「9月に山川派出所へ転勤して来ました。」と、若くてヨカニセの「巡査ドン」が挨拶がてら、担当地域の家族構成の謨査に来た。帰り際に=農道に車を止めて野良仕事をしている間に、「お金」を盗られる車内荒らしの被害が山川、開聞地域内で多発している。もし、知り合いに農家の方がいたら、くれぐれも気を付けるように伝えて下さい=と注意を促した。この車内荒らしは昨年も多発している。世知辛い世の中になったもんだ。

〔3〕昨年は896回の爆発〔10月28曰記〕

6月以降から活発な火山活動を続けている「桜島」の昭和火ロは、10月25日、午前5時25分に今年「800回目」の爆発をした。昨年より16日も早いと、26曰付の南日本新聞は伝えている。更に活発化の可能性があると、注意を呼ぴ掛けている。

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東北では、目に見えない放射能の恐怖におぴえ、南国・鹿児鳥では、目も開けられない程、桜島の「火山灰」に悩まされている。その「火山灰」は北風に乗って山川、開聞地域まで運ばれてくる。そのため、洗濯物や布団が外に干せない日が多々ある。今は「火山灰」だけだがそのうち、放射能が鹿児島へ飛来する日も、そう遠くはない。猛威をふるう自然の力は、想像も出来ない程の威カがある。

写真は、今年800回目の爆発となった桜島。火山雷を伴い噴煙を上げ噴石を飛ばす昭和火口=25日午前5時25分、鹿児島市黒神町(南日本新聞より)

〔4〕 海の道しるべ〔10月30日記〕

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大隅半鳥と薩摩半鳥に囲まれ、「錦江湾」に出入りする船舶や東シナ海を航行する船舶の道しるぺとして特別な設計で建設された「長崎鼻灯台」は、昭和32年〔1957〕に完成して、その重要な役割を果たしている。その「長崎鼻灯台」が10月29日に、一般公開された。
海上保安官の案内によると。灯合の位置は=北緯31度09分、東経130度15秒。光の距離は=約25km先まで届く。又、「灯台」の内部を公開するのは、5年ぷりであるという。見物に訪れた観光客や家族違れは、太陽光で発電してLEDで照らす、近代化された灯合に感動していた。

写真は、5年ぶりに灯台内部が一般公開された薩摩長崎鼻灯台=29日、指宿市山川岡児ケ水(南日本新聞より)

〔5〕指宿市民体育祭

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昨夜からの雨で朝を迎えた。午前6時、「体育祭」の開催を知らせる轟音の花火が打ち上げられた。「あめんふい、運動会が、でくっろかい」と思いつつも、開聞総合グランドヘ向かった。しかし、雨足は弱まる気配がなく、途中で自宅へ引き返した。その後、体育祭も競技の途中で中止になったという。体育祭は6年目になるが、開聞地区は「綱引き」で、達続5連勝している。

〔6〕 衣替え

5月1日から、カラフルな「アロハシャツ」を着用していた市の職員、ホテル、観光関係者、大型スーパーの店員、市民らが11月1日からー変して、冬へ向けての衣替えをした。今では「アロハシャツ」の着用も、指宿の街にすっかり定着している。〔昭和43年5月、俺と故川畑元徳が、アロハの普及に尽力した。〕

〔7〕 交通安全講習会〔11月5曰記〕

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11月2日午前7時30分から、「成川区民センター」で「交通安全講習会」があった。この講習会は指宿市「17の地区」を、指宿署の交通課と指宿交通安全協会の役員が訪れて、年に一度開かれる大事な勉強会である。処が、何処の地区でも勉強会への出席者が少なく、時には「0」から5~6人の地区もあるという。その中で、「成川地区」の出席者は102人だった。安全協会成川支部長は、出席者が多いと我々も力強いと、お礼を述ぺた。

〔8〕2011年11月5~6、文化交流祭〔11月10曰記〕

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今から402年前の1609年4月5日、「島津藩」の支配下に置かれた「琉球国」は、「島津の殿様」に貢物を献上するため、進貢船で山川へ入港した。来航した「琉球王」の使節団は、1か月以上も山川へ滞在することもあったという。その合間に村人たちとの交流が生まれ、「琉球踊り」を披露した。こうして、「利永、大山」地区に「琉球人傘踊り」。「入野、物袋」地区に「琉球人踊り」が伝えられた。4つの地区では民俗芸能として、次世代へ引き継がれている。
又、この日は、開聞総合体育館で、開聞地区文化祭が開催された。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-21(2011-10月31日発)

〔1〕母の故郷を訪ねて〔10月10日記〕

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10月8日、伊勢神宮から一山越えた、「磯部町」=〔スペイン村がある街〕から、「姉」の息子2人が連休を利用して、18年ぷりに「和田家、ご先祖様」の墓参りに来た。

飲んべ~の来客―人が、「かつおの剌身を食べたい」というそのため、観光めぐりをしながら枕崎の「お魚センター」へ出掛けた。処が当日は連休のため、何処ヘ往っても大勢の
人出で賑わっていた。伊能忠敬の石碑がある「番所鼻公園」と、ここから約3㌔ほど先にある「釜ふた神社」の駐車場は、途切れなく訪れる観光客の車で大混雑していた。

そして2泊3日、田舎料理の「煮しめ」と剌身とビールの歓待に満足した。2人は、またの再開を約束して帰った。又、利永の墓地に眠る「和田家」のご先祖様も、2人の子孫が供養に訪れた事に、ざぞ満足された事であろう。遠い所からご苦労様でした。

〔2〕和田家と伊勢神宮との縁〔10月10日記〕

長老の方によると、江戸時代の「和田家」は、「利永むら」のr庄屋」だったそうだ。そして、領民の無病息災と五穀豊穣の祈願にお伊勢参りへ旅立つ際には、領民と別れの「水杯」を交わし、伴の者と船に乗って出掛けたと伝えられている。
現在に至っては「和田家」の子孫が、伊勢神宮の隣の町から利永へ墓参りに来るようになった。これも「和田家」のご先祖様が、お伊勢様と利永を結んだご縁であろう。

〔3〕お金は魔物である〔10月18日記〕

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指宿市内の大型スーパー、「サンキュウ北指宿店」で、経理担当の女性〔40〕が、平成18年〔2006〕~平成21年〔2009〕にかけて、推定7000万円の売上金を着服したという。
会社はこの女性を刑事告訴するそうだが巷では、「指宿にゃ、ボッケモンのおなごが、おいもんじゃ、こいで2人めだが今度は、だいじゃろかい」との話題で賑わっている。

又、「タイヨー指宿店」へ納品していた男性によると、=4年程前、衣料品売り場の「レジ係り」の女性が「1000万円」使い込んだが、女性の身内の者が弁償をしたので、「刑事告訴は免れた」という=そして、今回の事件である。この、「タイヨー」と「サンキュウ」は系列会社で、社長は同―人物であるそうだ。

指宿市では、5月3日に老夫婦が殺され、そして今回の着服事件、又、17日には、スーパーで買い物中の76歳の女性のバックの中から、財布を盗んだ36歳の女性が、指宿署に遼捕された。人口「4万4千人」そこそこの小さな指宿市で、大都会並みの事件が発生している。

〔3〕「最南端の駅」〔10月18日記〕

JR指宿、枕崎線には、「最南端の有人駅、山川駅」、「日本最南端の駅、西大山駅」、「本土最南靖の終着、始発駅、枕崎駅」の最南端という名の駅が3つもある。

そのため、どちらも最甫端の駅を名乗る、「枕崎駅」と「西大山駅」について調べたら、
地図に示される「緯度」が違う事に気付いた。それによると、「西大山駅」が「北緯31度11分」で、「枕崎駅」より少し南にある。

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だから、「西大山駅」が「最南端の駅」になっているそうだ。〔今回はよか勉強になったど〕

この写真の裏には「本土最南端の終着駅」とある。

平成23年〔2011〕10月9日〔日〕
撮影和田 寛

〔4〕活性化への取り組み〔10月18日記〕

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「大山地区」内には、2㍍程の角材に白のペンキを塗り、その上に昔の古い〔地名〕と、その由来を書いた標柱が立てられている。これは、大山郷土研究会が平成20年5月に立てたもので、全部で20ケ所に立てるそうだ。

そして今回新たに、「由緒ある地名を後世の者達へ残す」のと、「村興しの活性化」にと6ケ所立てた。〔現在12ケ所で、後、8ケ所の予定〕。
「大山地区」へ取材に行くと=古地名「大山青年舎跡」=という標柱があった。その標柱には、=この近辺は、明治、大正、昭和前年の時代、大山青年舎があった。青年たちが自主的に議論したり、相互学習したりした館である。私達は、大山を担う人材が、ここから巣立っていったことを忘れてはならない」=と由来が書かれている。

大山郷土研究会には、約90名の会員がいるという。そして、事務局長の「吉村吉弘64」氏が中心になって、郷土の歴史や様々な事を学んでいるそうだ。

※写真は「古い地名が記された標柱を設置する大山郷土研究会のメンバー=指宿市山川大山 南日本新聞より」

〔5〕十五夜の映写会〔10月19日記〕

10月17日午後6時から、「浜児ケ水の集落センターで、30年前の〔十五夜行事〕の映写会をすっで〔観にこんか〕」と、知人に誘われたので興味深々で出掛けた。そして、ビールを飲みながら観賞していると、知人の嘆き節を聴かされた。

知人によると、=少子化と人ロ減で、地区の行事を担う若者がいなくなり、満月の灯かりの下で昔のような「十五夜行事」も出来なくなった。そのため、「区民の交流と後世の者達へ、活気あふれた昔の十五夜行事を伝える」ために、今回で3回目の映写会を開いた=という。
この「大山」と「浜児ケ水」地区は、過疎化が進む中で、あの手この手を活用して「地
区」の活性化を進めている。

又、「浜児ケ水」地区」は、約150世帯の小さな集落であるが、「子供会」の育成活動、地区民の運動会など諸々の行事に、多くの地区民が積極的に参加して行事を盛り上げて来た実績がある。両「地区」とも、誠にあっぱれである。

〔6〕松の木の「紅葉」

昭和45年ごろ、東京から新婚旅行に来たカップルを、「タクシー」に乗せて観光めぐりに出掛けた。そして、車窓から景色を眺めていた新婦が、「運転手さん、あの紅葉している木は何の木ですか」という。この新婦は、「松の木」が「松くい虫」に食い荒らされて、枯れているのを「紅葉」と間違えて尋ねたのである。

今、故郷の山々では、この笑うに笑えない「松の紅葉」が始まっている。「JR川尻駅」の国道から、「カセッダケ」、「うえのんたけ」、「利永の、なかだけ」、「うやまだけ」周辺を眺めると、広範囲にわたって「松」が「ちんがらっ」、「松くい虫」の被害を受けて枯れている。
この現象は、今まで見た事もない程の光景である。ここまで被害が広まると、山林の持ち主だけでは手の施しようも無い。一日でも早く行政の力で被害を食い止めないと、日本の象微でもある「黒松」が、全滅の危機に晒されている。

〔7〕ポニー馬の競馬

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去る10月16日、午前10時から、指宿スカイラインの「千貫平」にある「アグリランド、えい」で、第10回、「ポ二-馬」の競馬が行われた。

当日は、「高崎あけみ」の歌謡ショー、「永、志保」の鳥唄ショー、「智賀流」の踊りなど、様々な催しに大勢の観客が訪れて、午後4時までタップと楽しんだ。

この日は五穀豊穣を祝う、枚聞神社恒例の「ぽぜ祭り」もあったが、毎年「ポニー馬」の競馬を感染に往く方が、「面白いよ」というので取材に行った。すると、草原に一週約400㍍のコースをつくり、予選8レースと決勝戦6レースで優勝馬を決める大会であった。処が、一頭の馬がコースを曲がれず、観戦していた頴娃町の女性〔59〕に乗りかかるようにぶつかった。そのため、首や、背中に軽い怪我を負い、救急車で病院へ搬送された。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-20(2011-10月17日発)

〔1〕勝手なお願い

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9月28日、郵便配達員から、「年賀はがき120枚予約して」と云われたが、=うんにゃ、ことしゃ、からだん、調子もわいかし、よかこっもなかった。又、地震、津波、豪雨などで被害を受けた方々の窮地を考えると、心から〔おめでとう〕の言葉を云えない。だからことしゃ、〔年賀はがきとお歳暮はー切出さん、相手からも貰う気がしない=と応えた。そのため、私への「年賀とお歳暮」は、勝手ながら固<お断り致します。

〔2〕体験の修学旅行

去る9月22曰〔木〕快晴、ストレス解消のため自転車を漕いで、「川尻港」へ行った。すると、福岡県「大野城市立東中学校」2年生31名の生徒らが、鹿児島「南国交通」の大型観光バスで漁港ヘ来ていた。
添乗員によると、「バス5台に分乗しての修学旅行です。この31名は〔魚をさばく体験学習の組〕です。自分で〔さばいた刺身〕を昼食にここで食べる」という。漁協揚場では、川尻沖合で今朝取れたての大きな「ブリ」、「サバ」、「アジ」など、様々な魚を漁協関係者らが生徒らを前に、「まな板」の上でピチピチ跳ねる魚の解体をしていた。又、年配の婦人らは、「孫」のような子らを「もてなす」ため、「ネギ」や「豆腐」「野菜」などを切り込んで、昼食の「魚の煮炊き」の準備をしていた。
最近の修学旅行は、知覧の「特攻平和会館」を訪れて、「特攻隊員」が出撃前夜に「父母」や「妻」、「恋人」宛てに書いた遺書、遺影、遺品などの展示品を鑑賞しての「平和教育学習」や、又、「ふれあい公園」での「そば打ち体験」、山川では「かつお節」が出来るまでの、職場体験などが行われている。

〔3〕第10回、利永小学枝、校区合同大運動会

   平成23年〔2011〕9月25日
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「弟」から、「弁当を食べに来い」との誘いに、「カメラ」を提げて出掛けた。利永区民の運動会は、「小学校」とは、別の日に開催されていたが、少子化が進み、児童生徒数が激減したため、小学生だけでの運動会が出来なくなった。そのため、平成14年から「小学校」と「区民」が協力して、「合同運勣会」が行われるようになった。
又、10月2日〔日〕は、「利永小」を除いた「指宿市立、11の小学校」で、大運動会が同時に開催された。この日、「大成小」から招待されたので午前中だけ出席して、来賓席から250名による児童らの競技に大声援を送った。そして、小学1年生の100㍍「かけっこ」に飛び入りで参加して、疾走したが「ビリ」だった。これにはみんなが大爆笑。これも学校の活性化になる。

〔4〕10月1曰「大成小」下の交差点にて

去る9月17~19日までの3曰間、大阪で開催された「第57回全国総合男子ソフト大会」に、九州代表で試合に挑んだ「山川サザン、ソフトボールクラブ」の方に、「試合の経過」を尋ねると、「ちんがらっ、負けた」という。敗因は、「練習不足。上には上がおっど」だった。ご苦労様でした。

〔5〕桜島〔10月7曰記〕

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県民のシンボルである「桜島」は、10月6日の午前中だけで9回の爆発があり、直径50㌢以上の噴石が南東に3合目まで飛んだと10月7日付の「南日本新聞」は伝えている。又、9月には月間最多の141回。10月7日現在すでに744回の爆発をしている。そして、昨年
〔2010〕は、年間最多の896回爆発したそうだ。鹿児島県には、「長崎鼻」から47㌔沖合にある三島村の「硫黄島」、鹿児島市の「桜島」、霧島の「新燃岳」が、活発な火山活動をしている。これに誘発されて、「開聞岳」の爆発を心配するのは俺―人か?

〔6〕指宿三大祭りの一つ

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10月22~23日の2日間、第64回、「指宿温泉祭り」が、セントラルパーク〔元専売公社跡〕をメーン会場にして、様々な祭典が開催される。今回は日本三大盆踊りの一つに数えられる、岐阜県郡上ハ幡の「郡上おどり」も参加して、「指宿温泉祭り」を、盛り上げてくれるそうです。
(写真は第63回、指宿温泉祭りの「ハンヤ踊り」と花の女王)
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〔7〕脱、原発集会へ6万人集う〔10月8日記〕

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日にちは忘れたが、勤務先から帰宅してテレビを見ながら「ウトウト」していると、番組に出演していたコメンテーターが、「原発反対5万人集会へ6万人集まったと云うのに日本のテレビ、新聞はこれについて一言も触れてない。全国から「原発は危ない」との思いで集まった6万人の集会が、世間に知られると何か都合が悪いのか、なぜ脱原発を云っている国民の声をテレビ、新聞は報道しないのか不思議である」と発言していた。

数日後、9月25日付けの「赤旗日曜版」を見ると、ノーベル賞作家の「大江健三郎」、作家の「落合恵子」作家の「澤地久枝」らが呼ぴかけ人となって、「さようなら原発、5万人集会」を9月19日、明治公園で開いたら6万人が集うとあった。
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情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-19(2011-10月1日発)

〔1〕珍しい花の知らせ〔9月21日記〕

9月17日付の「南日本新聞」に中国雲南省原産の「チュウキンレン」という、初めて「目」にする、花の写真が掲載されていた。この珍しい花を皆様にもご紹介致します。

〔その1〕

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利永の「市山三年 54」さん宅では、平成21年6月に、苗を知人から分けてもらい、庭に植えたところ、鮮やかな黄色い苞〔ほう〕を広げ、まるでハスの花が開いたような華麗な花が直径30㌢まで広がっているという。妻のふさ子さんは、「黄色い花には幸せが訪れる」と、喜んでいる。又、「成長すれば、3㍍程の高さになる」そうだ。
         〔9月25日、利永の運動会場で〕
〔その2〕

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阿久根市大川の「川畑忠実63」さん宅では、3年前に知人からもらった苗が成長し、9月に「黄色の花」が咲き、珍しいと近所で話題になっているという。
中国産という情報を手掛かりに調べたところ、中国雲南省が原産で地面から湧き出たハスのように見えることから名付けられた、バショウ科の「チュウキンレン」と分かったという。

川畑さんの妻「チヅ子62」さんは、「興味のある方は、見に来てほい」と話しているそうだ〔写真と文は一部、南曰本新聞から引用しました。〕

〔2〕秋祭り〔9月21日記〕

9月17日午後6時30分、重度身体障害者施設「竹山苑」恒例の「秋祭り」があった。この日は、台風15号の影響で時々大雨の悪天候だったが、保護者や一般の方々が屋内の演芸会場に駆け付けて、入苑者らとー緒に祭りを楽しんだ。そして、職員らが手つくりの焼き鳥、焼きそば、カレー、おでん、かき氷などの販売コーナは、列が出来る程の盛況ぶりで、200円でビール、焼酎の飲み放題は、今年も大好評であった。
この施設には、「50名の入苑者を48名の職員が24時間体制で、365日休みなしで介護にあたっている」という。その入苑者の中には、美術展で入賞した方もいる。
又、全盲の俺の兄は、「全盲卓球大会」で数々の栄冠に輝いている。

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下記は兄、「和田英男72」の輝かしい入賞経歴です。
平成20年7月13日、第19回、鹿児島県視覚障害者、卓球大会。 2位
平成23年7月10日、第22回、     〃          3位

平成21年5月17日、第3回、鹿児島県障害者スポーツ大会、1位
平成22年5月10日、第4回、    〃         2位
平成23年5月15日、第5回、    〃         3位

7月10日、鹿児島県大会で準優勝した兄は、10月22~23日熊本で開催される、「九州大会」に出場する。

〔3〕開店4周年〔9月22日記〕

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平成19年9月28曰、指宿国立病院横並びに、売り場面積「指宿市郡-」を誇る、スーパーセンター「ニシムタ」が開店してから、この9月で4周年を迎えた。「ニシムタ」は、全ての商品を安価で販売しているため、達日大勢の買い物客で賑わっている。そして、指宿地域の経済活性化に貢献している。

〔4〕山川「いおかいどう」が「道の駅」に。〔9月25日記〕

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指宿市が旧国鉄バス山川営業所跡地に3億5400万円かけて、地元産の農水産物、加工品などを直売する「活お海道」を平成21年4月にオープンした。
今年6月「道の駅」の登録申請を国交省ヘ提出したところ、8月25日に許可された。それを祝して、9月17日に記念式典が行われた。
そして、9月23~25日まで様々なイベントが開催されて、大勢の買い物客で賑わった。 又、一時は閑古鳥が鳴いていた時期もあったがこの3月に、山川~根占間のフェリーが運航されてから、客足が徐々に伸びている。

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「道の駅」第一号
JR今和泉駅から1㌔先に、「彩花菜館さかなかん」がある。ここは、鹿児島方面から指宿観光に訪れる方々、又、観光を終えて鹿児島方面に帰る方々が、指宿の特産物を買い求めに立ち寄り、終日賑わっている。

〔5〕「さっかぶい」の出会い

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「ニシムタ」で買い物をしていると、「スナック」店を切り盛りしている美人の「ママ」と、約12年ぶりに出会った。「店の景気はいげんな」と尋ねると、「和田ちゃんが、のんけ、こんで、はずまんど」という。
昭和45年頃、この「ママ」が、「和田ちゃんのタクシーが繁盛するように」と「釜ふた神社」へ達れて行ってくれた。それ以来の古い知り合いである。
南九州市では、「釜ふた神社」を更に観光PRするため、雑誌記者らを招いて、ユ二-クな参拝体験をして貰ったという。「過疎の村」が今、活気づいている。

〔6〕絶賛の地〔9月26日記〕

 みなさんは、江戸時代に日本地図を作成した、「伊能忠敬、いのう、ただたか」という偉大な人物をご存知ですか。彼は幕府の許可を得て、伴の者と日本各地の海岸を測量してー周した際、頴娃の水成川海岸も訪れた。その「伊能忠敬」の石碑が、水成川海岸の「番所鼻公園」に建立されている。
石碑の周りを整備し、「伊能忠敬」を称える観光パンフレットを作ってPRをすれば人は来る。絶景の観光地が埋もれている。「釜ふた神社」はここから近い。

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写真の石碑には、「伊能忠敬先生、絶賛の地」内閣総理大臣「鳩山一郎」書。とある。

「伊能忠敬」は、開聞岳の頂上から紺碧の東シナ海へ延びる稜線の絶景に見とれて、思わず絶賛の言葉が出たのであろう。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-18(2011-9月20日発)

〔1〕入魂式〔9月2日記〕

9月1日「防災の日」。成川区では午後3時30分、大成グランドに「富永副市長=49歳」をはじめ、山川地区内の区長、成川地区17名の集落長、消防関係者、成川保育園の「園児消防団」ら総勢80数名を招いて、18年ぶりに「1800万円」で「森田ポンプ社」から購入した、「消防車」の入魂式を行った。

神主が祝詞を挙げてお祓いをしたのち、関係者らが玉ぐしを捧げて「区民の命と財産を守る」消防団員の安全と、新しい魂を吹き込まれた消防車の活躍を祈った。又、最新鋭の機能を備えた森田式の消防車は、「成龍号」と命名された。

そして、午後6からの区民センターでの祝賀会には、入魂式で交通整理に動員された我々も招待されて、約120名が祝杯の美酒に酔った。豪酒者らに二次会へ「いっど」と誘われたが、「うんにや、もうノックダウン」とお断りした。

〔2〕ニ学期のはじまり〔9月5日記〕

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又、指宿署管内で追突事故「N01」の烙印を押された「大成小」の交差点には、8月27日「山川高校」正門前から「大成小」の交差点までの道路の地面に大きな文宇で、「この先交差点あり」「追突注意」、又、西へ行く地面には、「この先交差点あり」と書かいて、運転者に注意を促している。

〔3〕9月6曰、慰労会〔9月7日記〕

夏休み期間中、大勢の来園者と宿泊客の賑わいで、「休園日」返上で営業を続けてきた「ふれあい公園」では、夏休みが終わって一段落した9月6日、48日 ぶりに「休園」して全員〔30名〕が休みになった。そのため、6日午後6時からー人「2000円」会費に25名が参加して、反省会を兼ねての慰労会を公園内で開いた。

4月に赴任した「係長」は、幹杯の音頭と挨拶の中で、=今年はログハウス、オートキヤンプ場、フリーキヤンプ場を利用した宿泊客からの苦情やトラブル、プールでの事故発生も無なかった。内心「ホッ」としている。そして、営業面では昨年を上回る収入があった。これも一重に皆様のご協力によって達成出来た賜物です。誠に有難うございました。
又、これから秋の行楽シーズンになります。一人でも多くの宿泊客を迎えて、今迄以上の増収を目指して営業努力を致しますので、みなさんのご協力を更にお願いします=と、感謝の言葉と明日から始まる仕事へのお願いをした。この係長は人当たりも柔らかく、一日中ニコニコしている。そのため、事務所の中は何時も笑い声が絶えず、みんなが和気あいあいと働いている。

〔4〕がんばれチャツ、チャー、チャチャチャー〔9月7日記〕

成川地域の20~35歳までの男性で結成する、「山川サザンソフトボールクラブ」のチームが、9月17~19日までの3日間、大阪で開催される「第57回、全国総合男子ソフトボール大会」に、九州代表で出場するこのチームのほとんどの方が高校時代に野球をしていた方で、甲子園で大活躍した方もいる。男性24名、女性のマネジャー1人計25名で試合に挑む。

〔5〕大運動会〔9月12日記〕

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二学期が始まって間もない9月10日〔土〕、山川高では第60回目の体育祭が、翌日の11日には指宿市立「5」の中学校で、一斉に運動会が開催され、「山川中」では、第37回目の運動会が行われた。又、「大成小」では10月2日に、「利永小」は9月25日に開催される。

〔6〕背筋も凍る話〔9月12日記〕

◆その1

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9月10日午後10時40分ごろ、「ふれあい公園」内を巡回していると、大阪ナンバーの車に乗った男女5名の若者らが、「幽霊の出るトンネルは何処ですか、幽霊の写真を撮りに行くのだけど、道順が分からない」という。

「開聞岳」の一周道路は約15 kmあるそうだ。「ふれあい公園」から、脇浦の「花瀬望比公園」経由で東シナ海の海原を右手に「川尻集落」の方へ行くと、その途中に長さ約500m程の、「狭くて細長~い」話題のトンネルがある。昼間でも暗くて狭いため、所々に離合場所がある。又、釣人の車が朝夕通るだけで、一般車はほとんど通らない。

そのためこのトンネル内は、「アベックの不倫場所」となっていた。処が、約35年前からトンネル内に、「白い着物を着た、女の幽霊が出現する」という噂が広まった。その後、更に幾人の者が、「幽霊を見た」という噂が拡大した。それ以降、不倫目的のアベックもこのトンネルヘ、寄り付かなくなった。このトンネルを抜けると、「岩崎産業」の「開聞自然公園」入ロの料金所の所に出る。

◆その2
「大成小」から「成川パイバス」を指宿国立病院の交差点へ行く途中に、長さ約800m、上下2車線の「トンネル」がある。その真ん中へんで「指宿市」と「山川町、成川」との境界になっている。この「成川」寄りに約20年前から時々、「白い着物を着た女の幽霊が出る」という噂が巷に広まった。

噂によると、=ある男性が、指宿の歓楽街で友人らと一杯飲み、夜中の一時ごろ「トンネル」を車で帰宅中、突然白い着物を着た女が目の前に現れた。あわててプレーキを踏んだが間に合わず、完全にひき殺したと思い、車を降りて辺りを見回したが誰もいなかった。怖くなって逃げ帰った=との事である。

その後、同じ場所で「女が現れて、ス~と消えたのを見た」とい人が何人も現れた。この噂を耳にした俺の友人は、3人の仲間と「幽霊」の写真撮りに行き、一晩中ソクソクしながらシャッターチャンスを待ったが、「ひろちやん、幽霊は出なかった」との電話があった。 15年前の事で今は幽霊話も一段落している。

〔7〕敬老会〔9月20日記〕

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成川区では、480名〔川前が220名、川後が260名〕の「お年寄り」に敬老会の案内状を送った。それに賛同した「お年寄り」を成川区民センターに招き、日本舞踊や婦人会らが踊りを披露して、「おもてなし」をした。広報「いぷすき」9月号によると、8月1日現在、市の基本台帳に記載されている90歳以上は「930人」、100歳以上は「47人」いるそうです。

去る8月10日、海の国道を航海するフェリーが本格再開してから、9月10日で一か月が経過した。先日、フェリー発着所へ出掛けて、「いげんなこっか~」と尋ねると、「夏休み期間中は、積み残す程の盛況だった。こん状態が続けぱよかどんね~」との事だった。フェリー「なんきゆう」が長く続きます様に祈る。
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情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-17(2011-9月8日発)

「唐いも」の上陸地

1,左の写真は、山川造船所から約300m先の山川街の入ロです。ここには「キリスト教」を布教した、「ザピエル」の「上陸の地」の票柱もある。
2.右の写真のカーブを曲がると、約100m先に山川造船所がある。 
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「さつまいも」発祥の地

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ここは徳光神社の裏側で、岡児が水集落民が「憩いの場」として、活用している公園である。屋根付の休憩所には、石のテーブルと椅子が、又、子供向けの遊具とトイレが設置されている。高齢者は仲間とここで「ゲートボール」を楽しんだり、孫を遊具で遊ぱせたりして日々をすごしている。
この記念碑は「さつまいも伝来300年祭」の記念に、平成17年〔2005〕11月5日に建立されたものです。

徳光神社〔別名、いも神社〕

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岡児ケ水出身の「前田利右衛門」は、山川港の豪商「河野覚兵衛」所有の貿易船で琉球へ渡って、「唐いも」を持ち帰り、出身地の徳光地区へ「唐いも」を栽培して広めた。 その功績を称え、「前田利右衛門」は「翁」の称号を与えられて、徳光神社へ祀っている。そのため、集落民総出で「りえもん祭り」を10月に開催している。神殿はこの奥にあり、神殿の裏側の道路下に公園がある。

生家と墓地

岡児ケ水にある「利右衛門」生誕の地、そのすぐ近くに「利右衛門」が眠る墓地がある。その「生誕の地」の票柱には、1707年〔宝永4年〕海難事故で没とある。又、墓石には「この墓石は享保4年〔1719年〕約270年前に建立されました。多くの人が調査研究に訪れますが、今残されているのはこの墓石だけです」とある。
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情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-17(2011-8月26日発)

〔1〕海の国道を航海する新造船〔8月19日記〕

なんきゅう

去る8月10日から山川~根占港間を約50分で結び、1日8便運航している新造船の「フェリーなんきゅう」です。去る8月13日、妻と恩師のお墓参りを済ませ山川桟橋へ立ち寄ると、軽車両や普通乗用車を17台、バイクを4台積み込んで午前10時15分ごろ、根占港
へ向けて出港するところであった。

大隅半島は薩摩半島の対岸に横たわり、手を伸ばせば届くような錯覚さえ生じる距離である。しかし、昔から陸の孤島と云われ、近くて遠い所である。だが「なんきゅう」の就航により、「佐多岬」集落への道程も近くなった。

〔2〕早や6年〔8月19日記〕

友人の妻が平成17年8月18日に、54歳の若さで死去してから早や6年が経過した。そのため去る18日「せみ時雨」の昼下がり、大山の浄土宗「大仙寺」住職が唱えるお経で、7回忌の供養が自宅で執り行われた。
この日の住職は、「お盆で忙しくてノドの使い過ぎ」なのか、お経を唱える声に張りがなく、少々お疲れの様子だった。住職に利永地区と大山地区の初盆の人数を尋ねると、「企業秘密」ではっきりとした応えはなかった。〔住職は、出水市米ノ津出身、昭和18年生れ〕

その後、在りし日の故人を偲ぴつつ、用意されたお料理をご馳走になりながらビールを飲み、すっかり酔い気分になっていると桃木店主が、「この焼酎は7000円、これは1万2000円だ」と言って、高価な焼酎を気前良く参席者に振る舞った。

〔3〕人の注意は聞くべし〔8月24日記〕

去る8月22日午前11時25分ごろ、成川本通りをバイクで山川へ向っていると、「めがねの・・・」と書いたワゴン車が俺の前をウロウロしながら走行していた。成川浜の三叉路交差点で青信号になると方向指示器も点けず、今度は交差点の真ん中で右往左往して、右方向へ曲がって今度はすぐ左へ曲がり、「タクシー」会社の前で止まった。余りにも危険な運転行為であったので運転手に、=後ろから来る車が危険だから、方向指示器を点けて曲がって下さい=と、丁寧な言葉で注意した。

するとこの運転手、「直進なのになぜ方向指示器を点けんなやっせんと」と、喧嘩腰の口調で抗議して来た。そのため、=ここん交差点は、どっちへ往くにも、方向指示器を点けて曲がるんだよ=と諭すと、更に声を荒げて抗議する。
=人は誰でも一度や2度の過ちはある、注意は素直に聞くべきだ=と云っても相手は納得しない。傍にいた男性が、「この方は交通安全の役員だよ。」というと、今までの高圧的な態度が急変して、「すみません」と平謝りであった。

「めがねの・・・」社の重役さん、社員の接客教育を徹底的に叩き込め。でないと、貴社の「めがね」は売れませんよ。〔貴社の名を全国に公表しましょうか。〕

〔4〕観光特急列車「指宿たまてばこ」

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今年の3月12日に新幹線が全面開通された際、鹿児島中央駅から指宿駅まで運行されることになった、観光特急列車「指宿たまてばこ」です。

指宿のホテルなどに布団カバーやシーツ、寝間着の浴衣などをレンタルしている業者の方によると、「新幹線が鹿児島まで開通されてから、岡山県や福岡県などからの観光客が大幅に増えて、=湯の街=指宿のホテルは満館状態が続いている。

又、指宿の砂むし温泉は一日約1500~2000人、山川の砂むし温泉は700~1000人の入浴客がいる。お蔭様でお盆も休みなしだ」という。ある大手のホテル関係者によると、宿泊客が増えて、部屋と人手が足りない」と、嬉しい悲鳴を上げていた。
今回の新幹線開通と指宿「玉手箱」列車の運行の経済効果は抜群である。
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〔上の写真は平成23年、広報「指宿」3月号の表紙に掲載されたものです〕
新幹線、「玉手箱」列車、山川駅から枕崎線に乗換えて「西大山駅」へ来た観光客は、写真のバスを利用すると、長崎鼻パーキングの入園や山川砂むし温泉の入浴が楽しめる。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-16(2011-8月17日発)

〔1〕成川地区の六月灯〔7月28日記〕

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夏の夜の風物詩となっている成川「南方神社」の「六月灯」が、7月27日午後7時から盛大に行われた。演芸会では「なでしこジャパン」の「福元美穂」選手の母「正子59歳」さんも、軽快なリズムにのりのりでフラダンスを踊り、舞台の上から「なでしこへの応援、ありがとう」のお礼を述べた。
○成川地区の世帯数、1、182。人口約2600数十人。〔成川区事務局より〕
写真は、神社へ集まる「地区民」と、小学低学年によるフラダンスは爆笑の連続だった。

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〔2〕歴史の歩み〔7月29日記〕

 多くの県民に豊富な情報を伝えている「南日本新聞社」が、創立130年を迎えたそうだ。7月29日付けの紙面によると、南日本新聞社の創設は明治14年〔1881〕。戦時下の新聞統制による一県一紙攻策で、「鹿児島朝日新聞」と「鹿児島新聞」が合併し、1942年〔昭和17年〕2月11日に「鹿児島日報」が発刊したのが第一号。
戦後の1946年〔昭和21年〕に「南日本新聞」と題字を改め、戦後の復興から高度成長、人口減少社会へと転換期の時代を「郷土紙」としてつぶさに報じてきた。そして7月29日に「2万5000号を発行した」とある。

〔3〕葬儀に参列して

敗戦後、復興期の「利永」で、昭和28年12月2日〔電話で確認〕に土建業の「市山組」を創設した故「市山岩男」氏、その陰で「市山組」を支えて来た妻の「アサエ」が7月31日に死去した。享年87歳の生涯であった。そして、8月2日の葬儀には、昭和時代の「混乱期」と「繁栄」の時代を乗り越えて来た故人の冥福を祈り、あの世への旅立ちを大勢の参席者が見送った。

この葬儀に参列していた男性が、「といながは人が減るぱっかいで、いげんかして人口を増やさんな、小学校も閉校になっど、」又、「わけしが結婚して〔といなが〕に住みたくても、〔といながむら〕は、閉鎖的なとこいがあっで、空家を貸してくれん、じやっで人が増えん」と嘆いていた。

〔4〕レスキュー隊の出動〔8月3日記〕

8月1日午後1時45分、「電灯」を持たずに「開聞岳」へ登山した男性が、暗闇の登山道を下山出来ず、午後21時45分レスキュー隊に付き添われて無事に下山した。これからの時期は日没が早く、登山道も暗くなるので遅くとも午前11時30分までに登山開始して、午後5時30分までに下山を終えないと事故につながる。

秀麗な「開聞岳」は見た目よりも険しい山で、初めて登山した方は「こんなにきつい山とは思わなかった、もう2度と登りたくない」と必ずいう。だから地元では「開聞岳」登山の事を、「いっども、のぼらんばか」とか「にども、のぼいばか」とか「さんども、のぼったばか」と云っている。

〔5〕高齢者講習のハガキ〔8月7日記〕

生まれっき馬鹿な俺は将来の生計の事を考えて、昭和35年〔1960〕19歳で運転免許証を取得した。そしてダンプ、ミキサー、タクシー、観光バスなどの会社を転々とわたり歩きながら、波乱万丈のハンドル人生を送ってきた。

時は過ぎて12月で70歳を迎えるにあたり、指宿署から「高齢者講習を受講せよ」のハガキが届いた。そのため、指宿中央自動車学校で様々な適正検査と運転技能検定など、3時間に及ぷ講習を受けたのち、「高齢者講習終了証明書」を頂いた。 担当の教官殿によると、70歳以上はこの「証明書」が無いと、「免許証」の更新が出来ないという。俺の「運転免許証」は、生活の必需品である。

〔6〕山川~根占航路に新造船就航〔8月11日記〕

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8月10日に就航した新造船の取材に行くと、フェリーは「136㌧」で山川~根占港間を約50分で結ぴ、1日4往復8便運航する。大型2台と乗用車6台、旅客95人同時積載が出来る。 運賃は中学生以上700円、乗用車3100円であるがお盆の14日~15日の2日間、山川港から乗船した車は500円の値引きをしてくれるそうだ。
 今回はプロの新聞記者の記事を紹介する。
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〔7〕そうめん夏祭り

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「そうめん流し」の全盛期には、一日の売り上げが「8百数十万円」あって、旧「開聞町」の「ドル箱」財政を潤っていたそうだ。だから「祭り」の際には、「五代夏子」「松原のぶえ」、「三沢あけみ」などの、超一流の芸人が出演していた。
その後、社会の景気が下降気味になり、指宿市と合併後は、三流芸人が出演するようになった。又、唐船峡「そうめん流し」は平成8年3月に、国土庁の「水の郷、百選」、平成20年6月には、環境省の「平成の名水百選」にも選ばれている。

〔8〕そして初盆

戦時中や戦後の混乱期と、昭和時代の繁栄に貢献して来た先人たちが逝去し、その初盆が今年も営まれた。巷の噂によると、成川地区が35軒、小川地区が20軒、大山地区が25軒、
浜児ケ水が10軒、岡児ケ水が25軒、利永地区が25人、川尻地区が35軒の初盆を迎えたそうだが、実際の人数は確認していない。
我が家ではお盆入りの13日から、山川街の山下墓地に眠る「恩師」の墓参りや、18軒の初盆宅を訪れて故人の冥福を祈ったが最近では、何処の地域でも慶弔などの簡素化を呼びかけているため、身内だけで初盆を行う家庭が多くなった。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-15(2011-7月28日発)

〔1〕108校、閉校ヘ

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7月17日付けの南日本新聞によると、鹿児島県内では少子化や過疎化で児童生徒数の急激な減少により、12自治体が公立小中学校を再編する計画や方針を立て、来年度から5年以内に108校が閉校の対象になっているという。
その内訳は小学校71、中学校37、公立校〔休校22校含む835校〕の約13%に当たると伝えている。

下記の表は平成23年7月現在の指宿地域内の小中学校の児童、生徒数である。
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〔2〕六月灯の復活〔7月18日記〕

長~く途絶えていた「利永集落」の「六月灯」が7月17日(日)、利永神社で盛大に行われた。弟から「演芸会は午後7時から」との知らせに、ビデオカメラを携えて神社へ駆け付けると、今までに集落の行事に参加した事もないような方々をはじめ、顔なじみの「集落民」が「演芸会」を楽しみに集まっていた。そして初の試みとして、「集落民」が各グループに分かれて夜店を開いた。

小学校の教職員とPTA役員らは小屋の軒下を借りて、子供相手に「ぼんぼん」釣りや「輸投げゲーム」、景品付の品物を販売。そして、校長先生は当たり券と品物を交換する係りだった。 又、婦人会は「集落民」から善意で頂いた「お皿セット」、「湯飲みセット」「ぬいぐるみ」など、様々な品物を人家の車庫の中で、超安価で販売していたが、これも早々と売り切れて、午後8時前には店を閉めていた。

境内ではドリンク100円、75本用意したビール100円は早々と売り切れ。150食分の「焼きそぱ」ワンパック200円には行列が出来た。主婦らの手作りケーキ1個100円、消防団の「かき氷」100円など大盛祝だった。

演芸会では、「西元行男」氏の愉快な司会ぶりに、「集落民」は笑い転げながら保育園児の遊戯や、小学生20人での合唱、踊り愛好者らの華麗な日本舞踊、腰を振り振りのフラダンスに、男性陣は目の色を変えて見入っていた。

又、カラオケでは、あの大人しくて無口な弟「政和」が、素晴らしい歌唱力で演歌を熱唱。会場からは「げっせん、じょっじやいこだ」との歓声が漏れていた。そして、金一封と大きな拍手に本人も満足していた。

今回は大多数の「集落民」が、「六月灯をせっくれ、よかった、よかった、又、来年が楽しみだ」と喜び、「六月灯」の継続を望んでいる方が多くいた。3年程前、「六月灯」が途絶えた噂によると、「お金を払って、演芸会場を造っていたが、人が集まらず赤字だから」との事で中止になったという。 その後、区長と「集落」の役員だけで「お祓いの神事」を執り行い、公民館で「いっぺ、まずっていた〔一杯、お神酒を飲んでいた〕」という。

そのため、昔から伝わる「文化の火を消すな」と、不満を漏らす者もいた。又、一度中止になった行事を復活させるには、大変な努力とみんなの協力がないとなかなか復活出来ないが、今回はみんなの「瞳」が活き活きと輝いていた。

〔3〕成川出身もいる「なでしこジャパン」〔7月19日記〕

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日本時間の7月18日、第6回女子サッカー、ワールドカップドイツ大会で、3-1で米国を破り初優勝した「なでしこジャパン」。今回は出場のチャンスはなかったがこのチームの中に、「成川出身」の「福元美穂27歳」選手も控えの「GK」として参加していた。

福元選手は平成20年8月に開催された「北京五輪」で、全試合に 「GK」で出場して活躍。その功績が認められて指宿市から「市民名誉賞」を授与されている。同賞は文化やスポーツの分野で輝かしい業績を残した個人、団体に贈られるもので、平成13年にはプロ野球ダイエーで活躍した、「田之上慶三郎」元投手も授与されている。 現在の福元選手は「岡山県体育協会の職員」で週5日、午前8時半から午後3時まで働き、午後4時から練習に励んでいるという。

福元選手の母は成川で父は頴娃の「みんぱい」元、力士の若島津と結婚した元、歌手の高田みづえとは同じ集落である。

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〔4〕プールの監視7月21日記〕

鹿児島県内の全ての学校が7月21日から「夏休み」に入った。その喜びを、 「やっと来た、みんな待ってた夏休み」と、川柳で表現した微笑ましい子どもの句が、南日本新聞の「南日柳壇」に掲載されていた。この句を一読した俺も、「夏休み期間は交差点での立哨がないから、疲れている身体をゆっくり休める」と、「夏休み」を待ち望んでいた。

処が、「大成小プールの監視員をせっくれ」との要請が来た。「でけんど~」とお断りすると、電話の相手は俺の心理を心得たもので、「和田さんしか、おらんとこい」という。そのため夏休み42日間のうち10日間、宮ケ浜の「指宿小」と「大成小」を掛け持ちでプールの監視員をする事になった。 又、早朝行われる地域の子供らのラジオ体操も見守るため貧乏暇なしで、老体に「ムチ」を打ちながら、日々の雑用をこなしている。

〔5〕体験学習〔7月26日記〕

指宿市立12の小学校5年生以上と、5つの中学校の2年生までと高校生ら児童生徒106人を募集して、夏休み恒例の「ふるさと探検隊」が「ふれあい公園」のオートキヤンプ場にテントを張り、7月22日から25日まで開催された。
主催は「指宿ふるさと探検隊」実行委員会、共催は指宿市教育会、PTA連合会、子供会育成連絡協議会、青年団連絡協議会、青少年育成推進員など。

頂いた資料によると、この主旨は「指宿市の優れた自然と観光資源などを巡り、ふるさとの良さを再発見するとともに、異年齢の青少年により野外で共同生活を行い、郷土を愛し思いやりを持った青少年を育み、次世代のリーダーを育成していくことを目的とする。」とある。

第一日目の22日は指宿市内の旧所、名所を巡って歴史の勉強、夜は開聞総合グランドで天体観測など。
23日は長崎鼻や竹山周辺の散策など。
24日は午前6時から「開聞岳登山」。夜は「キヤンプファイヤー」。
25日の午前10時30分に解団式が行われた。
子供らはこの3泊4の体験で得た感想文を書いて後日、全員提出する事になっているそうだ。子供らとスタツフら総勢120人のみなさんご苦労様でした。

〔6〕葬儀社の新設

4月から土地の整地や基礎工事を始めていた、「下仙田集落」の「東白動車」の後ろ側に、「みやび会館、開聞斎場」が完成した。この会社は「頴娃の大川」に本社がある「川平葬儀社」で、「頴娃の御領」にも斎場があり、地域住民からは「川平葬斎は誠意がある」とか「丁寧である」など評判が良く、頴娃地区では多くの住民が葬儀の際に利用して、冥土へ旅立つ故人を見送っている。そして開聞では既存の「ルミエール」、「あずま葬儀社」の他に、「みやび会館」の3社が葬儀を競う事になった。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-14(2011-7月20日発)

〔1〕お伊勢様神幸祭〔6月28日記〕

利永集落の「メンドン祭り」に似た「お伊勢様神幸祭」が6月4日、「川尻集落」で盛大に行われた。この祭りは古来より「川尻集落」へ伝わり、伝統行事になっているそうだ。
祭り当日は「川尻集落」の小高い所にある「お伊勢神社」でお祓いの神事をした後、笛、太鼓、のぽりを先頭にお伊勢様の神輿を4名の男性が担いで集落をー周する。

その際に住民はお賽銭を挙げて神輿の下をくぐり、一年間の「無病息災」を析願する。
そして面を被り6尺棒を持った「猿田彦」役の者が、子供たちを追いかける、鬼の出現に驚いて逃げ回る子供たちの歓声が、過疎の集落にこだましていた。

〔2〕教育講演会〔6月29日記〕

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力士なみの巨漢な体格で連日、指宿の隅々まで取材に駆け回り、県民に情報を伝えている南日本新聞、指宿支局長「永野雄一」記者は去る6月8日、大成小の5、6年生の児童80人と約60人の保護者らにもっと指宿のよさを知ってほしい」のと、2011年度から「新学習指導要領で多くの教材に新聞が使われる」事から、講演を行った。

講演では、「取材で印象に残っている事やその体験談、新聞記者の仕事内容。などを詳細に紹介した。又、「指宿は観光、農業、港町、開聞岳など自然豊かな顔を持つ、大変珍しい地域である。将来は地域を活性化する仕事に就いて、指宿という故郷を大事にして下さい。」と、新聞を広げての熱弁に、将来を担う児童らは「感動」の眼差しで聞き入っていた。

〔3〕夢とロマンの広がり〔7月1日記〕

小学時の授業中に先生から教わった山狩りがすきな「山幸彦」と、海釣りがすきな「海幸彦」の兄弟の話を思い出し、2人に関する資料を探していると、この「山幸彦」が「浦島太郎」であることが分かった。又、先生から教わった事と、「浦島太郎」伝説を皆様へ紹介する。

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山狩りのうまい「山幸彦」はある日、兄「海幸彦」の大切な釣り道具を借りて、海へ釣りに出かけた。しかし、魚は一匹も釣れず、おまけに兄の大切な釣り針を魚にとられて無くした。家に帰ると兄「海幸彦」は怒り、釣り針を探して来い」と弟の「山幸彦」を叱る。「山幸彦」は仕方なく海へ釣り針を探しに行くが見当たらず、途方に暮れていると「神様」が現れて、「この小舟に乗り、潮の流れにまかせて行けば、やがて釣り針は見つかる」と告げられる。

「山幸彦=浦島太郎」は「神様の云うとおり小舟に乗って沖ヘでると、やがて「竜宮城、=琉球城」へ着く。竜宮城では日夜歓待を受け「乙姫様」と出会う。
その後、「乙姫様」と結ぱれて時の過ぎるのも忘れ、3年間が過ぎたある日、「山幸彦」は釣り針を探しに来た事を思い出し、身ごもっていた「乙姫様」と「宝物=玉手箱」、「千年酒」を持ち、竜宮城を出て長崎鼻へ帰ることになった。

そして、2人は「鵜」が生息する竜宮門と云われる奇怪な、竹山の無瀬梅岸の「股ごし」に上睦し、「乙姫様」はここで子供を出産する。「乙姫様」が出産した子の名は、「鵜茅不合命、うがやふきあえずのみこと」で、日本初代の天皇と云われる、「神武天皇」の父であるそうだ。「神武天皇」は日向の国より出征、海を渡り東征し大和を平定したという。

「股ごし」で出産した後、「乙姫様」と「浦島太郎」は「竜宮城」から持ち帰った「千年酒」と「宝物」を、開聞の「枚聞神社」へ奉納する道中で、古酒の入った「かめ」を1個落として割ってしまった。これが「かめ割り坂」と現在も云われる所以であるそうだ。その後、「浦島太郎」と「乙姫様」は開聞の「婿入り谷」に住居を構えたそうだ。又、「乙姫様」は「豊玉姫」であるとも伝えられている。

〔4〕信じる者は救われる〔7月8日記〕

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頭の上に「釜のふた」を乗せて様々な願い事を「神様」に析願する、この奇怪な参拝行為が伝わり、3年程前から指宿や知覧などを巡る観光客が通りがけに車や大型バスで訪れる様になり、新しい名所になっているそうだ。

この「釜蓋神社かまふた」は山川高校から西へ30数㌔、車で約40分先の「頴娃町別府」海岸に海へせり出すように、こじんまりと建てられている。俺がタクシー乗務員の時、訪れた際には神社周辺にはお店や自販機もなく、参拝者を迎えてくれるのは、心地よい波の音と潮の香りだけだった。又、その当時の参拝者は、指宿、枕崎、加世田周辺の飲食店や歓楽街のママさんらが月に一度お参りに来て、ユニークな格好で「商売繁盛」を祈願していた。そして、神社そのものの存在すら、世間には知られていなかった。

「別府地区」では村の活性化と観光客受け入れの試みとして、地元農家らが収穫した新鮮な野菜、魚の干物など様々な物を持ち寄り、7月3日に初の朝市を開いた。すると、近郷の方や観光客らが訪れて瞬く間に完売したという。当日、参拝へ出掛けた妻と娘によると、「有名なスポーツ選手や芸能人ら訪れて、参拝した証が多く残されている」そうだ。

写真は7月3日、初めて開かれた朝市と、奥が「釜蓋神社」
        市は毎週日曙に開かれる

〔5〕デジタル放送まで後、00日〔7月8日記〕

7月3日午後6時、妻と指宿の家電量販店へ出掛けた。「テレビコーナー」ではデジタル放送対応のテレビを買い求める客でごった返し、店員は汗だくで接客に追われていた。
俺の隣にいた老夫婦によると、「おいげんテレビはいげんじゃなかて、どこんテレビ放送も対応を急げ、急げっいって、せかせている。はよいえば、あたらしっかテレビを買え、といわれているのと同じで、納得できん、勿体ない。」と、周りの方に不満をぶちあげていた。

ある廃品回収業者によると、ここへ持ち込んで来るテレビは、まだ綺麗に映る物ばかりで、資源のない日本は勿体ない事をするものだ。我々はこれを中国やフイリツピンの業者へ送る。あちらではこのテレビの「ブラウン管」に、あちら用の部品を取り付けて、その国のテレビ放送が映るように、新品同様に仕上げて販売するのだという。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-13(2011-7月1日発)

〔1〕事故多発地点〔6月16日記〕

6月15日、交通事故多発区間、特別対策合同現場検証の会に出席した成川区長によると、「大成小」の交差点と約400㍍先の「うなぎ温泉」入口交差点とその区間で、3年間に22件の事故があった。その内の17件が追突、出会い頭の衝突が4件、その他1件が発生しており、指宿署管内では一番の事故多発区間であるとの報告があったという。事故防止の対策として、現在50㌔速度を40㌔に減速し、ミラーの設置などが検討されたそうだ。

指摘された「大成小」交差点の国道脇には「花壇」がある。その「花壇」があるため「大成小」への進入路が複雑で、車の出入りがとても難しい所である。そのため、昨年の6月28日市役所の建設牒へ出向いて、「重大事故が発生しないうちに花壇を取り払って、道路の改良工事を早急にして下さい」とお願いをして来た。〔昨年は俺が立哨している日の前で、2件の追突事故があった。〕

俺からのお願いが関係者らに通じたのか、去る4月30日午後5時ごろ、市役所、指宿署、国道事務所、大成小校長、成川区長ら総勢10人が現場を見に訪れて、「うんだ~、こら~あんなかとこいじや~、はよ、いげんかせんならね~」との話があったという。又、6月15日の現場検証の際に成川区長は、「道路改良を早くして下さい」と、改めてお願いしたという。又、「うなぎ温泉」入口の交差点は、利永、大山からの旧国道と開聞、川尻、徳光からの小川パイバスと、「うなぎ温泉」からの車が合流するため、ここも複雑な交差点である。そのため、朝の出勤帯と夕方、家路を急ぐ車で渋滞している。

〔2〕新名所となるか

山川「火葬場」下の農道を約700㍍先に「かめわり坂」という穏やかな坂とカーブになっている所がある。「和田邸」から竹山に向って約1、5㌔地点である。この場所が今年〔2011〕3月号の広報「いぶすき」で紹介されてから、「かめわり坂」と小さな文宇で書かれた看板が、最近立てられている。

個人の善意で立てられたのか、見落としてしまう程の小さな立て看板である。広報3月号によると、昭和39年6月に発刊された「佐々木忠」氏の著書「山川町の観光と伝説」のなかで、「竜宮城」とは「琉球城」のことであり、沖縄である、と掲載されている。

そして浦島太郎は「琉球城」で「乙姫」と出会い、やがて結ばれ3年間過ごす。その後、浦島太郎は琉球から身ごもった「乙姫」を連れ、玉手箱〔化粧箱〕と琉球の千年古酒を入れた2個の「大甕、おおがめ」とともに長崎鼻を目指す。やがて2人がたどり着いた場所は、竹山の「無瀬の浜」の海岸。この沖合いにある「竜宮門」と云われる奇形の島「股川州、またごし」で乙姫は子供を生む。
伝説には、浦島太郎と「乙姫」が枚開神社に向う途中、山川郷の坂道で「がめ」1個を落として割ってしまったことから、この坂を「甕破坂、亀割坂」と、名付けたという説があり、今でもこの坂を「かめわり坂」と呼んでいる。

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左は、竹山の「無瀬の浜」海岸と沖合いにある「またごし」、「乙姫」様が子供
を生んだと伝えられている。右は、「浦島太郎」と「乙姫」様が竜宮から持ち帰った「千年酒」を、開聞の「枚聞神社」へ献納する途中で「かめ」を落として割った所。

〔3〕嬉しい知らせ

今年一番の蒸し暑い日を迎えた6月22日〔水〕、「疲れた身体を癒すため「ごろ寝」していると、岡児ケ水の知人から「龍宮神社が完成したぞ~、6月26日〔日〕が落成式だっで、そんひは、ながさっばなへ、こんか」との電話を頂いた。
この龍宮神社は「浦島太郎」と「乙姫様」が出会った「縁結び」の「神様」と伝えられ、家内安全、商売繁盛、船舶の航海安全の守り神として、多くの人が参拝に訪れている。落成式に訪れると、「徳光地区」の方々が多く出席していた。詳しい情報は6月28日付けの新聞を切り抜き致しました。

~~~~~南日本新聞2011年6月28日紙面より~~~~~

龍宮神社に完成した新しい拝殿を祝う関係者ら

指宿のパワースポットに
龍宮神社の新拝殿完成
指宿市山川の長崎鼻にある龍宮神社に整備を進めていた新しい拝殿が完成し26日、現地で落成式があった。竜宮城をイメージした建物で、住民らは「数多くの観光害、参拝客が訪れるパワースポット的な場所になれぱ」と期侍している。
竜宮伝説が伝わる同神社の新しい拝殿は、地元の山川岡児ケ水区が区費から約900万円を調達、4月から地元大工らの手で組み立ててきた。木造一部    龍宮神社に完成した新しい拝殿を祝う関係者ら
モルタルで高さ6.5㍍。ゲート状の土台に朱色の
上屋が乗っており屋根は銅板製。
落成式には市、商工団体、観光関係者、地元住民ら約70人が出席して神事を行い、完成を祝った。式典後、豊留悦男市長は「拝殿の完成は指宿の観光にとって追い風になる。指宿に元気をもたらす夢のある場所になってほしい」と期待を寄せた。
同区では老朽化した本殿も改修を予定しており実行委員会を立ち上げ、区民らに寄付を募っている。宮田力人区長は「今年いっぱい募り、集まった金額次第で全面改修するか一部改修するか決めたい」と話している。
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〔4〕農機具での事故死

 6月28日〔火〕午後1時ごろ、「和田邸」近くの畑でトラクターを運転して農作業をしていた成川の男性87歳が、2、5詔下の隣の畑へ転落した。そして、横転したトラクターの下敷きになって、死亡しているところを家族に発見された。指宿市では、梅雨期の大雨で土手などの地盤が緩んでいるため、「農作業中は充分気を付けて下さい」と、注意を呼びかけていた矢先の事故であった。

〔5〕6月灯

6月27日〔月〕梅雨明けの宣言が発表されて、いよいよ「六月灯」の季節を迎えた。
利永神社7月17日〔日〕、枚聞神社7月18日〔月〕、成川神社7月27日〔水〕徳光神社7月28日〔木〕、その間に、大山地区、小川地区の「六月灯」もある。そのため、各地域の婦人会員の方々は、「六月灯」で地域住民へ披露する踊りの練習に励んでいる。処が若いお母さん方が婦人会へ加入せず、何処の地域でも「祭りや行事が出来なくなる」と、各区長や集落長は危機感を募らせている。

この「六月灯」がはじまったのは、江戸時代のはじめだと云われている。その言い伝えによると、「6月になると梅雨期の長雨で、人や家畜の病気や田畑の害虫が発生しやすい、そのため、悪疫を火で追い払う民衆の行事が始まりだ」そうだ。又、「六月灯」が7月に行われるのは、明治時代のはじめまで日本は「太陰暦」の暦を使っていたが、その後、諸外国に合わせて「太陽暦」に変えた。そのため、「太陰暦」と「太陽暦」の誤差を調整するため、「暦」が一ケ月程ずれた、そして、旧暦の6月にあたる7月に、「六月灯」は行われている。帰省の機会があれば、江戸時代から続く故郷の伝統行事に、皆様もぜひ参加して楽しんで下さい。

南薩地方の六月灯・夏祭り情報
7月
25日 近戸神社六月灯(南さつま市加世田内山田)
    揖宿神社六月灯(指宿市東方)
    菅原神社例祭(指宿市山川福元)
27日 南方神社六月灯(指宿市山川成川)
28日 徳光神社六月灯(指宿市山川岡児ケ水)
    南方神社六月灯(枕崎市鹿篭麓町)
29日 妙見神社六月灯(枕崎市寿町)
    立神神社六月灯(枕崎市塩屋北町)
30日 知覧育成園夏祭り(南九州市知覧町郡)
    大山神社六月灯(指宿市山川大山)
    星ふる岬の夏祭り(南さつま市笠沙町片浦の笠沙恵比寿)
31日 国際サンドアートフェスティバル2011(日置市東市来町伊作田)
8月
4日  南方神社六月灯(南九州市頴娃町上別府)
5日  七夕まつり(南さつま市加世田本町通り商店街、7日まで)
6日  さつま黒潮きばらん海枕崎港まつり(枕崎市枕崎漁港周辺、7日も)
    川辺みどり園夏まつり(南九州市川辺町清水)
8日  新川水神祭り(南さつま市加世田高橋)
10日 玖●(●はおうへんに玉)神社六月灯(指宿市池田)
12日 開聞そうめん夏祭り(指宿市かいもん山麓ふれあい公園)

〔6〕どっか、しごっがなかげ~、

 6月5日午後5時、疲れた身体を「浜児ケ水」区営の温泉に浸かり、ゆったりしていると「顔」見知りの大工職人が来た。「お~、早々とよか身分じゃね~」とからかうと、「あにょ、どっか、しごっがなかげ~」という。「どったの」と尋ねると、「いま仕事がなくて失業中だ、又、仕事があっても今まで1万3000円の日当が1万円に減額された。そのため、「ばんじょがねの大工職を諦めて、農業に打ち込んでいる者も多くいる、」という。ある塗装職の親方によると、「和田さん、請負仕事でなく、日当1万3000円でいいから、車庫の屋根と壁に塗装をさせてくれ」と懇願されている。又、大手の建設会社も仕事がなく、従業員は失業保険の受給中だという。

情報を発信する 故郷ニュース N0,2011-12(2011-6月10日発)

〔1〕犯人逮捕

去る4月30日午前4時前、鹿児島市の路上で、勤務先の病院へ出勤中の調理師、女性(49歳)が何者かによってライフル銃で殺害された事件は、交際相手の行政書士、男性(65歳)を5月25日に逮捕した。殺害の動機は、交際をめぐるトラブルが原因だったという。

又、5月2日に指宿市でアパート経営者の老夫婦が刃物で殺害された事件の犯人は、老夫婦が経営するアパートの借家人で無職男性(44歳)だった。殺害の動機は、1ヶ月3万円の家賃を4ヶ月間滞納していたのを、老夫婦に家賃の催促と部屋の退去を求められたのが原因だったという。
最近では都会と田舎の区別もなく、簡単に殺人事件が発生している。

〔2〕スクールガードの研修会

去る5月15日(日)午前9時から、知覧特攻隊基地隣の体育館で、平成23年度南薩地区「スクールガード」の研修会が開かれた。主催したのは「県教育委員会と市町村教育委員会」で、指宿市、山川、開聞、頴娃、枕崎、加世田、川辺、知覧地区から約180数人の「スクールガード」が参加して、講演と実技が行われた。〔大成校区から2人〕

県教育庁保健体育課長、「鵜木親志」によると、スクールガードとは、「近年子供たちが犯罪に巻き込まれる事件の増加を受け、学校と連携して子供の安全を確保し、安心して学習できる環境を守るため、各学校区を中心に組織された学校安全ボランティアである。又、県教育委員会では、平成18年から県内すべての小学校にスクールガードの祖織を依頼し、多くの方々にご協力を頂いている」との事である。

そして子供たちの防犯の合言葉として、いかない、らない、おごえを出す、ぐ逃げる、らせるなど、「いかのおすし」を広めようとの講演があった。この「いかのおすし」は、児童が防犯に巻き込まれるのを防ごうと、平成16年〔2004〕に東京都教育庁と警視庁が作った防犯標語が全国へ広まり、県内でも警察署や各学校などが啓発しているという。

講演の後、暴漢から児童や自分の身を護るため、2人ずつ組んで護身術の実技が行われた。指導したのは「ALSOK」のプロの警備員4名が、我々に護身術の技を伝授した。そして、研修を終えて帰る際にはみんなが受講証を貰い、意気洋々と胸を張って会場を後にした。

〔3〕地熱発電所 5月13日(金)

山川地熱発電所

和田邸から南側の竹山に向って約2㎞の所に、2千m程の地下から勢いよく吹き上げる蒸気で、動力タービンを回して電気を興す九州電力の「地熱発電所」へ、午前11時頃、取材に出掛けた。

受付の3人の美女に「故郷ニュース」の名刺を渡して、取材に来た事を告げると、今まで、にこやかな顔から一瞬に血の気がなくなり、緊張した顔付で「指宿支店の広報係りの許可を得て下さい」という。

3人の美女らによると、この施設が稼動を始めたのは「平成7年〔1995〕3月からで今年で16年目。 25人がこの施設で働いている」という。又、この様な地熱発電所は全国に19ケ所、九州に10ケ所あるそうだ。

地熱発電所のパンフレットによると、〔原文を抜粋〕

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★発電出力は3万kw。一軒の家庭で平均3kwの電気を使うとすれば、1万戸分をまかなう事が出来る。年間の発電電力量は約2億3700万kw時で、ほぼ5万4千kℓ(ドラム缶の27万本分)の石油が節約できる。

★ボウリングの深さは、浅い所で1800m、最も深い所で2100mあり、12本の蒸気井がある

★ほとんどの地熱発電所は山の中にあり、大分県九重町の「八丁原」発電所は標高1100mの高地にあるが、この山川発電所は海抜43mの低地にあり、全国でも珍しいものである。

★蒸気の使用量は各蒸気井から出る蒸気は、地下の状態、深度で違うが発電所全体では一時間に225㌧使用している。・・・・・・以上です。

「地熱発電」は人体にも害を与えないし、地下に埋もれた無限の温泉熱のエネルギーを活用して、安全安心の稼動を続けている。今後の発電に使うエネルギーは、危険な原発よりも地熱発電が最も適しているし、重要されるべきである。

山川地熱発電所付近は畑地帯であるが、昔から温泉が噴出していた。そのため約10戸数の営農者らがビニールハウスの中へ温泉熱を取り入れて、「観葉櫨物」や「コチョウラン」、「マンゴウ」などを栽培して出荷している。

又、この日は午後2時から「指宿中央公民館」で、指宿交通安全協会の総会があり、指宿、山川、開聞支部の評議員約80数名が出席して、平成22年度の会計と活動経過が報告された後、23年度の予算、活動方針が活発に議論された。

この総会で「妻」みつ子は、35年間の「無事故無違反」の実績が認められて、「鹿児島県警察本部長」と「鹿児島県交通安全協会長」連盟の表彰状と記念品が贈呈された。そして今回は俺も、永年の「無事故、無違反」と毎朝、昼、交差点での立哨が指宿交通安全協会に評価されて、「指宿警察署長」と「指宿交通安全協会長」連盟の表彰状と記念品を頂いた。(表彰される事は、当日の会場入ロで初めて知らされた。)
捨てる神あれば拾う神あり、誠意を尽くして動けば、誰かが必ず見ている。その結果は後から付いてくる、俺は人に支えられて生きている事に感謝している。

〔4〕山川みなと祭り

山川みなと祭り

昨年は家畜の伝染病「口蹄疫」の侵入を防ぐため、やむなく中止に追い込まれた指宿市三大祭りの一つである「第78回、山川みなと祭り」が、6月5日(日)午前8時から午後5時まで、山川港の水揚げ場周辺で盛大に開催された。

漁船団が大魚旗をなびかせて港の湾内をパレードする行事は雨のため中止になったが、神輿や山車、踊り連が参加するパレードは、山川港の水揚げ場の長さ200m、幅40mの場内で行われた。正午からの演芸会では大勢の観客が見守るなか、利永小の児童らは伝承芸能の「琉球傘踊り」を又、山川小の児童らは伝承芸能の「棒踊り」を披露した。そして「いけす」のなかでは子ども達が雨と水しぶきにびしょ濡れで、魚の掴み取りも行われて賑わった。
又、外港では海上自衛隊のミサイル艦、「しらたか」200tの一般公開もあった。
 そして、前夜祭の4日午後8時からは、約3000発の花火も打ち上げられた。

しらたか
  海上自衛隊のミサイル艦、「しらたか」

[check]さらば「指宿かもめ会」

[check]記者の目「新生指宿」

情報を発信する 故郷ニュース N0 2011-11(2011年5月25日発) 

〔1〕特集、特攻隊

太平洋戦争末期の沖縄戦で、片道燃料と戦闘機に爆弾を抱えて機体もろとも敵の艦船へ体当たりして、「1036人」が亡くなった陸軍知覧航空基地跡では、特攻隊員の冥福を析り恒久平和を誓う慰霊祭が、5月3日に行なわれている。

今回で「57回目」を迎えた慰霊祭に午前中行って来た。我が家から頴娃町青戸集落を通り浮辺集落の信号機を右折れ経由で、約35 kmの道程で45分掛かる。当日は雨降る悪天候のなか、全国から遺族の方や特攻隊の生存者と関係者など約1、000人位の方々が参席していた。

画像の説明

主催代表の「霜出勘平」南九州市長は挨拶の中で、「特攻隊員の心情を思うと、世界平和のため人類が一丸となって努力しなければならないと固く信じる」と追悼の言葉を述べた。又、宇都宮市から参席した「高橋義裕67」は遺族を代表して、「私たち遺族は尊い犠牲があった事を忘れる事なく、平和や命の絆の大切さを語り継いでいく」と挨拶した。

5月4日付けの南日本新聞によると、遺族代表で挨拶した「高橋義裕」氏の父親は、昭和20年〔1945〕4月12日、知覧飛行場から出撃し28歳で戦死した第80振武隊の「高橋 弘」中尉で、「義裕」氏はその長男であると伝えている。

この特攻基地跡の敷地には、日展審査員「伊藤五百亀」氏が製作した、特攻銅像」が建立されている。特攻隊員が出撃する姿の「銅像」には、2m30cmの台座に「とこしえに」と書かれ、台座の上にある「胴像」の高さは2m70cmある。

銅像の右手は永遠の平和を、左手の「こぶし」は固い決意を表し、又、開聞岳を仰ぐ眼は、生もなく、死もなく、すでに我もない隊員の仏心をあらわしているという。そしてここを訪れる全ての観光客は、この「特攻銅像」をバックにして記念撮影を行なっている。
又、ここには戦時中の物が幾つか遺されているので2つ紹介する。

○大刀洗陸軍飛行学校、知覧教育隊の門柱

この門柱は昭和16年12月、この地に開校された大刀洗陸軍飛行学校、知覧分教場〔のちに教育隊となった〕の正門です。終戦後昭和26年、旧知覧中学校の正門として使用されていたが昭和50年、統合により閉校になったのでここに移設復元したものです。

○第40教育飛行隊の門柱と、西部第123部隊の由来

昭和19年、知覧に第40教育飛行隊があり、7月から年末まで学徒出身の特別操縦見習士官、第2期生136名の操縦教育が実施された。その後、部隊も見習仕官も移動した。

それから半年の後、再び知覧に降り立った同隊の第2期生及び教官を含む47名がいるが、全員が振武隊となり思い出の飛行場から一路沖縄に出撃した。なお、第40教育飛行隊は菊池、各務原と移り陸航士第58期生86名、特別操縦見習士官第2期生50名、及び第3期生61名の教育をつづけて終結した。
               第40教飛会、知覧特攻顕彰会、特操2期生。

○「隼」戦闘機の展示

平成19年5月12日、石原慎太郎〔都知事〕氏が総指揮、監督で「俺は君のためにこそ死に行く」の映画で、撮影に使用された「隼」戦闘機の実物大の模型が展示されている。精巧に製作されているので、本物そっくりである。
案内によると、「陸軍の主力戦闘機として活躍した一式戦闘機[隼]は、知覧基地から120機が飛び立っている」とある。
      一式戦闘機[隼]

〔2〕2人の特攻隊員との出会い

昭和34年11月、俺は名古屋の運送会社へ入社した。その年の12月20日の夜、荷物を満載したトラックの助手で急遽、東京へ行く事になった。そして深夜の国道一号線を東京へと走行中、眠気さましに37~8歳位の運転手から、俺の「年齢と出身地」を聞かれた。

「今日が18歳の誕生日で、鹿児島県山川町の山村です」と応えると、「その健康な身体と18歳の年齢でお国のために、一週間以内に死ねと命令されたらハイと云えるか」と問われた。一瞬、「ギョツ」として返事をためらっていると、「俺がその年代のころは、特攻隊員だった」という。

それから5日程過ぎたころ、「話ばかりでは信用しないだろう」と飛行服を身にまとい、軍刀を手にした写真を俺に見せた。
詳細は又の機会に述べるが、俺はこの方のお供をして東京、大阪、北陸方面へ行く機会が多くなったお陰で、大型2種の免許まで取得できたのである。

その後、昭和38年4月、今度は生コン輸送会社へ転職した。その会社にはミキサー車が65台、運転手が70人いた。そのなかで、40才を少し過ぎた方と親しくなった。「たまには遊びに来い」と誘われていたので、休日に同僚らと「一の宮市」の自宅を訪れると、広~い屋敷の中に和風造りの豪邸があった。そして客間には飛行服姿の青年が、戦闘機をバックにした写真が飾ってあった。

本人に詳細を尋ねると、戦時中の俺は特攻隊員だった。後一週間、終戦が遅れていたら、俺はこの世に存在していなかっただろうという。彼の家は代々からの大地主で、地域では富豪家として有名な家柄であった。その後、生コンを定年退職した彼は、「一の宮市」の市会議員になった。

その傍ら、土地成金ブームに興じて8階建てのマンションを8棟建てて、その経営者になった。そして、高級外車「ペンツ」を乗り回す程の裕福な生活を送るなか、78歳と80歳の時、知覧の特攻基地跡を訪れて、英霊が眠る平和観音像に手を合わせて冥福を祈った。

俺が20歳前後に2つの職場で出会った2人の元、特攻隊員によると、特攻隊員に選ばれる運命とも知らず、お国のためにと「起床から寝るまで毎日、操縦の勉学と厳しい訓練に励ましあい、助け合って耐えてきた。そして一人前の操縦士になると、各部隊へ配属されて、命令―つで特攻隊員に選ばれた。

又、隊内では10人一組で常に連帯責任であった。そのため一人の失敗はみんなの責任だった。だから仲間を裏切るような事は、絶対に許されなかった。

そして、一度は捨てた命が敗戦で救われた。そのため、特攻隊で生死を共にし、紙一重で生き残った我々は、友情の絆で結ばれている。又、学業半端で軍隊に召集された俺たちの人生は、戦争で狂わされた。だから「2度と戦争をしてはならない」と、戦争の悲惨さを常々述べていた。

「一の宮」から指宿へ来た際に、「旅客機の操縦は難しいのか」と尋ねると、現在の飛行機は計器類が沢山付いて、安全に作られている。だから若いうちなら少し練習すれば乗れた。

昭和25年に警察予備隊が創設された際、特攻隊員らはまだ若かったので、航空隊や民間の航空会社などから誘いがあり、それに応じた者もいた。 例えば、日本赤軍の連中が日本航空の「ボーング727型機」をハイジャックして、北朝鮮の真っ暗闇の滑走路に着陸して航空関係者を「あっ」と驚かした「よど号」の機長は、特攻隊員の一人だった。

なぜ真っ暗闇の飛行場に着陸出来たかと言えば、特攻隊員は日頃からどんな事態に陥っても、すぐ離陸、着陸が出来るように夜間の訓練をしていたから、真っ暗闇でも、着陸が出来たのだと強調した。

もうこの世には存在しないが生前の2人は、「一度は捨てた命だから、どんな事態が生じても怖いものはない」といい、度胸もあり正義感に燃えていた。だから職場の同僚からも信頼されていたし、2人とも存在感のある方だった。その2人から俺は、「人を信頼する事と友情の絆」の重みを教わった。

又、沖縄海域を北上してくるアメリカ艦隊へ、特別攻撃を作戦会議で強行に主張したのは、海軍で「特攻の父」と呼ぱれていた「大西瀧治郎」という人物だったという。そのため、昭和20年4月1日から特攻隊が始まったと云われている。
そして指宿、知覧、加世田、鹿屋、串良、出水などの基地から大勢の若者が飛び立って往き、二度と帰らぬ人となった。
「大西瀧治郎」は終戦の翌日、特攻隊員への謝罪を遺し、割腹して果てたそうだ。

今回は「ニュース」でなく俺の自叙伝になったが、これは全て実話である。
又、パソコンの調子が悪く、今回は遅くなりました。次回もお楽しみに。

情報を発信する、故郷ニュース  N0、2011-10 (2011年5月10日発)

                         

〔1〕特集、長崎鼻を訪ねて

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去る4月29日〔金〕9時00分、長崎鼻海岸の岩場に、「人面相の岩がある」と云う噂にカメラを携え、自転車を漕いで出掛けた。

さっかぶいに訪れると「龍宮神社」の拝殿は壊され、徳光の方が7人で基礎工事をしていた。その中の知人に、「どったの」と尋ねると、「岩崎産業の社長が建てっくれた神社〔昭和31年、1956年〕は、ふるなって、あんなかったで壊した。こんどは竜宮城をイメージした、あたらしっか拝殿をつくっご「宮田力人」区長が800万円くれたで、6月に完成すっど」という。

又、「本殿もボロボロだっで、今、建て替えか修復するかを検討中じゃっとごい、ワイが売った本〔今昔物語〕の印税を、寄付せんか」に大笑いだった。この「龍宮神社」の横に日本語、英語、韓国語の3ケ国語で書かれた案内が立てられている、参考のために書き留めてきた。以下原文のままです。

その〔1〕龍宮神社と長崎鼻について

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◎この龍宮神社は古事記、日本書記にある豊玉姫〔乙姫様〕を祀ってあります。長崎鼻には古くから浦島太郎伝説あり、発祥の地と言われています。古事に「竜宮城ハ琉球ナリ」と云われ、黒潮浮かぶ遥か南の琉球城を倣沸とさせます。
◎この海岸一帯の砂浜には、今もたくさんの海亀が産卵のため上陸します。海亀が産卵する場所は近くに豊かな漁礁があり亀にとってもたくさんの餌があること、また外敵が少なく安全に孵化した赤ちゃん亀が無事に海に戻れるような砂浜が広がっている事があげられます。

◎つまり海亀が上陸する海岸は、海の幸を育む豊かな自然があることから昔から漁師や釣り人たちは海の守り神として亀を大切にしました。亀が魚網にでもかかれば手厚くもてなし、お酒を振る舞い海に帰してあげました。こうした事から神話伝説とあいまって浦島太郎や乙姫様〔海神の娘〕を祀って信仰する風習は日本のいたる所にあります。

◎長崎鼻の龍宮神社は浦島太郎と乙姫様が出会った縁結びの神様として又、家内安全、商売繁盛、航海安全の守り神として今も多くの人が参拝に訪れます。
                     山川町岡児ケ水
                     長崎鼻観光土産品店組合

その〔2〕国定特別天然記念物、ソテツの自生地〔原文のまま〕

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長崎鼻一帯にある「ソテツ」は自生しているものです。「ソテツ」科の植物は数種類ありますがほとんどが熱帯、亜熱帯に生育しています。そのうちの一種だけがここ山川や坊津、佐多、内之浦の4ケ所に成育し日本における「ソテツ」自生地の北限となっています。このため、国の特別天然記念物に指定されています。
この自生地は学術的にも極めて貴重であり、荒らしたり盗みとることは法で厳重に禁じられています。
              昭和27年3月29日指定 指宿市教育委員会

その〔3〕灯台の手前右側に、鹿児島が生んだ無季派俳人「篠原鳳作」の句碑がある。

画像の説明

その句碑の案内には、〔以下原文のまま〕
明治39年に鹿児島に生まれ、東大法学部卒後、旧制中学校の教師となった。吉岡禅寺洞の「天の川」に所属、自らも「傘火」を創刊した。俊英を期待されたが30才で没。鳳作を偲びその代表作「海の旅」の句碑が建立されたとあった。

満天の星に旅行くマストあり
しんしんと肺碧きまで海の旅
幾日はも青うなばらの円心に

山川町観光協会

その〔4〕さつま長崎鼻灯台について〔原文のまま〕

この灯台は風光明媚なこの地に相応しいものにしようと特別に設計されて、昭和32年〔1957〕に完成しました。大隅半島、薩摩半島に囲まれ「錦江湾」に出入りする船舶や東シナ海を航行する船舶の道しるべとして重要な役割をはたしている灯台です。

位 置、北緯31度09分25秒、東経130度35分15秒
光り方、等明暗白光  明3秒、暗3秒
光の強さ、8、500カンデラ
光の距離、 13、5海里〔約25㎞〕
高 さ、地上から灯台頂部まで、約11㍍
水面から灯火まで、約21㍍

「佐多岬まで20 km」「屋久島まで77 km」「竹島まで40 km」「硫黄島まで47 km」「黒島まで70 km」「開聞岳まで6km」
                    海上保安庁、燈光会、日本財団

ここ薩摩半島の最南端長崎鼻で遠い昔の夢とロマンを想像し、心地よい風に吹かれて静かな波の音を耳にしていると、世間の喧騒も忘れる程の静寂さである。

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又この日は大型連休の初日で、雲一つない晴天だった。そのため長崎鼻を訪れる観光客は途切れなく賑わっていた。そして、眼下に広がる紺碧の東シナ海の海原や開聞岳、佐多岬などの景色をバックに、記念撮影をして楽しんでいた。だが、このロマンを伝える案内に、興味を持つ者はごくまれであった。

この長崎鼻には、日本経済が右肩上がりの成長期を遂げていた昭和35年から、46年頃までの旅行ブームの最盛期には、年間270万人とも320万人とも云われる観光客が訪れていた。
処が、昭和47年頃から日本経済が「円高」へ移行したため、「国内旅行より海外旅行が安い」海外へ出掛けるようになった。そのため、狭い所に肩を寄せ合うように、営業していた21軒の土産品店は、観光客減少のため閉店したり、壊したりして現在、約10店舗が営業している。

又、我々が小中学生の頃、遠足で利永から片道7㌔の地道をテクテク歩いて訪れていたあの頃の長崎鼻は、岸から波打ちぎわまでかなりの距離があった。そして、山村育ちの我々は海への関心も相まって、水平線の彼方から、打ち寄せては返す大波小波と戯れながら、一日中潮風に吹かれて砂浜で遊んでいた。そのため、服も身体もべとついて、帰路に着いたものである。

現在の砂浜は岸から数メートルの狭さで、打ち寄せる高波により海岸は激しく浸食されている。あの頃の広々とした砂浜は、「今どま、みるよさも、なかど。」

〔2〕運航再開から2ヶ月

5月2日午前10時、黄沙の飛来で視界がかすむ、山川フェリー発着所へ出掛けた。駐車場には県外ナンバーの車やバイク等、約15台が待機していた。

画像の説明

車の誘導員によると、
「フェリーは19㌧の小型船で、乗客12名と車8台乗れる。乗客が多い時には18㌧の乗客専用船〔定員12人〕も使用して、2隻で折り返し運航をしている。又、運航から昨日で2ヶ月になったが、平日でも乗客は順調に伸びている。フェリーは片道50分、乗客船は高速船のため、25分で根占港へ着く」そうだ。

成川浜の三叉路交差点を基点とする国道269号線は、山川漁業組合の所で行き止りになっていたが、3月1日に薩摩半島と大隅半島を結ぶフェリーが海の国道として運航が再開されたので、山川から根占港へ渡った車は、大隅半島の 「佐多岬ふれあいセンター」前を基点とする国道269号線と、根占港近くの三叉路交差点で合流する。

そのまま北上すると鹿屋市街地を通り抜け、山間部の「道の駅、大隅」を経由し、宮崎県都城市で国道10号線と合流する。この269号線は根占と都城市を結ぶ重要な国道であり、山川からフェリーを利用して都城まで4時間弱かかる。

〔3〕事件2つ

連休中の鹿児島市内と指宿市内で、2件の殺人事件が発生した。5月1日付けの南日本新聞によると、去る4月30日〔土〕午前5時10分、鹿児島市常磐一丁目の市道で、職場へ早朝出勤していた「49歳」の調理師女性が、
何者かに胸を銃で撃たれて死亡したと伝えた。
その2日後の5月3日〔火〕午後1時ごろ、指宿市大牟礼3丁目、アパート経営者の「74歳」と「73歳」の老夫婦が、刃物で刺されて死亡した。
 このニュースが伝わると、指宿市内にホテル、旅館、宿泊施設が約60軒ある湯の街、指宿は騒然となった。

犯人は盗んだ車で逃走したが、北九州市南区「ます淵ダム」駐車場で車が発見された。その後、犯人は「自首」したと、5日午後6時15分のテレビは伝えた。この2つの事件で休日を返上し、夜遅くまで捜査に当たる2人の刑事が、我が職場にも情報を求めて来た。心より、ご苦労様の言葉を掛けてねぎらった。

情報を発信する、故郷ニュース N0,2011-9 レポーター 和田 寛

〔1〕お詫びとお礼〔4月20日記〕

我が発行する「故郷ニュース」は、零細企業のためスタツフも雇えず、取材、編集、印刷、発送までを一人でしているため、誤字交じりの乱文、乱筆で皆様には大変ご迷惑をお掛け致しております。しかし、「そいでもよかで、おくっくれ」と、多くの方々から切手の現物、切手代金、コピー用紙、封筒、アドバイスなど、様々な支援が数多く寄せられています。その好意に甘えて有効に使わせて頂いております有難う御座います。

又、上野出身で埼玉県在住の同級生「坂上政幸」氏と上仙田出身で千葉県在住の「住吉光男」氏の計らいで、「指宿市」のホームページでも「故郷ニュース」の閲覧が出来るようになりました。今回は1月14日のダセチッ、15日のウナンメイ、16日のメンドンが、動画で見られます、ぜひ御覧下さい。お二人様には重々お礼申し上げます。

〔2〕4月17日〔日〕くもり、〔4月20日記〕

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人々の心を和ませていた満開の桜も、春風に吹かれてすっかり舞い落ちて、いつしか葉桜になった。そして、若葉、青葉の薫が「ツ~ン」と鼻をつく「開聞ふれあい公園」では、第14回、オールドカーフェスタ」が開催された。

会場のオートキャンプ場には、今から約24~30年前の二輪、三輪、四輪車の名車、珍車、希少車など、約2百数十台〔昨年は380台〕が展示されていた。又、外車では、昭和6年〔1931〕製の「フォードA型」や「オーバン851」などの「クラシックカー」も展示され、訪れた観客はうっとりと見とれていた。

画像の説明

この他に、懐かしいスカイラインの3代目「ハコスカ」や、コスモスポーツ、ダイハツミゼットなど、国産の名車もあった。観客の中には、「なんでん、かんでん〔ポイ捨て〕するご時勢なのに、世の中には物好きな人がいるもんだ」と感心していた。

又、この日の午後8時、園内の巡回中に利永の弟から、「とないのあにょ、80才が〔かぼちや畑〕で〔芽かき〕の最中に倒れて、午後6時頃、国立病院へ搬送されたがダメだった」との知らせがあった。

18日〔月〕午後7時からのお通夜と19日の葬儀には、突然の訃報を聴きつけた故人ゆかりの方々が、弔問に駆けつけて冥福を祈った。そして、俗名「富岳浄道信士」と名を変えて、冥土へ旅立つ故人を見送った。又、お通夜と葬儀の席は、大勢の人が集まるので、情報を得る場でもある。

山川港で「冷凍かつお」の荷役作業員をしている方によると、
日本には「かっお」巻き網船が36隻いるが、山川へ入港する漁船は東北の巻き網船が多く、乗組員の80名は東北の方々であるという。

そして、入港した漁船の乗組員が、東北へ帰る際の運賃は会社が負担していたが、不況が続いているため会社からの運賃は一銭も出なくなった。だから帰省する際には東北が少しでも近い、焼津港へ入港する。その運賃は、山川からだと10万円、焼津港からだと5万円掛かるそうだ。

農協の支所長を定年退職した方によると、
今回の震災で農産物の価格が一時期、急落したという。それによると、東北方面で物流が止まり、その取引の市場が狭い範囲内で行われるので、農産物が市場に溢れ出て下落したのだという。

利永の84歳の男性によると、
戦時中は海軍に入団して、佐世保の軍港を拠点にしていた艦船の乗組員だった。処が、新兵は上官に毎日樫の棒でお尻を思いっきり叩かれるのが日課となっていた。それが大変辛く、猛勉強をして主計の資格を得た

その後、陸の部隊へ配属され、昭和18年から終戦まで指宿の「海軍航空基地」の主計兵だった。宿舎は「尾掛集落」にあった。又、基地では人目の付かない夜間、秘かに「人間魚雷の特攻隊員の訓練を行なっていた。」

その翌朝〔19日〕の8時20分頃、カメラを提げて多良浜の基地跡を訪れた。そして、昭和46年〔1971〕に市民などの浄財で、小高い丘に建立された「慰霊碑」に線香を上げて英霊の冥福を祈り、その証しに住所と名前を記帳した。

この「慰霊碑」には、基地から出撃して二度と帰る事のなかった、「82人」の特攻隊員と、訓練中の殉職者、基地周辺の空爆で命を落とした一般戦死者ら、合わせて192柱が祀られている。 そして、毎年5月27日に遺族や生存者らが大勢出席して、慰霊祭が行われている。今年も、もうすぐ41回目の慰霊祭が行われる。
又、17日の「利永区民総会」が話題になり、様々な意見が述べられていた。

[check]指宿海軍航空基地を偲びて

〔3〕大成小の活性化のために〔4月22日記〕

去る4月6日、大成小の入学式を撮影したDVDと、成川地区から登校する児童らをカメラで写し、その内の16枚を拡大して、「子ども達が学校生活を楽しく送るために、役立てて下さい」と云って、「大薗校長」へ贈った。

その写真を見て感激した校長は、「和田さん、ま~いっぺ、ちやをのんでいけ」と新茶を勧めてくれた。「も~そんなに気を使わんで下さい」と云いながらも、新茶の香りが「ぷ~ん」と鼻をくすぐるので、つい「手」を伸ばして遠盧なく頂いた。

中学時の俺が校長室に入る時は、いつも「お目玉」を喰らう時だけだった。だから大成小や山川中の校長室を訪れる度に、昔を思い出して冷や汗を掻いている。

〔4〕原発への世論調査

画像の説明

薩摩川内市には「原発」の1号機、2号機〔2機とも89万kw〕が建設され、昭和59年〔1984〕と昭和60年〔1985〕に営業運転を始めている。処が九電は3号機の増設を13年度に着工して、19年度から出力150万kwの電力を運転開始をする計画書を、薩摩川内市と県に提出していた。

この3号機が完成すると、「国内最大級の原発」と云われているため、「原発」周辺の心ある地域住民らは、「原発に安心、安全はない」と反対している。しかし、地元の川内市長と県知事は、九電の計画に昨年相次いで同意をした。

これを受けて、南日本新聞社は4月15~17日の3日間、「原発増設」て、県民の意識調査をした。その結果、4月23日付けの「南日本新聞」トップに、「川内原発増設、7割が反対」と、大きく伝えている。

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